ポジティブアレルギー
ネガティブが好きなわけじゃない。
ポジティブが嫌いなのだ。
流行りの曲は前向きになろう系。
聴いていると体がむず痒くなる。
だからボカロを聞く。
前向きとかなんて関係ない曲が多いから。
流行る本はポジティブになるためにとか。
読むと白けた気持ちになる。
だから漫画とかを読む。
現実の人間ができないことをするから。
著名人の説法を聞けば「前向きになること」。
聞くと逃げ出したくなる。
だからテンプレートの答えを出す。
惨めな時間を早く終わらせたいから。
結局万人に流行るのはポジティブ要素を詰め込んだものだ。
すぐに廃れるのにと思ってしまう。
今なお名を残して教科書に書かれている話や劇の主題歌になるような曲は見事にネガティブしかないような話だし、ニュースで飽きるほど流れるのはネガティブ要素満載だ。
街の一日の終わり頃に揺られる電車はネガティブの箱詰めで、田舎の一日の終わりに道路を走る車はネガティブの塊を丁寧に詰めた箱だ。
人が集まれば一番盛り上がるのは格下探しの恋愛話と悪口である。
私は弱い。秀でたものもないから得意なこともわからない。
私は異質のようだ。空気が読めない、人の気持ちが理解できない。『ようだ』とここでいうのは人からよく言われるだけで、よくわかってないからだ。
理解していることはひとつ。
私は格下の人間だ。
そしてポジティブアレルギーだ。
炙り出しのように、ポジティブという厄介な火は薄っぺらい紙に少しだけ油がのったような私の惨めな部分を周りの人間に教えるのだ。
人生やり直せるボタンが存在しない不便な世界で、蕁麻疹や気持ち悪さを覚える『ポジティブ』に耐えながら、能力も知恵も美貌も健康も金も生きる勇気も今すぐ死ぬ勇気もない私は結局明日も惨めに生きていく。
惨めに惨めに惨めに生きていく。