7)よに逢坂の関は許さじ
相棒の、突然の反応に驚きをみせた純子だったが「続けて」と促されて、なぜと問い返すことなく素直に説明に戻った。
「問題の『夜をこめて』の和歌は、清少納言の漢籍知識を基にした機知の妙を楽しめる作品であると同時に、行成と清少納言という”秀才クン同士”の青リンゴの味わいのような、ちょい堅めなラブラブぶりを示した歌でもある、と言われとるんだわさ」
「おお! ちょうど、岸峰さんと片山との関係みたいな、情緒よりアタマで繋がってるようなラブコメ和歌ってことなんだな」
亮平の感想を聞いて、純子はテーブルに突っ伏すと
「舞、悪いけど説明を代わって……」
と顔をあげないまま、消え入りそうな声で盟友に要望した。
「よっしゃ! オイラに任せておきねェ。この先は引き受けた」
映研の脚本書きは、先ほどの意趣返しコミの、今にも噴き出しそうな声で快諾。
そして「あのねえ、倉科クン。色恋事に関して、二人の仲をからかってはいけないよ。キミはまだ、そういう事に関して経験値が皆無なんだからさぁ、微妙な一線の、越えてはいけないラインが理解できていないんだ。時と場合によっては、思わぬ地雷を踏むことだってあるんだからね」と教育的指導を行ってから、おもむろに解説に戻った。
ただし清少納言とは、一見遠く離れた質問から。
「鶏鳴狗盗って、四字熟語は知ってるよね?」
軽く窘められて怯んだ様子を見せた亮平だったが、四字熟語クイズを出されて
「あ・うん……。字義的には『ニワトリの鳴き真似や、コソ泥みたいな”しょうもない”スキルしか持ってないツマらない人物』を指して言うコトバ。ただし『そんな雑魚スキルでも使い方によっては力を発揮して大いに役立つこともある』と、『馬鹿と鋏は使いよう』という慣用句の類義語的に使われることもある」
「正解」と舞は端的に答えてから
「じゃあナゼに、動物モノマネや犬ドロボウが『時には一発逆転の力を秘めた神スキルとして、おおいに役立つ』とされたの?」
とクイズを重ねた。
「高校生なら知っていて当然の常識だけどね」
「ええっと……戦国時代の中国で、秦の昭王が、斉の田文――別名が孟嘗君だね――の名声を聞き、宰相の座を用意して招くんだけど、『秦のためより斉のためになる政治をするに違いない』と、讒言する者があった。それで田文は軟禁されて処刑されそうになるんだけど、田文の食客の中にいた『犬泥棒の上手い男』が、昭王の愛妾の愛犬を盗み、人質ならぬ犬質交渉で軟禁を解かせる。これが『狗盗』だ」
亮平は「宮城谷昌光の『孟嘗君』で読んだ記憶があるんだよね……」と呟いてから先を続けた。
「その後、田文の一行は国境の函谷関までは辿り着くんだけど、函谷関の関所は夜明けから日没までの間しか開いていない。ここで夜明けを待てば、帰さずにやはり殺しておくべきだったと判断を翻した昭王が、刺客なり兵を繰り出しくるだろうって大ピンチだ。ここで『任せてください』と申し出たのが、ニワトリの鳴き真似が上手いのが取柄というだけの居候。しかし彼の特技はホンモノで、函谷関の関守は『まだ暗いが、ニワトリが朝を告げておるから、関を開けるか』と……」
ここで亮平が「うっ……」と気付き
「函谷関の関守は『鶏鳴』にまんまと騙されたけれど、『逢坂の関は許さじ』に繋がっているのか!」
「ご名答」と舞がパチパチと拍手する。「これが『夜をこめて』の和歌に含まれている漢籍の知識の部分。司馬遷の史記を読んだ……いや単に読んだことが有るくらいじゃなく、暗記するほど親しんだ読書歴がないと、パッと和歌に詠めない箇所だと言えるね」
続けて「『夜をこめて』の和歌には、花鶴友加が挑戦状に送りつけてきた『大江山』の和歌と同じく愉快なエピソードが付随していて、それを知っていないと本当の部分で楽しめたとは言えないんだ。『大江山』が小式部内侍VS藤原定頼だったのと同じく、『夜をこめて』の和歌は謂わば清少納言VS藤原行成の対決の面白さから、百人一首に選出されたと言っていいくらいなんだよ」と亮平に向かってウインクした。
「へええ。女官に不人気なカタブツ官僚が、ガールフレンドである才女 清少納言に遣り込められたってハナシなのか」
フムフムと頷く亮平に「そう言っちゃうと、ちょっと違う」と舞は苦笑した。
「ある夜、清少納言の元に、例によって仲良しさんの行成が遊びに来るんだけど、その夜に限って割と早めに『今日は帰る』と清少納言が満足する前に引き上げちゃうんだ。文学論を戦わせていたのか、イチャイチャしていたのかは知らないよ。だけど徹夜するか夜半過ぎまではワイワイやるのを楽しみにしてたらしい清少納言が不愉快に感じたのは、行成にもチャンと伝わってたんだろうね。あとから『名残惜しかったが、鶏鳴に急き立てられて仕方なく』と手紙をよこした。けれど清少納言の機嫌は直らず、行成に「鶏鳴だなんて、どうせ函谷関のニワトリでしょう」と怒りの返信」
「清少納言、怖え。沸点、低いヒトなのかな」と亮平が首を竦める。
「実務家の仕事人だったら、外せない用事があったり忙しい日だってあるのは当然だろう。行成氏は多忙な中、ちょっとの隙間時間作ってガールフレンドに顔を見せに来たんだよ。それを『仕事とアタシ、どっちが大事なのっ!』って詰めよるとか、理知的な女性としてはどうなんだろう」
「怖くない、怖くない」と脚本書きは亮平に応えた。
「清少納言だって宮仕えのインテリなんだからさ、実務派官僚で多忙な行成クンの言動を、不誠実だとアタマごなしに叱りつけたワケじゃないと思うんだ。たぶんポイントは、行成クンが手紙に『ニワトリの鳴き声に急かされて』と書いてきたこと」
「アッ! そうか。清少納言と行成とは、共に漢籍マニア同志だからか」
と亮平は即座に理解を示した。
「『鶏鳴に急かされて』という部分が、史記の孟嘗君のエピソードを連想させる謎かけだと、直ぐに気付いたんだ」
「そそ。アタシはそう採っている。だから行成クン、本当のトコはどうしても外せない用事なんか無かったのかもしれない。彼はガールフレンドに対して、ちょっと気取った洒落が言いたくて、サプライズイベントの伏線として『今日はもう帰るから』なんて、タネを仕込んだんじゃないのかな。そうしておいて、清少納言に『鶏鳴』を含む手紙を出した」
ニンマリする舞に、亮平は
「手紙を読んだ清少納言は、すぐに行成の仕掛けに気付いたんだね。だから『私から逃げる口実に、ウソニワトリの声をでっち上げるとは、テメエいい度胸だな!』って返事した」
と、同じく悪党の笑顔で応じた。
そして「清少納言、これ絶対に怒ってないよな」と同意を求める。
「手紙書きながら、目じりが下がって口元が緩んでいるのが見えるようだ」
「ここで終わりにしておけば、インテリ男とサバサバ女の”ちょっといい話”で済むんだけど、行成クンは頭がキレッキレだけど雅さに欠けると言われた漢だからね、無粋と云うか、つい、もう一歩余計に踏み込んじゃうんだ。もしかしたら、函谷関の鶏の仕掛けを読み解いてもらって、めちゃくちゃ嬉しかったのかも知れないんだけど」
脚本書きはそう嘆くと「ヤツは『開けたかったのは函谷関ではありません。逢坂の関です』と、再び文をしたためたんだ」と告げた。
しかし亮平には、舞の感じた『それは無いだろう』というモッタイナイ感が通じなかったようで
「行成は『鶏鳴のナゾは簡単に解けちゃったんだね! 流石だな、また会おうよ』って言いたかっただけじゃないのかい? 逢坂の関の『逢う』と、会合の『会う』を掛けたオヤジギャグで」
と、しきりに首を捻っている。
「『兵は詭道なり』とか、なんぞ漢籍知識を含んでいない手紙だったのが、普通過ぎて不味かったのかな?」
「チ~ガ~ウ~!」と脚本書きは、亮平の勘の悪さに立腹気味。
「漢字は表意文字なんだからね。表音文字とは違うのだよ。一文字、一文字にそれぞれ意味があるでしょうがぁ。逢坂の関の『逢う』は、『逢引』とか『逢瀬』とか、『男女が特別に――あるいは殊更に――親しくしている』という意味合いが濃厚な文字なのっ」
「あー……。それじゃあ、行成はオヤジギャグの心算で書いたとしても……」
鈍い亮平にも、ようやく納得がいったようだ。
「『次に会う時には、男女の関係を持ちたい』と、手紙をもらった清少納言は受け取るでしょうが!」
ハ~……と脚本書きはタメ息を吐く。
「だから清少納言は、普段は詠まない和歌を詠んで『夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ』、つまり『鶏鳴で釣ろうとしても、そんな安い技では、私は逢引なんか致しませんわよ。アナタは良いオトモダチだけど、恋人ってわけじゃないんだからねっ!』って言い返したんだ。封印している伝家の宝刀を抜いてみせた所とか、まるで『大魔神逆襲』を思い起こさせるようで、前の返信の時よりかは、相手に対してイラついている感じが強いでしょ?」
「おお、敢えて和歌にすることで怒りを表現してみました、って趣向なのか」
清少納言が憑依した脚本書きに、今度は亮平は下手に出た。
「真面目に怒られちゃったら、インテリ実務家も今度は恐れ入ったろうね」
しかし舞は「いや、ヤツはそんな柔なタマじゃないんだ。実は二人のエピソードには続きがあってね」と先を続けた。
「今度は下手クソな和歌を、行成は寄こした。『逢坂は ひと越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも 開けて待つとか』って。『夜をこめて』の返し歌に、だよ!」
そして眉間を押さえると
「『逢坂の関は越すのが難しくない関所だから、鶏の鳴き真似なんかしなくても、開けて待っていてくれますよね?』って意味だよ。ホント図太いというか……厚顔無恥というか……」
と亮平を睨んだ。
「アナタもね、今後誰かにデートを申し込む時には、押しの一手だけでは無理なんだ、と心得ておきなさい。デリカシーの無いコトを言ったりしたら、それこそ相手に『蛙化』されてしまうんだから。清少納言は呆れ過ぎて、返事も出さなかったんだよ」
ところが怒った清少納言化した脚本書きに対し、亮平は申し訳なさそうにではあるが「いや水口さん、このエピソードは別の切り口からも見ることが出来るのかもしれないじゃないのかな?」と小声で口答えした。
「別の切り口?」
意表を突かれて、脚本書きは戸惑った声を出した。
「行成の失礼な申し込みに、清少納言は怒ってなかった……むしろ嬉しくて返事が書けなかったって言いたいの?」