10)小式部内侍と藤原定頼の「ゲーム」
「ちょっと待ったァー!」
脚本書きが勢いよく立ち上がり、結果、座っていた椅子が後ろに倒れてけたたましい音をたてた。
けれど舞はそんなことに頓着せず、ズイと探偵に詰め寄った。
「出来レースだった、と言うわけ?! あの歴史に残る名対決、究極ザマぁ展開が?」
「うん」と修一は涼しい顔で頷く。
「両者が共に巨大な利益を獲得することが出来る完璧な非ゼロ和ゲーム。一見すると小式部内侍が名声を得て、定頼が面目を失ったゼロ和競合の一幕に見えるけれど」
「うーん! 分からん」と脚本書きは、棒立ちになったまま髪の毛を搔きむしる。
「いや、片山くんが言わんとする事が分らんワケじゃないよ。今の今まで、行成と清少納言のゲームの話をしてたんだから。けどね、勝者 小式部内侍の『大江山』の和歌は即興の産物だし、敗者 定頼には何の得点も利益も無い。ただただ恥を晒しただけじゃん」
舞が唸っている間に、亮平は倒れた椅子を起こして「ま、落ち着いて」と着席を促した。
「片山が言っているのは『日本史もしくは日本文学史における大江山事件の真相』の究明ではなく、あくまで『カヅル某が暗号化した挑戦状に何を託したのか』を推理する思考実験なんだからさ」
そして「俺としては、早く先を聞きたいって感じかな」と修平に続きを促した。
「先ずは、非ゼロ和ゲームだったとした場合、『大江山』の和歌が即興で生まれたんじゃない可能性の所なんかから。だって、何らかの共通の利益を追求するゲームである限り、少なくとも達成目標とゲームのルールの共有が必要だ。加えて『使用されるアイテムなりツール』が双方に周知されていると都合がよいワケだろ? 非ゼロ和ゲームの代表例の一つとして挙げられることが多い『営利誘拐』でも、『人質を安全に開放する』という共通の目的のために『身代金』というアイテムが用いられ、『金と身柄の引き渡し』のルールを共有する。そして小式部内侍と定頼の間で行われたゲームでは、最重要アイテムは和歌だったわけだ。両者とも歌人であるわけだからさ」
「うん、ありがとう」と探偵は、亮平が興奮した脚本書きを宥めて、会話ができる状態に回復させてくれた事に礼を言い
「小式部内侍の母 和泉式部が、生野経由で丹後の大枝に向かう旅の日程は、宮中では公知の事実だったわけだろ。今と違って、思い立ったら即出発、ってわけにはいかなかった時代なんだから。徒歩の長旅だし、登山家が北アルプス縦走する時みたいに準備に時間がかかっていたのは間違いない」
と、和泉式部の不在というイベントが、予定されたものであることに注意を喚起した。
「だから『大江山 いく野の道の 遠ければ まだ踏みもみず 天橋立』という和歌は、誰ぞクレーマーからイチャモンを付けられる前に創っておく――あるいは用意しておく、準備しておくと言い換えてもいいけど――のが可能だった」
「いや、ちょっと待て」と亮平が異議を唱える。
「たしかに『大江山』・『いく野の道の』・『遠ければ』の各分節、それに『天橋立』のシメは準備していて――されていて――も不思議は無い。旅のスケジュールはハッキリしていたんだからね。それを詠み込むだけだ。……しかし最重要部分というか……その和歌が評価されたキモの部分『まだふみもみず』は、イチャモンが『実は貴女の詠む歌は、お母上から手紙で教えてもらっているのでしょう?』という嫌味に対する返答としての時のみ、『行ったことが無い』と『手紙は読んでいない』のダブル・ミーニングとして輝くわけで」
「倉科君の言う通りだね。小式部内侍が『大江山』の和歌を予め仕込んでいたとしても、『手紙でメッセージの遣り取りをしているのだろう』と文句を付けられない限り、見事な意趣返しにはならないんだよ」
と脚本書きも考え考え亮平の疑念を支持した。
「仮に定頼のイヤミが『アドバイザー不在では、まともに歌なんか詠めないんじゃないですか?』という、”手紙”というキーワードを含まない言い回しだったとしたら、言い返すには別の和歌が必要になる」
そして「時間はタップリあっただろうから、いろんな言われ方のクレームパターンを想定して、反撃和歌をそれぞれに作成しておくって手も無いではないけど」と考え込んだ。
「だからこそ、ウチの相方は『そんな手間ヒマかけなくても、サクラのクレーマーを仕込んでおけばよい』と考えたんだ。『ちゃんと手紙というキーワードを使ってくれる』」
と純子は修一の顔を見た。
「いや……花鶴ちゃんが『そう考えたんじゃないか』と推理したんだね」
「岸峰の言わんとする事が分らんではないが」と亮平は、今度は純子に反論した。
「定頼がそんな出来レースに乗るかねぇ? ピエロ役を引き受けても、定頼には何の利益も無い。評判を落としただけだろう? まあ岸峰自身の読み筋ではなく、片山のアタマの中をトレースした結果なんだろうけど」
「そうだよ」と脚本書きが、亮平と息の合ったところをみせる。
「定頼は恋多き色男。キミの昼行燈とは違って、女性に不自由はしていないんだよ。小式部内侍が『パンツ見せたげます』って誘ったくらいじゃ『No,thank you !』でオワリ」
「いや、でもさ」と純子が脚本書きに反撃に出る。
「恋愛ってモノは、好きな人から好かれるって関係が、理想というか幸せじゃん。いくら定頼が恋多き男だったとしても、小式部内侍に『オレが求めていたのは、この娘だっ』って惚れてしまっていたのなら、自分を好きになってほしいと思うのは自然な感情であるとも云えるわけで」
「純子の言うコトに一理あるのは認めるよ」
と脚本書きは鷹揚なところを見せた。
「平安貴族の恋愛事情の乱脈ぶりには、私らなんか付いていけないところがあるし、定頼だけじゃなくて当の小式部内侍も――彼女、二十歳だか21歳の若さで亡くなるんだけど――恋多き女性として知られている。二人が関係を持ったことが有ったのかも知れない」
「けれどね」と脚本書きは続けて
「定頼は既に歌人として名声を博していたし、対して小式部内侍は良い歌詠みとの評判はあったけど、それは『母親に代作してもらっているのではないか?』というクエスチョン・マーク付きクラスだったでしょ? 定頼に比べて歌人としての序列は明らかに下だったんだよ。けれど『大江山』の一件以来、定頼と小式部の序列は対等になったか、あるいは逆転した。ただし定頼の――人物としての評価ではなく――歌人としての価値は変わらないから、小式部サイドの評判が爆上がりしたってコトになる」
と指摘。
「道化役を引き受けることで、定頼は小式部を物にすることが出来たのかもしれないけれど、ニンゲン定頼としての評判は落としたわけだし、それが数回の情事に引き合うに足る報酬だったと云えるかねェ?」
「そうは言うけど現在だって、痴情の縺れが犯罪の動機であった例には事欠かない。ロマンス詐欺に引っ掛かるヒトだっているし、推し活が行き過ぎたが故に犯罪に手を染める例もあるわけだ。人間生活において、恋愛感情は決して少なくない影響を及ぼす。だから小式部内侍の色香に迷った定頼が、自発的に助力を申し出た可能性が無いではない。『何かお困りの事はありませんか? 私でよければ力になりますよ』ってね」
探偵は、恋愛感情からによる協力の可能性を否定しなかったが、それは”あくまで一つの可能性”の指摘であるというのを隠さない口調だった。
しかし、と修一は続けて「今は、花鶴女史がクイズ出題者という事を忘れてはいけないよ」と、脚本書きが『実在の人物 藤原定頼』に引っ張られ過ぎているのに注意を促し
「水口さんは、花鶴女史と『情事を含む恋愛関係』を構築したい、と考えているわけではないだろう?」
と確認した。
「このクイズでは、花鶴女史が自身を小式部内侍になぞらえて、水口さんが定頼役なんだから」
意外過ぎる指摘を受けて、脚本書きは
「ぐッ……」
と言葉を失った。
一方で亮平は「そうか!」と悟った様子。
「小式部と定頼は共に歌詠み。そしてカヅル某と水口さんは共に脚本書きだ。加えて小式部はカンニングを疑われている駆け出しで、カヅル某は前任者の七光りではないかと実力を疑問視されている。そして定頼と水口さんは、既に実績持ちの実力者で……」
「うん」と探偵が、生き物マニアの読み筋に同意を示した。
「水口さんに、定頼が小式部内侍にやったのと同じように私に力を貸して欲しい、と頼んできたんだよ。それが簡単すぎる暗号メッセージの謎の答えなんだろうね。依頼というかお願いなんだから、解いてもらわなきゃ意味がない。分からないままに放置されてしまったら、花鶴女史は窮地に置かれたまま、針の筵なんだろうね」
「意味は分かったが、虫の良すぎる”お願い”だよなあ」
亮平は素直に不服を口にした。
言葉に詰まったままの脚本書きの気持ちを代弁した、ともいえる。
「定頼には『束の間の恋愛関係』みたいな報酬が用意されたのかも知らんけど、水口さんがこのゲームから受け取れる報酬は何も無い」
ガシャン! と再び椅子の倒れる音がした。
しかし今度立ち上がったのは、舞ではなく純子だった。
「違う……違うよ! 定頼が手にしたのは束の間の恋愛なんかじゃ、ない!」
探偵は柔和な目で相棒を見遣ると「僕もそう考えたんだ」と微苦笑した。
「定頼が――定頼と小式部内侍のコンビが――手に入れた物は『千年の名声』。少なくとも花鶴女史は『大江山』のエピソードを、そう読み解いたんだと考える」




