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4)暗号解読

「え~と、いいかい?」

 修一はレポート用紙の余白にイロハ歌を書き起こした。


『色は匂へど 散りぬるを

 我が世誰そ 常ならむ

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見し 酔ひもせず』


「ま、こんな風に七五調の歌なんだけど、手習いの教本としては、仮名の7文字区切りで表記されるのが普通だよね。作者は全ての仮名を使い、かつ重複はさせない、というルールでイロハ歌を作成している」

と、今度はオール仮名文字で書き足した。


『いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねな

 らむうゐのおく

 やまけふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす』


「だから、アイウエオ順やアルファベット順と同様、イロハ順でも一文字上げで解読することが可能だ」


 修一の説明に、亮平は「な? オレの見立て通りじゃん?」と二人の美少女に向けて胸を張った。

 ところが、イロハ順で一文字上げにすると暗号文が小式部内侍作の和歌になるかどうかを検討するより先に

「しかし何でイロハは7文字区切りなんだろうね。七五調のままで良さげなモンだけどさぁ」

と脱線した。

「よたれそつねな、とか、そこだけ切り出したらワケワカメになっちまいますが」


 亮平の脱線を、純子はとがめるでもなく

「そこは諸説あるんだけど」

と受けて立った。

「各行のラスト一文字を拾って繋げると『と・か・な・く・て・し・す』になるでしょ? とが無くて死す、つまり冤罪えんざいで死んだって意味。それに加えて下から三文字めを横に読むと『ほ・を・つ・の・こ・め・も』になる。それじゃ意味が通じないから、最終行だけ文頭の一文字め”ゑ”を採用すると、『己女こめゑ』というメッセージが浮かびあがる。繋げると『自分は無実の罪で死ぬことになる。この事を、津に住んでいる自分に所縁ゆかりがある女性に伝えてくれ』という暗号文だ、と云うんだよ」

 そして「今は舞が受け取った挑戦状の件でイソガシイから、イロハ歌の作者に関する考察やら、文字列に込められた暗号に関しては別の機会に、ね!」と結論した。


 舞も「そうそう。今は目の前のモンダイが最優先」と続けて

「どうしても気になるなら、第26回江戸川乱歩賞受賞作の『猿丸幻視行さるまるげんしこう』をお読みなさい。日本の暗号推理小説の代表的傑作だから。イロハ歌の謎にも言及されてるよ」

とアドバイスした。


『猿丸幻視行』とは、井沢元彦が1980年に発表したアクロバティックな歴史推理小説。

 若き日の折口信夫おりぐちしのぶが探偵役となり、三十六歌仙さんじゅうろくかせんの一人、猿丸太夫さるまるだゆうが遺した暗号を解読して、巨大な財宝の行方を追う。


「I see」と亮平は二人のレディに応じると

「で、イロハ順に一文字上げすると?」

と修一に確認した。

目論見もくろみ通りなのを疑ってはいないけど」


 修一は軽く頷くと

『お→の ほ→に え→こ や→く ま→や

 い→す く→お の→ゐ の→ゐ み→め ち→と の→ゐ

 と→へ ほ→に け→ま れ→た は→ろ

 ま→や た→よ ふ→け み→め も→ひ み→め す→せ

 あ→て ま→や の→ゐ は→ろ し→み た→よ て→え』

と挑戦状の暗号を、元の和歌に変換した。

「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立。えて『この』和歌を送ってくるところがニクイよねぇ」


 ところが亮平は「片山よ」と浮かない顔をしている。

「送られてきた挑戦状が、百人一首の中にある”誰でも知っていて当然だ”という和歌だ、という事については今や疑う余地もない」

「しかし、だ」と彼は続けて「カヅルなにがし女史が、敢えてその和歌をチョイスしたのか何故なぜか、というのが理解できなくてだな」


 亮平の発言を聞いて「ハァ~、情けない。だから近頃の若いモンは」と脚本書きが顔をしかめ、大袈裟おおげさ蟀谷こめかみを押さえてみせた。

「古文の授業は無駄だ、なんて無責任発言するテレビ番組があるものだから、若年層の無知蒙昧むちもうまいさに拍車はくしゃをかけてるんだよ」

 そして、ビシイッと音が出るような勢いで亮平に向けて人差し指を突き付けると

「知識を付けるという事は、知恵を生み出すための基礎工事なんだ。強固な土台無くして、堅牢な構造物は組み上げられないと知り給え」

と言い放った。

「”若さ”なんて、い目だよ。我々は……我々の今やるべき事は、目の前にある過去から続く膨大な知識の沼を飲み干す努力をすることなんだ。胃袋の容量からして、たとえその努力が蟷螂之斧とうろうのおのに過ぎないとしても」


「どうどう」と純子は親友の手綱たづなを引いて「押さえて、押さえて」と暴走を止めた。

「別に倉科君が日常の努力を怠っているわけじゃないじゃん。生物学分野に関しては、舞より遥かに膨大かつ詳細な知識を集積してるんだからさ。興味のベクトルが違う方向性を採ってるだけだよ」


 純子からたしなめられて、脚本書きはハッと我に返り

「あ……ああ、申し訳ない。倉科君」

と土下座する勢いで頭を下げた。

「近頃SNSで、妙な無教養マウントが流行はやってたりするもんだから頭に来ててね。ちょっとオラついてしまった……」


 女子とのコミュニケーションを不得手ふえてとしていた亮平は――美少女から叱責しっせきされた上に直後に激しい勢いで謝罪され――相当に面食めんくらったようだが

「ええっと……こちらこそ申し訳ない」

と同じく頭を下げた。

「古文や漢文の時間には、時に睡魔すいまに襲われるというか……ヒュプノスの誘惑に逆らえない時があったりしてさ」

 そして「キミの『若さなんて負い目だよ』って警句けいくには、正直、胸を突かれた」と真面目な眼差しで誠実に対応した。

「そうなんだよな。少年老い易く学成り難し」


「そうそう。一寸の光陰軽んずべからず」と純子は、亮平が引用した朱子しゅしの漢詩を続け

「片山クンが『ニクイ』と言った意味は、この和歌が詠まれた背景にあるんだ」

と微笑んだ。

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