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9)一帝二后の献策

 純子はウゥ~っと伸びをすると

「道長は長女の彰子を一条帝に入内じゅだいさせていたんだけど、一条帝の正妻というかきさきは、すでに病死した道長の兄 道隆の長女、定子なんだよね。そして定子は敦康親王あつやすしんのうを生んでいる。だから次代の帝の最有力候補は、その時点では敦康親王だったのね。ただし、定子は親王が2歳のときに亡くなってしまうから、敦康親王の養育はまだ子供がいなかった彰子が行う事になる」

と一気にしゃべった。

「そして敦康親王付きの勅別当ちょくべっとう――帝から任命される高級事務官だよ――に選ばれたのが、行成だったんだ」


「時系列は、どうなってるの?」

 純子の発言を噛みしめるように亮平が質問を発した。

「事の次第によっては、かなりキナ臭い気がする」


「ちょっと待ってて。さすがにそらで答えられるほど詳しくはないから」

と純子は検索サイトを立ち上げた。

「まず、親王が生まれたのが999年。親王宣下しんのうせんげを受けたのが翌年の1000年。ちなみに母の定子は977年の生まれだから、22歳のときの子供だね。なお定子は990年に14歳で一条天皇に入内じゅだいし、その年の内に女御にょうご、皇后となっている」


「えーっと、入内と女御、皇后って、どう使い分けられているのか教えてよ。興味の無い分野だから、サッパリ分からんのよ」と亮平が頭を抱えた。

「いや何となく、後宮での地位が上がっていってるんだろうな、って所は理解できるんだが、こう……モヤッとしてて」


「入内というのは『帝の後宮に入ること』。妻妾もしくはその候補としてね」

 検索に忙しい純子に代わって、舞が相手する、

「女御は『天皇の寝所にはべる者』。だから女御になったということは、少なくとも妻妾の”妾”の立場には立った、という意味。皇后は『天皇の正妻』。せっかく大河で平安モノやってるんだから、その辺りは押さえておかないと楽しめないよ」


 亮平が舞に「ごもっともです」と返事したのとほぼ同時に

「出来た!」

と純子がレポート用紙を広げた。

「時系列的には、こんなカンジだよ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


966年? 清少納言生まれる。

972年  藤原行成生まれる。祖父で摂政の藤原伊尹ふじわらのこれただ猶子ゆうしに。

     藤原伊尹死亡。

974年  行成の父 藤原義孝ふじわらのよしたか死亡。源保光みなもとのやすみつの庇護下に。

977年  藤原定子生まれる。父は藤原道隆。兄に伊周これちか

985年  行成が花山天皇かざんてんのう侍従じじゅうに抜擢される。

986年  花山天皇が出家。皇位は一条天皇に譲位。

988年  藤原彰子生まれる。父は藤原道長。

990年  定子が入内。女御から中宮へ。(一条天皇の正妻)

     道隆 摂政になる。

993年~ 清少納言が定子に仕える。27歳くらい?

995年  道隆が病に倒れ死亡。

     道隆の嫡男ちゃくなん 伊周これちかと、道隆の弟 道長の権力闘争。

     行成が一条天皇の蔵人頭へ抜擢される。

     清少納言は道長側のスパイと疑われ、セルフ蟄居ちっきょを始める。

996年  伊周が花山上皇を襲撃(長徳の変)。伊周失脚。 

     定子が出家する。

     行成は権左中弁に昇進。後に正左中弁へと昇進。

997年  出家していた定子を、一条天皇が宮中に呼び戻す。

     ◆ただし定子は『内裏の外に住むことに』◆

998年  行成は右大弁に昇進。

999年  定子が敦康親王を出産。

     彰子が入内。女御になる(まだ12歳)

     ◆行成、一条天皇へ『一帝二后』の献策を行なう◆

1000年  彰子が中宮となり、中宮であった定子は皇后宮と称されることに。

     ◆日本史上初の『一帝二后』体制になった◆

     定子がセルフ蟄居の清少納言を呼び戻す。

     定子は第二皇女を出産するが死去。

     彰子が敦康親王の養育を託される(まだ13歳)

     清少納言辞職。宮中を去る(34歳?)

1001年  行成は敦康親王の勅別当就任を命じられる。

     『枕草子』完成?

1008年  彰子懐妊。敦成親王を出産。(後の後一条帝)


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「一度は尼さんになったけど、一条帝に強く望まれて再入閣……じゃない、再入内した定子の元トップ秘書官である清少納言か」

 亮平が唸る。

「それと一条帝からの信任厚い、事務方の敏腕行政官である藤原行成……。加えて行成には、道長から強い要望・要求が寄せられていないハズないわけで。そして”そんなコト”くらい、清少納言は百も承知している。枕草子にある清少納言と行成との『交友エピソード』は、引退した政治家が書いた回顧録みたいなモンじゃねぇか」


「二人の置かれた状況をかんがみれば、しんからイチャイチャ・ウフフってしてる場合じゃないよねぇ」

 年表を見ながら、脚本書きも同じく唸った。

「いや平安朝の貴族社会に生きているんだから……ギリギリの鍔迫つばぜり合いの最中でも、はたからはそれが気取けどられぬよう、優雅な”お付き合い”に見えていなければならない、っていうのが実情だったんだろうけど?」


「だと思う」

 純子は腕組みをしてタメ息。

「仮に同盟国や友好国同士の外務大臣対談でも、表側ではニコヤカに握手していても裏側ではシビアな条件闘争が行われているものだからね。あからさまに非難の応酬になるのは、完全な敵対関係になってからだよ。清少納言と行成との関係は、一条天皇を中心に据えた非ゼロサムゲームのプレイヤー同士の関係性と考えたら良さ。協力し合わないと『互いに不利益をこうむる』が、『協力関係の中で、互いが自陣営の利益を最大化しようと競争』する」


「それで純子は、道長が一帝二后を定子に納得してもらおうと、行成に調整を頼んだと考えたワケか」

 脚本書きが頬を膨らませる。

「でも……あるいは、それよりももっと前、伊周と道長とが道隆の跡目あとめを争って権力闘争を行なっていた995年頃の事だ、とも考えられない? その時点でも、清少納言と行成とは宮中で会っているはず」


「995年の時だったとすれば、ゼロ和ゲーム的闘争を行なっていたのは伊周VS道長で、清少納言と行成の行っていたゲームは、定子と一条天皇の意を受けた非ゼロ和ゲームってわけだ。伊周と道長との間で行われている権力闘争の影響を免れるのは難しいだろうけど、出来るだけ『共通の利益』を確保したいという。一条帝は定子に首ったけだったんだから」

 亮平はそう言うと、『清少納言は道長側のスパイと疑われ』という部分を指先でなぞった。

「清少納言は『鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ』、つまり『口先で上手く言いくるめようとしても、そうは問屋とんやがおろしません』と、伊周の妹であるという定子の立場――あるいは苦しい胸の内――を伝え、行成は『逢坂は ひと越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも 開けて待つとか』、言ってみれば『言いくるめようとはしていません。私たちの間には、更に踏み込んだ協力関係が必要不可欠なのです』と、一条帝と定子の間には対立は存在セズと説得をしたんだ」


 そして「色っぽさとかラブコメ要素からは、完全に乖離かいりしたエピソードって事になる」と結んだ。

「愛し合っていたのは一条帝と定子であり、行成と清少納言は、権力闘争の当事者ではないものの、そのあおりを食らった形の帝と后の間を取り持つ密使同士なわけで」


「そうかあ」と純子は自分の頭を叩いた。

「アタシは1000年の再出仕した清少納言が詠んだ歌だと思ったんだけど、舞と倉科君の読み通り、995年の出来事と考えた方がシックリするのかも。現に清少納言にはスパイの疑いがかかったわけだしね。宮中にその疑惑を流布させたのは伊周サイドでしょう。行成は道長とも親しかったわけだから、一条天皇を自分陣営だけに完全に取り込むためには、行成も清少納言も邪魔。しかも行成は天皇お気に入りの侍従で、伊周も手が出せない。潰すとしたら清少納言を、だったんだ。定子と清少納言のラインを断ち切ることで、行成を経由する一条天皇と定子との間の連絡を断てる。連絡網の専有化だ」


「潰す側の伊周としては、権力争いをしている上では必要不可欠な処置、くらいに思ってたんだろうけど、スパイの濡れ衣を着せられた清少納言は無念だっただろうね。だから出家した定子が再入内した997年にも、まだセルフ蟄居を続けていたんだ。伊周が996年に失脚したにも関わらず」

 ウムウムと脚本書きが筋を引く。

「清少納言が定子のブレーンに復帰するのは1000年。彰子が中宮になり、定子が皇后宮に祭り上げられた後だ。そしてこの時点で、伊周と道長の戦いは完全に道長の勝ち、と勝負が決着している」


 すると、と舞は言葉を続けた。

「『夜をこめて』のエピソードは、政治家 清少納言が行成との単なる『をかし』を描いた回顧部分ではなく、かつての伊周の増上慢ぞうじょうまんを告発するために挿入された箇所だったのかも知れない。分かるヒトだけが解ってくれたら良いという……ね。昔、清少納言をディスってた人たちは、枕草子が評判になった時、穴が有ったら入りたかったでしょう。正に『ざまぁ』な随筆だったんだ」


 純子は「うん」と頷いてから、「片山クンはどう思う?」と、沈黙を守っていた相棒に振った。

「考え事は終わりました、っていうスッキリした顔になってるけど?」


「うん。聞いていて、とても面白かった。ただ真相の研究は国文学の専門家にゆだねるとして」

と名探偵は『枕草子、実は暴露本説』には曖昧あいまいな評価に止め

「しかし『見えているのは事の本質ではなく結果なんだ』という倉科君の発言には、強く想像力を掻き立てられたよ。そう、花鶴女史が出してきた謎々も、清少納言と行成との和歌の遣り取りみたいに、逆転の構図から見直してみないといけないのかもしれない」

と感銘を受けたという表情で続けた。

「『大江山』の和歌における小式部内侍VS藤原定頼の対決は、本当は対決ではなく、両者の合意の上での非ゼロ和ゲームだったのかも知れないね。事の真相はどうであれ、少なくとも花鶴女史はユニークな解釈で、それを水口さんとの『対決』に持ち込んだのかも知れない」

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