第7話 謝罪と心配
「昨日はすまなかった」
深々と頭を下げるのは悪魔のバーソロミュー……さんだ。玄関を破壊して無理やり侵入してきた荒々しさはなく、その誠実な態度に私は慌てる。
「頭を上げてください! 謝罪はもう昨日にもいただきました!」
「だってよ、アルフレッド」
「だからといって開き直るな。お前はそのまま頭を下げ続けておけ」
「いてててててッ。押さえつけるとか、本当に俺の親友か!」
「その親友の自宅を破壊したのは誰だ?」
死神様によって、バーソロミューさんはいつまでも頭を上げることができないでいる。
きちんと謝罪してくれたのだからと私は既にバーソロミューさんを許しているのだが、許しを乞うべき相手は私だけではない。直接的な被害を被った死神様にもあるので、本人を差し置いてとやかく言えなかった。何もできないでおろおろしていると、傍観していたブリギッテさんがにっこりと笑う。
「私にも遠慮なく暴力を振るってきたわよね」
ひえっ。ブリギッテさんもだった!
彼女も被害者であることを忘れてはいなかったが、普段の温厚な態度からこの状況を収めてくれると期待していた。
そんな二人の圧に私はバーソロミューさんでないのに涙目になっていると、死神様は押さえつけていた手を渋々どけた。
「……暴力に関しては、俺は先に振るわれた方だけどな」
「主様。この悪魔、つまみ出してもいいかしら?」
ほっと安心する暇もなかった。
呟きに敏感に反応したブリギッテさんを、死神様が「そうしたいところだが」と言って私を見る。
「そうね。フィロメナに免じて今日は見逃してあげる」
「今日見逃すだけかよ。これやるから、明日以降も頼むぜ」
バーソロミューさんが持ってきていた箱を渡すと、ブリギッテさんは中身を確認して「しょうがないわね」ととびきりの笑顔になった。私も気になって覗くと、種類の異なるケーキが詰められている。
「わああ!」
「フィロメナもお気に召したようね」
「これ、私もいただいていいのですか……?」
「ああ。そのために買ってきたし、足りねえならまた買ってきてやるよ」
「あら、それは私たちを太らせるつもり?」
欲に負けて、思わず買ってきてほしいと言うところだった。
ケーキは元いた世界ではとびきり高価なものだ。一つか二つ、食べられるだけでも贅沢なのだと、溢れそうになる唾液を飲み込む。死神様がいる前だ、はしたない。
「さっそく食っちまおうぜ。あ、俺の分もその中にあるからな?」
「お前、居座るつもりか」
「おう。俺はお前と違って仕事は休みだからな。死神は忙しくて大変だなあ」
「白々しい……」
死神様は何度も振り返りつつ、朝一で新しく設置された玄関から出て行く。
バーソロミューさんは悪魔だが、この世界では残酷や非道という意味にはならない。
悪人の魂を狩り取って執行する者を死神というように、その狩られた魂を管理する者を悪魔だという。
私のもつ悪魔の常識や初対面の行いからバーソロミューさんは恐くて苦手意識を持っていたが、言葉が荒々しいだけで悪意はなく気さくだ。太るといってもバーソロミューさんにあげるケーキはないとブリギッテさんから言われ、文句を付けつつも食べている姿を素直に見ている。そんな様子もあって、私の中から恐怖が薄れていく。
「そういえば病み上がりだったんだろ。もうよくなったのか」
「そうですね。だからケーキも二つ分食べられます」
「病み上がり関係なしに朝食をしっかりとったのだから、食べ過ぎで体調を崩すわよ」
私の遠回しの要求はブリギッテさんに却下される。ケーキは一人二つ分あって、私としては一度に食べてしまいたかったのだがお預けらしい。
だが、代わりに彼女のケーキを一口分貰えることになる。チーズケーキと濃厚な味わいが口の中で広がった。そのおいしさに頬が緩むが、尋ねたいことを思い出してなんとか引き締める。
「私よりもお二人はどうなのですか。激しい戦闘でしたし、痛むところはできていますよね」
「全く容赦なかったが、多少の痣ができたぐらいだ。この程度なんともねえよ」
「私もそんな感じね。そこまで痛まないにしろ、女の体に傷をつくってくれちゃってほんとどうしようもない男」
「あいつに使役されてんだから、そのぐらいほっときゃ治るだろ」
「軽症できちんと治るなら良かったです。……いえ、それも良くはないですけど!ですがその、ブリギッテさんが蒼い炎に包まれていたのは、大丈夫なんですか……?」
触れていい内容かどうか分からなかったが、思い切って尋ねてみる。脚から燃え上がっていたが、焼かれていそうでなく心配だった。
ブリギッテさんは踏み込んだ内容に気にすることなく、逆に笑い飛ばす。
「あれは火傷を負うことはないから、心配しなくてもいいわよ。そうね、見せたほうが分かりやすいかしら」
ブリギッテさんはロングブーツを履いていたのだが、突然脱ぎ始める。ひゅーと口笛を吹くバーソロミューさんに、私は慌てた。
「見ては駄目です! あっち、向いて!」
私は指を指すが、ケーキを食べている途中でフォークを握っているのを忘れていた。バーソロミューさんにめがけて飛んでいくのを、「はああッ!?」と驚かれつつも避けてくれる。
「おまっ、殺す気か! 不可抗力だぞ!」
「ご、ごめんなさい!」
「フィロメナ、大丈夫よ。この悪魔なら見ないように顔を背けることもできたし、見られて困るようなことはないもの」
たしかにブリギッテさんの脚は細くて長くて綺麗ですけど!
そう言い切れる自信を持っていて格好いいとも思うので複雑な気持ちになっていると、「それよりもほら」と脚を見るように促される。
膝上の太ももには、蒼炎と同じ色のギザギザとした模様が一周している。
「火傷……?」
「咎よ。私、生前は特に足癖が悪かったから、二度とそのようなことがないように力を制限されているの。どうも死神に使役される死霊は全員そんな処置をされるみたいでね。反対に使役者の力を貰うこともできるんだけど、フィロメナが見たのはそれね。大袈裟に蒼く燃え上がるから目立つのよ。悪ささえしなければ熱くもない無害なものだから、だから心配いらないってわけ」
「そうだったのですか……」
それ以外に言葉が出ない。冷や水をかけられたようだった。忘れかけていた、ブリギッテさんが悪人であったことを思い知らされる。
ブリギッテさんは私と同じように悪人ではあるが、能力を見出されて死神様に使役されることになった。その関係は犯罪者に対する厳しい扱いではないように見えていたが、目に見える形で常日頃から悪行を咎められている部分がある。
使役される死霊の暗い事情も知ることになって、私はその雰囲気に引きずられる。だが、ブリギッテさんは変わらず明るい調子で説明してくれたのだ。気に掛けるつもりはなくその必要もいらないのなら、と逆に心配かけないように私は笑顔を努める。
「安心しました。傷も痛みにもならないならいいんです。あ、そういえば! このケーキ、私も頑張れば作れますか?」
「……もう、まだ二つ目も食べていないのに新しいケーキを作るつもり?」
「おい、それよりも投げたフォーク壁に刺さってんぞ! ドジとは聞いていたが、これはねえだろ!」
そこからは賑やかに楽しく話をしていく。ドジに関しては大目に見てもらい、気前よく死神様の学生時代を聞くことができた。同級生でよく一緒にいたらしく、その頃から表情は硬く寡黙だったらしい。悪魔や天使と異なり、生前の魂を狩ることから死神はエリートが多いらしいが、その中でも死神様は殊更優秀だったので、孤高の存在だったという。なんて興味深いことだ。