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1-15 僕、暇つぶしにチェスをする(2)

「まさか弟さんまで、コーヒーの分野に興味を持って研究しているとは思いませんでした。」

 そういえば、僕が最後にコーヒーを飲んだのは、夜通し作業していたときだった。

 思い出したのは、「14歳までに一度はSCIに論文を発表しろ。」と、元の世界の両親に言われていたことだった。

 あの夜のコーヒーがやけに苦かったのを、今でも覚えている。

「仲は決して良いとは言えんかったが、あやつのコーヒーへの執着は、まったくもって尋常じゃなかった。コーヒー豆の選別から焙煎の加減、淹れ方の技まで、何ひとつ手を抜かん。まるで、コーヒーの世界そのものが、自分だけの広き川の流れであるかのように、のう……」

「へぇ――それにしても、武器鍛冶とコーヒー研究って、まったく接点がなさそうですね。」

 僕は思わず興味が湧いて、少し前のめりになって尋ねた。

「どうして弟さんはそんな道を選んだんですか? 同じ環境で育ったのに、まったく違う道に進んだなんて、なんだか不思議ですね。」

 店長は少し考え込み、懐かしそうな顔を浮かべながら口を開いた。

「そうじゃなぁ……わしら兄弟は、子どもの頃から同じ土地で育ち、同じような教育を受けてきたもんじゃ。じゃがのう、興味や志っちゅうもんはの、種みたいなもんでな。同じ土に蒔いたとしても、咲く花はまったく違うこともあるんじゃ。

 あやつはのう、きっと心の奥底に、新しきものへの感覚と、それを追い求める気持ちがあったんじゃろうなあ。そいで、コーヒーの研究いう道を選んだんじゃ。わしはというと……我が家のしきたりを守って、この地に骨を埋める覚悟で残ったっちゅうわけじゃ。」

 店長はふっと笑いながら、続けた。

「わしは我が家の伝統に忠実で、この場所に残って武器鍛冶を続けているけどさ。やっぱり、それもわしなりの道だったんだろう。」

「なるほど。ちょっと失礼かもしれませんが……どうして店長は、ご家族の武器鍛冶の道をそこまで大切にされているのですか?」

「この話をするには、五百年も前までさかのぼることになるな。」

 店長は少し目を細め、どこか遠い記憶に触れるように語り出した。

「当時、我が家の先祖が、とある白髪の若い賢者と出会ったんだ。その賢者は不思議な人物で、外見は若いのに、その瞳には何世紀もの知恵と深い孤独が宿っているように見えたんだよ。」

 その声には、まるでその賢者が目の前にいるかのような敬意が込められていた。

「賢者は、五百年前の七月十四日、魔法を込めた一振りの唐大刀を先祖に贈ってくれたんだ。その唐大刀は、ただの武器じゃなかった。鍛冶の技だけでなく、賢者の思い、そして歴史と文化の象徴でもあった。それ以来、家系は鍛冶の技を精神的な支柱として、代々受け継ぐようになったんだ。」

 五百年前の七月十四日――それは、東暦508年のこと。

「武器はただの道具じゃなく、文化や歴史の記憶を刻む大切なものだ。だから、この我が家の伝統を守り続けることに決めたんだ。」

 店長は手のひらをじっと見つめながら、少しだけ寂しげに笑った。

「そうですね。」

「この手には、先祖たちの魂が宿っている。この鉄槌の重さも、炉の炎の熱さも、先祖が何世代にもわたって込めてきた知恵と栄光の結晶だ。それを受け継ぎ、刻み続けることこそが、わしの誇りだ。」

 僕がその話を聞いたとたん、まるで霧が晴れたような気持ちになり、思わず感嘆の声を上げました。

「なるほど、そういうことだったのですね。どうりで御家の包丁は、どれも実直な作りで、見た目ばかりを気にして中身の伴わない市場の製品とは一線を画しているわけです。賢者の教えが、技への敬意と継承を支え、同時に本質を追い求める実直な精神を代々守らせてきたのですね。」

「まさにその通りだ。この信念こそが、我が家を支えてきた。家族に受け継がれる者は皆、一振り一振りの刃に心血を注ぎ、品質と実用性を何より重んじてきた。装飾のための道具ではなく、使う人の手に馴染み、実際に役に立つものを――それこそが、わしらの信条だ。

 今の世の中、見た目だけを重視して中身が伴わない製品があふれているが、それは伝統工芸への冒涜であり、使う人への不誠実でもあるだろう。本当の職人魂というのは、シャンチーの一手一手に込められる知恵と力のように、見えない部分にこそ宿るべきものなのだ。」

 僕は店の中をぐるっと見渡し、静かな街の片隅にひっそりと佇むこの店を、改めて眺めた。狭い店内には、年季の入った道具や鍛冶場から伝わる熱気が感じられる。

 少し心配になって、思わず口に出してしまった。

「でも、こんな目立たない場所にお店があると、お客さんもあまり来ないんじゃないですか? 商売とか収入とか、大丈夫なんですか?」

「あの賢者が現れてからというもの、この店の営みは、もはや俗世の利益を追うためのものではなくなったのだ。むしろ、これは我が家が過去に交わした誓いを守るためのもの――五百年前、その賢者から授かった教えに基づくものなのだ。

 彼は刀を託す際に、ひとつの予言も残していった。曰く、自らの生前に用いたその唐大刀は、いずれしかるべき時に、真なる持ち主のもとへと辿り着くであろうと。

 そして、もうひとつの約定も遺した。十年ごとに一振り、心を込めて唐大刀を打ち、その新たな刀と彼の遺した刀を共に保管し、大切に守り継げと。

 金銭というものは、ただ生活に必要な手段に過ぎぬ。決して、追い求めるべき『目的』などではないのだ。」

「そうですか。ところで、その予言の中でその『真なる持ち主』について何か言及とかありますか?例えば、その人が持ってるべき特徴……とか?」

「特徴……予言にはそこまでのことは書かれてない。ただ、我が家の血が絶える前に、必ずその予言された後継者にこの刀を渡すように、とだけ言われている。」

「そうですか……」

「……」

 店長はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。

「ただ、残念なことに――時の流れというものは、誰にも等しく容赦をせぬ。己の体力も気力も、もはや往時とは比べものにならぬことを、わし自身がいちばん痛感しておる。

 おそらく、遠からぬ幾日かのうちに、この手――かつて火をも制し、鉄をも鍛えたこの手が、もはや灼熱の炉火にも、鉄のごとき試練にも耐えきれず、この幾多の汗と苦労が染み込んだ土地にて、その使命を終える時が来るであろう。

 とりわけ、心を痛めておるのは――わしには跡を継ぐ子が残されてはおらんということじゃ。すなわち、我が家に代々伝わる鍛冶の技と、誠実を信条とした商いの道が、このまま人々の記憶から薄れてゆき、やがて歴史の塵に埋もれてしまうやもしれぬということ。」

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