とん、たたん。
音がキーワードになるホラーが書きたくて悩んでいたところ、今年のホラー企画テーマを聞き、いい感じに練り込めたので、投稿しました。
仕上がってからふと、最初に考えていた音は、たん、ととんだったなぁと気がついたのが、一番のホラーです。
初めてその音を聞いたのは何時だったか。
たぶん、四歳。
ショッピングモールで迷子になったときだったと思う。
一生懸命集めていた、大好きな恐竜シリーズの食玩。
六個の内最後の一個を見つけてしまい、そこから動けなくなったせいで、母に置いて行かれてしまったのだ。
母に悪気などない。
優しく子煩悩な母だ。
僕が恐竜の食玩を集めるのも許してくれて、最後の一個を見つけたら買ってくれると約束もしてくれていた。
ただ。
夏の最終バーゲンセールの誘惑に勝てなかっただけで。
しっかり握っていたはずの手が離れても、汗で滑ったのを拭いているから手を握り直さず。
僕があとから付いてきているのだと信じて疑わなかったと。
帰宅時に申し訳なさそうに言い訳をされた。
実際その通りだったと思う。
母はたくさんの戦利品を抱えていたが、そのほとんどが僕に関する品物だったのだから。
僕が欲しくて仕方なかった、恐竜食玩の一個までもがきちんと購入されていたのだから。
どこからか母が僕を見失ってしまった話を聞きつけた父が、母を怒鳴りつけていたけれど、貴様にそんな資格はないと言いたかった。
妻や息子と出かけるよりも愛人を選んだ男に、愛情深い母のうっかりを責める権利などないのだと。
話がずれた。
音の話だ。
母を見失って途方に暮れていた僕の耳に聞こえてきた不思議な音。
とん、たたん。
母親が鼻歌を歌いながらリズムを取るときに叩く音に似ていた。
とんは、中指だけで。
たたんは、親指を除いた四本の指で。
テーブルや机など硬めのものを叩くときに、聞こえる音。
だから耳を澄ました。
澄まして、音が大きく聞こえる方向へと歩き出したのだ。
とん、たたん。
エスカレーターに乗ろうか。
乗るとしても、上へ行けばいいのか、下へ行けばいいのか。
迷う度に音が聞こえる。
とん、たたん。
上から大きな音がしたので、迷わずエスカレーターに乗った。
四歳児が一人で行動していれば、ショッピングセンターの職員や善意の大人たちが声をかけてくるのが一般的な流れだろう。
しかし。
この音が聞こえているときは、不思議と他者の介入がなかったのだ。
だから自分が迷子の自覚を持ちつつも音に導かれて、最上階のバーゲン会場で一戦闘を終えた母と再会できたのだろう。
我に返った母にぎゅうっと抱き締められて、恐竜食玩の最後の一個を渡されて、大好きなメロンパフェまで食べた僕は、一人になってしまったと気がついたときの言い知れない不安などあっという間に忘れてしまったのだ。
次に音を聞いたのは、両親が離婚するときだった。
家を出て行く父は、愛人と一緒になると決めたくせに、僕を捨てる気がなかったらしく、
最後まで僕を連れて行こうとした。
けれど僕は頑なに父の手を取らなかった。
家の中で静かに泣いている母の元に残ると誓っていたのだ。
何故ならあの音が母のすぐそばで聞こえていたから。
勿論テーブルに顔を伏せて涙を流し続ける母の指は、音を刻んではいない。
だが、聞こえた。
とん、たたん。
とん、たたん。
とん、たたん。
音はショッピングモールで耳にしていたときよりも力強かった。
繰り返されたのも初めてだった。
だからこそ僕は、絶対に母のそばを離れないと決めたのだ。
専業主婦だった母は、慰謝料と養育費をしっかりと取った。
母は強しだなぁと、ぼんやり思った十五歳。
中卒はさすがにマズいが行きたかった私立高校は無理だろうと、公立に行くと決め教師に相談したら、そこから母親に話がいって怒られた。
息子が好きな進路を選べるように貯蓄するのが母親の役目なんだ! と胸を張られて、僕名義の預金通帳を見せられた。
見間違いかと大きく目を見開くほどの金額が記されている。
しかもそれは定期的に振り込まれていた。
曰く。
母はブロガーとのこと。
親の強制で決められた結婚に不満を持っていたので、話を持ち込まれた頃から公開ブログをつけていたのだそうだ。
書籍化もしており、一番人気のタイトルは『慰謝料と養育費の上手な運用の仕方』だそうな。
ついでに一番人気のブログ記事は『元夫と愛人のそこそこ悲惨な末路』だった。
社内不倫で不倫期間も長く、倫理問題に厳しかった会社だったから、二人とも解雇処分を受けたとのこと。
退職金が出たにもかかわらず、ほとんど慰謝料や養育費に持っていかれたから、日々悲惨な生活らしい。
母が、私の真似をして一稼ぎしたかったんだろうけど、この人文才なさすぎ! と見せてくれた、愛人だった女性のブログは、俗に言うお花畑ポエム集だった。
うん。
お金をもらっても読みたくない。
母の勧める一番理解しやすい記事を読んでも首を傾げた始末だ。
それでも僕が二十歳になるまでは続いていた。
結局金銭面での折り合いが付かずに別れたのだと、これまた悲劇のヒロインも真っ青の自己憐憫に溢れた描写で綴られていた記事を頑張って読んだ。
別れてすぐに母へ復縁要請がきたというのだから笑えない。
僕自身は全ての連絡手段を遮断していたんだけど、母はブログ記事ネタのために残していたのだそうだ。
ありとあらゆるお断りだ! という文章、顔文字、スタンプを送信したら、それっきり。
母も口にしなかったため、父の末路は知らない。
ただ、幸せではなかっただろうなぁ……と推測はできた。
次に音を聞いたのは母の死後。
外国へ行くか行かないかを、迷っていたときだった。
そこそこ名の知れた会社でサラリーマンをやっていた僕は、会社からの指示で年に一度の健康診断は欠かさなかったが、母は違った。
『個人事業主の健康診断って面倒臭いのよねー。経費で落とせないから余計に、積極的に受ける気になれないのよ!』
……と愚痴を零していた。
そんなことを言わずに最低でも年に一度は受けなよ? と注意はしていたけれど、忠告はしていなかった。
もっと強く言っていれば。
自分が受けるとき、必ず誘っていれば良かったと、後悔しても遅かったと気がつかされたのは。
末期の乳がんで、転移が全身に広がって手の施しようがないと。
母自身の口から聞かされたときだ。
屑であったが父との離別を経験していたので、母には常に親孝行をしようと考えて、努めてきた。
会社の人間や友人、親戚や母本人にも親孝行な息子だと、よく言われてもいた。
だからといって恩が返しきれたとは思っていなかったし、何よりもまだ母に生きていてほしかった。
別れたくはなかった。
だが、母は亡くなった。
本人は最後まで気丈に笑っていて、僕にすら辛そうな様子をほとんど見せなかったのだ。
これから第二の人生を歩んでほしかったのに。
屑な父とは違う男性との結婚だって、絶対に賛成したと思う。
もっともっと幸せでいてほしかった。
余命宣告を受けてからずっと落ち込んでいた僕に対して親戚は寄り添ってくれなかったのに、母が亡くなった途端に掌を返したのが、僕に外国への移住を決めさせた最大の要因。
母は結構な資産を僕一人に残してくれたから、親戚からのたかりが酷かったのだ。
普段は疎遠だったくせに。
母に対して父に浮気されて捨てられた惨めな女と、陰口を散々たたいていたくせに。
結婚もしていないお前より、有効に使えるんだよ、俺は! と叫んだのは、母の兄だ。
家どころか会社にまで押し掛けてこられて、気がついてしまった。
僕のために母が実の兄と疎遠にしていたのだと。
母を思い出すのが辛く、それ以上に優しい思い出に浸る時間すらも許されず、疲弊した僕は海外赴任を打診された。
場所はイギリスだった。
霊的な存在に寛容な国。
そんな印象を昔から抱いていた。
ここでなら、霊となった母と一緒に暮らせるのでは? などと考えてしまった僕は、随分と病んでいたのだろう。
それだけ、伯父とその家族の非常識な行動に追い詰められていたのだ。
渡されたイギリス行きの資料を前に大きな溜め息を吐いた瞬間、また聞こえた。
僕の選択を促す音が。
たん、ととん。
資料の中から聞こえた気がして、僕は資料に耳を押しつける。
音は小さかった。
けれど鳴っていた。
たん、ととん。
たん、ととん。
たん、ととん。
たん、ととん。
たん、ととん。
母の指が、すぐそばで鳴らしてくれているようで。
僕は随分と長い時間。
その音を聞いていた。
社長が伯父の始末を引き受けてくれると背中を押してくれたので、僕はなけなしの気力をかき集めてイギリスに飛んだ。
永住は考えていなかった。
そのときは。
イギリスは思っていたより住み心地の良い国だった。
日本語ほどではなかったが、英語を使えたのが一番の理由だろうか。
地元の人たちとのコミュニケーションに不自由はなかった。
自然が多いのもいいし、美術館や博物館が無料で入れるのもいい。
天候が変わりやすく雨の日が多いのも苦にはならなかった。
目の前が見えない一面の霧にも慣れたしな。
物価は高いが会社からの手当があったし、定期的に社長が送ってくれる日本料理セット(調味料中心)のお蔭で、日々の生活を平常心で過ごせるようになった点には、心の底から感謝した。
一人の生活にも慣れた三十歳のときに、見合いをセッティングされた。
社長の手配だったので断る選択肢は当然ない。
どんな相手でも前向きに頑張ろうと胸に誓い挑んでみたら。
待ち合わせ場所のおしゃれなカフェで待っていたのは、金髪碧眼でプロポーション抜群の美女だった。
二十五歳と言っていたが、十代でも通じそうな若々しさに、僕はただ驚くばかりだ。
美人も過ぎると敬遠されるっていう、アレかな? などと思いつつ、交際は進む。
明るく優しく料理上手。
女性経験の少ない僕でもわかる、所謂超絶好条件の物件。
さらには爵位持ちの資産家。
自分の手には余ると思って交際を終了しようとする都度に、邪魔が入る。
音は、聞こえなかった。
付き合って半年、彼女から結婚を申し込まれた。
彼女の親族だけが集まったパーティー会場で、慣れないテールコートを着ていた僕に向かって彼女は言った。
『私に永遠の愛を誓わせてください』
と。
断れる状況ではないだろう?
でも僕は断りたかった。
だって、音が聞こえていたのだ。
初めて聞く音が。
だん!
だん!
だん!
だん!
だん!
両拳で思い切り壁を叩くような。
牢屋に閉じ込められた人間が最後のあがきにと、鉄格子を殴るような。
激しい音が耳元でずっと。
頭痛までしだした中で、日本を想う。
母だけが眠る小さいけれど、永年供養をきちんとお願いした墓が浮かんだ。
たん、ととん。
優しい音が遠くに聞こえた。
あぁ、帰りたい。
日本へ。
無理ならば、母の元へ。
思慕が募れば音も強くなる。
たん、ととん。
だん!
だん!
たん、ととん。
たん、ととん。
たん、ととん。
だん!
だん!
だん!
だん!
だん!
たん、ととん。
た、ん、と、と……だんっ!
何時だって正しい場所へと導いてくれる音が切れ切れになり、断ち切られて、僕は気絶した。
そこから先の話はしたくない。
傍目から見れば僕は逆玉の輿を果たした、運の良い幸せな男に見えるだろう。
だが現実は違う。
不思議な音が聞こえる僕は、その特異な能力を引き継がせるための種馬に選ばれただけの存在だったのだ。
音の話をしたのは数人。
そのうちの一人に社長がいた。
いろいろと、仕組まれていたのだろうと、絶望の淵で思う。
望まないハーレムはただの地獄だと、経験した者だけが理解するのだろうか。
結局僕は日本へは帰れていない。
恐らく死んでも帰宅を許されないと思う。
あの優しい音は聞こえない。
代わりに聞こえるのは。
だん!
全てを断ち切ろうとする、あの音だけ。
恐らく彼女やその親族が望む僕の特殊能力とやらが、産まれてくる子供たちに受け継がれることはないだろう。
母は僕を愛してくれたけれど。
僕は僕の血を受け継いだ子供を、愛せやしないだろうから。
今年はもう一本仕上げるつもりです。
よろしかったらそちらもお願いします。
この調子で執筆が止まっているデスゲーム作品も仕上げたいなぁ……。