ウサギの恩返し
「俺、久しぶりに帰省してきたけど、家変わってないね」
「懐かしいでしょ。全部そのままなの」
「お母さん、少しは整理した方がいいよ」
「母さんは昔っから片付け出来なかったもんな。俺が手伝ってやろうか?」
「ううん。いいの。この方が落ち着くから」
「お兄ちゃんもお母さんも片付け出来ないタイプだもんね。アタシはお父さんに似て、綺麗好きで良かったよ」
「ふふ。そうね。あの人も天国でお掃除張り切ってやってるんじゃないかしら」
「父さんが死んでもう五年? 早いよなー。時間が経つの」
「鮮明に思い出せるよ。アタシは」
「明日香はお父さんっ子だったもんな」
「お兄ちゃんはマザコンじゃん」
「雪斗はねぇ。小学三年生になるまでお母さんと一緒の布団で寝てたのよね」
「はぁ? いつの話してんだよ。恥ずかしいから、止めろよ」
「お兄ちゃんって幽霊とか怖がっちゃって、小六までおねしょしてたし」
「ちょ。何々。帰って来て早々、辱めですか? 酷くない? 二人とも」
「お兄ちゃんの事、大好きって話だよ。喜べよ」
「はぁ? 何それ。全然文章の脈絡合ってねーよ。そんなんじゃ夢の漫画家とかなれねーぞ明日香」
「ふふ。明日香と雪斗は、いっつも口喧嘩ばかりしてたわねぇ。お母さん、ちょっと心配」
「何も心配する必要ねーだろ。仲が悪けりゃ話もしないだろうし。俺達、見てみ?」
「うん。お母さん心配しないで。ってゆーか、アタシはお母さんが心配だよ。ホラ、ここ」
明日香が母さんの足首を指差す。少し赤みがかかっていて、膨らんでいる。捻挫だろうか。ってか、母さん何時捻挫したんだ?
「大丈夫大丈夫。これくらいなんて事ないの」
「病院行った方がいいんじゃね?」
「ほら。お兄ちゃんも心配してるし」
「お母さん、病院は……ほら……」
母さんが口籠る。場の空気が少し重くなる。……あれ。何だろう。母さんって、そもそも何で病院行きたがらねーんだっけ。……あれ。
「お兄ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」
「え? 嘘……。そんな変?」
「うん変。……思い出したんじゃない?」
「雪斗……」
母さんは今にも泣きそうな表情で俺を見てくる。あれ。……俺、大事な事忘れてる……?
キ──ンと頭痛に襲われる。
フラッシュバックする俺の記憶。
写真が何枚も何枚も捲られていくような感覚。
実家の田んぼ、俺の部屋、物干し竿、軽トラック、母さんの手──。
母さんの手。冷たかった。──あれ。
気がつくと俺はポロポロと涙が溢れていた。
「母さん、死んでたんだ……」
「お兄ちゃん……」
「雪斗……」
母さんも明日香も泣き出した。何で、こんな大事な事忘れてたんだろ、俺。
大切な者を失う悲しさは、父さんの時に嫌という程味わった。俺、忘れたかったのかな。悲しさから目を背けたかったのかな。つーか、目の前にいる母さんは幽霊って事?ロマンチック過ぎんだろ。でも、神様ありがと。最後にこうやって会話できて、俺、何てゆーか……。
「交通事故って……」
「何で……飛び出して来たウサギを避けて……自分だけ死んで……」
ウサギ──?
「アタシ……。自分に霊感あるって知ってビックリしたけど、こうやって会話できて……すごい嬉しいっ……けど辛い。思い出しちゃって……」
「明日香、いるの? ここに、雪斗が?」
「さっきバチバチお兄ちゃんと目合ってたよ」
「嘘!」
嘘! って言いたいのは俺の方なんだけど。でもウサギって言われて俺は全部思い出したよ。そうだ。俺は夜中、呑気に運転中、飛び出して来たウサギを思いっきり避けて電柱にぶつかって──。
冷たかった手は、俺の方だったんだな。
何だよ、これ。
「おい明日香。俺の声、聞こえてんのか?」
「うん聞こえてるよ」
「え? 雪斗は何て言ってるの?」
「え? 何か自分が死んでるって分かって、ちょっと喧嘩腰なんだけど」
「は゛? おま、俺の気持ちが分かるか? この、この何とも形容し難いだなぁ〜……?」
突如、母さんはダムが決壊したみたいに大泣きし出した。そんな悲しそうにされると俺も泣けてきちゃうんですけど? 明日香もまた、目にいっぱい涙を溜めている。
「ちょっとお兄ちゃん。っあ──。何だっけ。何言おうとしたんだっけ? あれ。おかしいな。もう一度会えたら言いたい事いっぱいあったはずなのに。忘れちゃった。もー。こっち見ないで」
「ったく。相変わらず、口を開けば感じ悪いのな。俺も、何か、こんな明日香に何て……何て声かけてやりゃぁいいのか分かんねー……ヒック」
お互い嗚咽まじりに泣いた。母さんもワンワン泣くもんだから、明日香が後ろから背中をさすってる。
一頻り泣いて、明日香と目を合わせる。お互い、スッキリした顔になった。
「ま、じゃあ行くわ」
「成仏の仕方分かんの?」
「分かんねーけど、行ける気がする」
「あっそ。もう戻って来なくていいからね」
「お願いされたって帰って来てやらねーよ」
「雪斗……」
母さんは、顔が変わるくらい目が腫れて、喉もやられてる。ちょっと、また泣きそうになるから止めてください。
「何?」
「お兄ちゃんが『何』って」
「いつまでもいつまでも愛してる」
っ。俺は目頭を右手で抑えて、明日香と母さんに背を向けて左手を振った。
体が軽くなる感覚と、寝る前の意識がなくなっていく感覚に襲われた。
俺もみんなを愛してるよ。ありがとう。