6)暗号推理小説における「ホワイ・ダニット」
「ホワイ・ダニット?」
亮平が、純子の発言に首を傾げた。
「え~と、それって確か、推理小説において『なぜやったのか』を主たるテーマとした作品を指す分類だったよな? 動機の有無――もしくは強烈さ――から複数犯の中での主犯一人を推測する犯人当ての一分野、とか、隠された動機そのものを探すのがテーマである社会派とか」
「ソウデスヨ」と、感情を排した声で純子が応じる。
「暗号の解き方を主眼に据えた作品なら、『如何にして』が主題となるはずだから、普通ならハウ・ダニット小説に含まれると言って良いでしょう。なお『誰がやったか』を推理するのがフー・ダニットで、推理小説としてなら、これがメイン・ストリームというか一番数が多いでしょう」
「あ! そういう事か」
二人の遣り取りを聞いていて、舞には頓悟的に合点がいった。
「倉科くん。普通なら純子の指摘通り、暗号推理はハウ・ダニット小説なんだよ。謎の暗号を解読することによって、例えば『隠された埋蔵金の在処が判明する』とか『爆弾の起爆装置を解除する手順が明らかになる』とか」
「うんうん、そこは念を押されなくとも、岸峰さんの説明で分ってる……いや、再認識させられたんだけど……」
と亮平は怪訝な様子。
「ただな、カヅル某の挑戦状がホワイ・ダニット案件だ、と言われるとだ」
そんな亮平に「おやぁ?」と脚本書きは笑顔を返した。
「キミ、今自分で口にしたばかりじゃない? 『隠された動機そのものを探すのがテーマ』って!」
「するってぇと……」と亮平は素早く頭を回転させている模様。
「差出犯はカヅル某で間違いない。だからフー・ダニット案件ではない。また、暗号は稚拙なモノで、解読した答えも小式部内侍の『大江山』の和歌で正解。よってハウ・ダニット案件だと考えるのも弱すぎる。だって問題としては簡単すぎるんだからね。まあ、オレに分かったんじゃなく、頭を捻る間も無く片山がスラスラ解いちゃったんだけどさ」
そして少し間を置いて「お……うわぁ?!」と奇妙な歓声を上げると
「それで片山は『まだ隠された何かがある』なんて言い出したのか! 対応として正解なのは、ただ適切な返し歌をぶつけるだけでは足りなくて、カヅル某の託した”何か”を読み解かねばならない……ってか?」
「That’s right」
澄ました顔で純子が応じた。
「片山クンが思い付いた『返し歌に適当な和歌』は、たぶん清少納言の作なんだろうけど、それだけじゃあ、まだ花鶴ちゃんが暗号に託した思いに報いるには、足りないんじゃないかってハナシ」
「そこまで甘えんなよ、って言ってやりたくもなるけどねぇ」
フウ、と脚本書きが息を吐く。
「こちとら、彼女よりは年長さんだし学校の先輩ではあるんだけれど、部活の先輩でもなければ、親友・義兄弟でも保護者でもないんだからさぁ」
「言ってやるな、言ってやるなよ。舞は花鶴ちゃんから見込まれたんだよ。『映研孤高の戯曲書きである水口先輩なら、きっと私の思いを汲んでくれる』ってね」
純子は苦り切った顔の親友の背中をバンバン叩くと
「『これ、この通り。ひとつ頼んます、ミナクチの旦那』と相手は頭を下げてきたんだから、『よっしゃ、全てオイラが引き受けた。大船に乗った心持ちで万事任せておきねェ』と意気に感じてあげなくちゃ、オンナが廃るってもんだよ!」
と噴き出した。
「ニクイね! 大御所」
「他人事だと思って、ふざけてんじゃないぞ! このアマ」
と、純子を睨み付けた舞を
「まあまあ」
と亮平が宥めに入った。
「本来、生物研に無関係な案件を持ち込んだのは、水口さんの方からなんだから」
次いで彼は純子に
「託された思いってヤツにも興味はあるんだけど、その前に清少納言の和歌ってどんな和歌なんだ?」
と探りを入れた。
「教えてもらったら、オレでも『ああ、アレか』って、聞くか読むかした記憶の有る作品なんだろうけど」
「……ん、ああ……そうだね」
純子は一度、今日は妙に口数が少ない相棒にチラと視線を送ってから、おもむろに亮平の要求に応えた。
「『夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ』だよ。現代語訳すると『夜も明けないのに、朝を告げるニワトリの鳴き真似をしたとしても、逢坂の関所を守る関守は、騙されたりしませんよ』ってカンジかな」
そして「これで良いんだよね?」と修一に確認した。
振られた名探偵は「うん。最初は”それ”で良いと思ったんだけど……」とゴニョゴニョと口籠ると、一転、亮平へ顔を向けて
「清少納言が、宮中で仲良しだった藤原行成に贈った和歌なんだ。行成は家柄ではなくて行政手腕と事務処理能力の高さで頭角を現した技術官僚的カタブツで、雅やかさに欠けると女官ウケが悪い人物だったらしいんだが、年上の清少納言とは漢籍好きという共通点から非常に馬が合ったとされている」
と一気に説明し「ゴメン。続きは岸峰さんから教えてもらって」と黙考に入った。
「お……おう」と純子は相棒の丸投げを承諾すると
「行成は清少納言とは単に馬が合うだけじゃなく、姉と弟みたいなカンジで甘えるところがあったんだ。枕草子には、清少納言が行成に寝起き顔を盗み見されたり、家まで押しかけて来られたりしたハナシなんかも暴露されててね」
「おりょりょ! 通い婚の時代だろう。行成は清少納言とデキてたってコトなのか?」
驚く亮平に「そこはビミョーなんだな」と純子。
「そう採るヒトもいれば、本当に遠慮会釈の無い気の合う同士って解釈するヒトもいる。あるいは政治的な情報交換の必要上、と考えるヒトもね」
今度は亮平は、ウムムムムと唸ると「その”政治上の”ってトコを、ひとつ詳しく」と要望した。
「ちょっとばかり、引っ掛かる」
純子は「今回の案件には関係してないと思うけど、まあいいか」と断りを入れてから
「その当時の治天の君は一条天皇で、天皇の后は藤原定子だったんだよ。定子は藤原道隆の娘。そして清少納言は、定子の宮中サロンのブレインなの」
「なぁるほど」と亮平は得心がいったという表情をした。
「清少納言に取り入っておれば、オヤブンの定子にも覚えが目出度くなり、ひいては天皇からも目を掛けてもらい易くなる、と」
「いや、事態はもうちょっと複雑なんだ。早合点はしないように」と純子が釘を刺す。
「定子の父 道隆が病死すると、道隆の弟 道長が、娘の彰子も一条天皇に嫁入りさせるの。ちなみに彰子のサロンの方にいたのが紫式部なのね。そして道長は『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしとおもへば』を詠むことになる大実力者。そして清少納言の『ご友人』行成は、時の権力者である道長と親しかったんだ。まあ、テクノクラートだからガッチガチに親分・子分の間柄ってわけじゃないんだけれど、『どっちかって言うと定子より彰子派』と目されていたワケだ」
「あ~、それで政治上の情報交換とかいうハナシが出てくるのか。一見、どこぞの部屋で二人だけで仲良くしてるように見せかけて、実は行成は道長・彰子派の要求を清少納言に伝え、清少納言は定子の要求を託す、と」
「あ、ああ! それだ」
亮平の感想に反応したのか、修一が声を上げた。
しかし、純子・亮平・舞の三人がビクッと背筋を伸ばして顔を見つめると、名探偵は
「ごめん。続けて」
と再び口を噤んだ。