5)藤原定頼のイヤミ
「え~っとね……倉科くん、小式部内侍は和泉式部の娘なんだよ。まず、そこが重要」
と純子は、小式部内侍の母について説明を始めた。
「母の和泉式部は三十六歌仙に選ばれるほどの歌人だったの。現に百人一首にも『あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢ふこともがな』という和歌が選ばれている」
「そしてだね」と舞が続けた。
「『大江山』の和歌で名声が確立する前の小式部内侍は、母の才を受け継ぐ俊英であるとの評価は得ていたのだけれど、一方で真の歌詠みであるかどうかを疑われていたわけ。つまり『ホントウに、あの小娘が自力で和歌を詠んでいるのか? 母親が上手に添削してるんじゃないのか?』ってね」
「それで、和泉式部がダンナと一緒に丹後まで出かけている時、藤原定頼という男が小式部内侍に因縁を吹っかけてきたわけ。『お母さんが不在の間、和歌を詠むのにお困りではないんですかねぇ。もしかしたら、手紙の遣り取りで知恵を貸してもらってるんですか?』って。定頼は才走った美男子で、三十六歌仙に選ばれるほどの和歌の名手だったんだけど嫌味なオトコだよねぇ」
と純子。
ちなみに、百人一首にある定頼の和歌は『朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木』というもの。
「その定頼のイヤミに対して、その場で小式部内侍が言い返したのが『大江山』の歌なの。『大江山 いく野の道の 遠ければ まだ踏みも見ず 天橋立』」
舞が亮平に向かってニンマリと笑う。
「『生野経由で大江山に向かう道は遠く、私なんかはまだ天橋立の地を踏んだこともありません』。これがオモテの意味だけど、『まだ踏みもみず』すなわち『まだ行ったことがない』は、『まだ文も見ず』すなわち『手紙なんか貰ってない』と同音異義の文節に置き換えることが出来る掛詞になっているでしょ?」
「だから」と純子も舞と同様、含み笑い。
「小式部内侍は、他にも宮廷のギャラリーがいる面前で、イヤミな定頼に向かって『アドバイスの手紙なんて貰ってねーよ。全部実力だよ。ヌルいコト言ってんじゃねー、黙ってろやタコ!』と言い返したワケなんだ。即興の和歌で上品にね。和歌を贈られたら、返し歌で応じるのがマナーなんだけど、鼻っ柱を折られた定頼は、なんにも言えずにスゴスゴと退散したんだって!」
「平手打ち喰らうより、効いたでしょうね」
と舞が頷いた。
「それに定頼にとっては、カッコ悪いエピソードが歴史に残っちゃたわけだからさぁ。わざわざ『大江山』の和歌を小倉百人一首に選出した藤原定家も、人が悪いというか何というか」
「まあ、痛快なエピソードではあるからね。定家でなくとも代表作に挙げたくもなるでしょう」
と純子は定家のチョイスに理解を示した。
「アタシ、『大江山』の小式部内侍と定頼の丁々発止のトピックスを読むたびに、『早蕨の 握りこぶしを 振り上げて』の狂歌を思い出すんだよ」
すると「『早蕨の 握りこぶしを 振り上げて 山の横面 春風ぞ吹く』だったっけ?」と舞が確認を入れた。
「『握り拳のようなワラビの芽が、春風に吹かれて、山の斜面で揺れている』って情景を詠んでいるように見せて、『小さき拳が、大物のヨコッ面を張っている』つまりブン殴るって掛詞というか、ダブル・ミーニングな狂歌だよね。確かに”小式部VS定頼”の対決を想起させるわぃ。作者が思い出せないけど……四方赤良だったっけ?」
舞の問い掛けに、純子は「いや?」と首を傾げると、修一に向かって
「大田蜀山人じゃなかったっけ?」
と回答権をムリヤリ譲渡した。
「黙ってないで教えておくれよ。相棒」
巻き込まれたカタチの修一ではあったが
「二人とも間違ってないよ」
と、過剰なほど穏やかな声で返答した。
「大田南畝。江戸中期、田沼時代の経済官僚だね。御家人と文筆家の二足の草鞋で活躍したヒト。四方赤良や蜀山人は、両方とも南畝のペンネームだよ。田沼意次が失脚して、幕府が重商主義政策から松平定信主導の寛政の改革時代へと移行すると、狂歌師と黄表紙作家の方は粛清があるのを見越して廃業するんだけれど、『世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといふて 夜も寝られず』と詠んだと言われている。ま、”よみひとしらす”に分類される狂歌なんだけどね」
そして修一は小さくタメイキをつくと「そろそろ本筋にハナシを戻そうよ」と提案した。
「水口さんは花鶴女史から『大江山』の挑戦状を叩きつけられた立場なんだから、さ」
舞は提案を聞き「いやさ」と不思議そうな顔になった。
「暗号なら、片山クンがもう解いちゃったじゃん? 後は『謎なら全て解けた!』と、演劇部に御礼参りに乗り込むだけだよ」
「それは違う」と殴り込みに”待った”をかけたのは亮平だった。
「これまでの流れからして、和歌を贈られたら和歌を返すのが礼儀なんだろう? だとすると、ただ『エウレカ!』って叫んで乗り込むんじゃダメなんだよ。然るべき返し歌を返礼品として用意しないと」
「確かに倉科君の主張通りだわ」と純子も同調した。
「ただ単に『キミが用意した謎なら解けた』と言うだけなら、ある意味、小式部内侍のカウンターパンチでKOされた定頼と大差ないんだよ。定頼は、小式部内侍が出した和歌の”ウラ側の意味”を即座に理解できたからこそ、『コイツ、やりおる!』ってそそくさと退散したんだからね。そう考えると舞は、HAL9000ならぬ一歩上をいく堂々の返し歌でナマイキさんを遣り込めるんじゃないと、実質は負けってコトになる」
「くうううう……」と舞は顔を顰めた。
「小娘め! 二段構え、三段構えで罠を仕掛けてきておったのか」
すると「返し歌の候補なら、既に目星を付けてあるんだけど」と修一が発言。
「頭脳明晰で有名な女流歌人で、百人一首に選出されている人物のヤツ」
「ただし」と修一は続けると「たぶん、それだけじゃ足りない気がするんだ」と腕を組んだ。
「花鶴女史は挑戦状を送るにあたって、何故暗号文にしたんだろうね? それも暗号としては、むしろ解けない方が不思議といった、お粗末極まりない簡単なコード変換方式のモノに、だよ。単に『宣言しておきますが、私が演劇部の次期脚本担当になったのは、岡崎先輩からの七光りではアリマセン。私の実力です』と主張したいのなら、ただそれを告げに来ただけの方が、素直だしスマートなんじゃないのかな? 無理にと云うか意味深げに、小式部内侍の和歌になんか、託さなくてね」
修一の考察に「えーと、何言ってるのか、サッパリ分からない」と反論したのは亮平。
「愉快な背景を持つ小式部内侍の和歌を挑戦状に引用することで、カヅル某は水口さんをハメようと考えたって事だろ?『暗号が解けただけじゃあ、オハナシにもなりませんな。お引き取り下さいませ』ってね。それ以上に、何が有るというのかな?」
「ちょっと待ったァ!」
掌底で自分の額をガンガン叩き、純子が割って入った。
「暗号推理小説におけるホワイ・ダニットか。こりゃ、ウチの相棒の言い分を精査しないと、足をすくわれちゃうかも、だぜぃ?!」