1)持ち込まれたメッセージ
「ねえ、ちょっと! コレ見て欲しいんだけど」
大戸平高校映画研究部の脚本書きは、例によって生物研究部のドアをノックも無しに乱暴に開けると、一枚の紙を振りかざして、けたたましく乱入してきた。
水口舞、才気煥発・眉目秀麗な美少女である。
ただし、玉に瑕とでも評すべきか、少々ガサツな所が無きにしも非ず。
しかし今日は、いつも生物部室で蜷局を巻いている岸峰純子と片山修一の腐れ縁コンビに加え、倉科亮平がノンビリ堅パンでお茶をしているのに気付き、ぎゃあ、と顔を赤らめた。
「ここで何してるのよ、倉科君?!」
「なにをしているって言われても……」
亮平は赤面した美形の脚本書きに問い詰められて、日に焼けた精悍な顔に当惑の表情を滲ませる。
「俺、一応は生物部員だからね。入学当初からの」
倉科亮平、本人が自己申告している通り、熱心な部員の一人だ。
ただし、彼の活動はフィールドワーク主体に偏っており、放課後・休日は雨天晴天にかかわらず、自転車を飛ばして有明干潟に出向いていることが多いから、確かに部室に顔を出すことが稀なのは事実である。
「倉科君はデータ整理で忙しいんだよ。魅惑のトビハゼ画像をだいぶ溜め込んだみたいだからね」
あまり親しくない女性との交流を苦手とする亮平に代わって、岸峰純子が理由を代弁した。
純子も舞に負けず劣らずの美少女なのだが、同じ生物部員で顔馴染ということこともあって、口下手な亮平も純子相手であればスムーズに口を開くことができるのである。
現に今の今まで、亮平はデジカメのメモリーカードにパンパンに詰め込んだトビハゼの画像と動画とを、純子と修一に披露しながら『魚のくせに水が大キライ』なトビハゼの魅力を力説していたところであったのだ。
「魅惑のトビハゼ画像?」
美形の脚本書きは、語尾のトーンを吊り上げて疑惑の声を上げた。
「よもや、ガタリンピックに参加している女の子の盗撮写真とかじゃないでしょうね?!」
ガタリンピックとは、鹿島海岸の干潟で行われる泥の祭典、干潟の泥に敷いた板の上を自転車で駆け抜けるとか、腰まで泥に浸かってタイムレースを行うなど様々な競技が行われる大人気の催しである。
まさか舞も、亮平が純子相手にウエット&メッシーな妙齢女性のフェチ画像を披露していたなどとは思ってもいないが――照れ隠しの勢いだ――かなり失礼な発言をしてしまった。
「いや水口さん」と亮平が、優雅な物腰で脚本書きにノートパソコンを差し出した。
「この動画を観てよ。トビハゼのコケティッシュな魅力って、まあ、普通の女子高生なんかの上を行くんだから」
肩の力が抜けた、物柔らかで諧謔味に満ちた声。
女子との応酬を苦手とする亮平でも、こと大好きなトビハゼに関してならばスンナリと対話が弾むらしい。
亮平に対して『ぶっきらぼうな男だなぁ』という印象を持っていた舞であったが
――彼、こんな声も出せるんだ……。
と、素直にモニターを覗き込んだ。
コケティッシュの本来の意味は『蠱惑的な』とか『おもわせぶりな』、あるいは『小悪魔的な』とかいった、セックスアピールを含んだ形容であるのだが、亮平が”ここ”で使っているのは派生的・誤用的な『ボーイッシュでありながら小動物的に可愛らしい』といった意味合いであろう。
実際、満潮が寄せてくると、大急ぎで陸へ高みへとピョンピョン逃げ出すトビハゼの慌てぶりは微笑ましい。
泥の上で、胸鰭を前脚がわりに器用に使って、魚類というよりまるで両生類のように動き回るのだ。
「皮膚が濡れていないと皮膚呼吸ができなくて死んじゃうんだけど、水に浸かりっぱなしになるのは大嫌いなんだよ」
亮平の解説に、舞は「魚類が陸上に進出するようになったのは、トビハゼみたいな変人がキッカケだったのかねぇ」と微笑んだ。
「サカナを変人呼ばわりするのも妙だけど」
「肺魚の仲間は、成長するにしたがって鰓が退化し、肺呼吸するイキモノになるんだけれど、トビハゼはそこまで鰓呼吸の排除に徹底はしていない。また泥鰌は口から消化器官へと空気を取り込み、腸で呼吸することもできるんだよ。腸呼吸って呼ぶんだけれど。だから泥鰌を観察してるとオナラが多いんだ」
舞から、大好きなトビハゼを変人呼ばわりされ、亮平は少し気を悪くしたようだ。
「トビハゼは特徴的な魚ではあるけれど、奇行種呼ばわりみたいなマイナスイメージのレッテル貼りは、ほどほどまでにしてほしいね。生物って、どんな種でも興味深い特色に満ち満ちているんだから」
逆鱗に触れた、とまでは言わないけれど、不興のツボくらいなら押してしまったものとみえる。
舞と亮平との間の空気が、緊張に満ちたものになりかけた、というのを読んだのだろうか
「ところで水口さん、トビハゼの魅力は一旦脇へ置くとして」
と片山修一が、ふわっと口を挿んだ。
「なにか緊急に見て欲しいモノがあったんじゃないの? 手紙かなんか、振りかざしていたみたいだけど」
「そうそう、トビハゼの魅力を伝えてもらってる最中に悪いんだけど、ゴメンね倉科君」
片山クン、サンクス! 時の氏神・渡りに船、と脚本書きは心の中で修一に手を合わせ、テーブルの上に一枚の手書きの400字詰め原稿用紙を差し出した。
「ワタクシ、どうも挑戦状を叩きつけられてしまったみたいなんだよ」
そこには走り書きなどではなく、まるでペン習字の教本のように一字一字几帳面な文字で
『はるの推理
のにこくやすおゐゐめとゐへにまたろやまけ
めひめせてやゐろみよえ』
と記してあった。