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第2話 死霊のブリギッテ

「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってください」

「……ああ」


 死神様はちらりと私を見てから、玄関を出た。

 勇気を出して死神様を見送ることができた。次は出迎えも挑戦してみようかな。昨日は不快にさせてしまったらどうしようと想像して隠れてしまい、おかえりなさいの挨拶しかできなかった。


 とにかく無事やり終えたことで、死神様がいなくなった家で私はほっと溜息をつく。私以外にも誰かいることは、すっかり頭から抜けていた。


「やっぱり主様は恐いのかしら?」

「ブリギッテさん」


 垂れ目が特徴の魅惑的な女性は、にっこりと笑うと親しみやすい愛嬌がある。


 ブリギッテさんは私の世話をしてくれる死霊だ。冥界と天界の狭間は、人間である私には理解できないもので溢れている。生活するにも困難だからと死神様が遣わせてくれたのだ。

 未知の世界で分からないことだらけの私の世話は大変だろうに、ブリギッテさんは懇切丁寧だった。死霊といっても馴染みのある人間の姿で接してくれるので、昨日の内に打ち解けて気負いなく話すことができる。ただ誤解させてしまっていると私は慌てて弁明する。


「その、恐くないのですよ。緊張はしていましたが……」


 私がただの人間であるのに対し、相手は死神様だ。家に住まわせてもらうなど迷惑をかけている現状、更なる迷惑はないように気を張り巡らせていたのだ。死神様の前では特に注意していたので、仕事のため留守にされた瞬間、気が抜けて溜息をつくことになった。

 ブリギッテさんは「ふうん?」と不思議そうにする。言葉が足りなかったせいか、恐いから緊張していたのではないかと分かりにくく思ったかもしれない。


「まあ、そのうち不愛想な顔にも慣れるわよ。感情が表情に現れにくいだけで、性格は悪くはないもの。あっと、失言かしら。主様には内緒よ、これ」


 こういう気やすい性格であるから、ブリギッテさんは親しみやすいんだろうなあ。

 私は苦笑しながら「ここだけの話ですね」と約束した。



「さて。どうやって暇をつぶそうかしら。生活するにあたって必要なことは、あらかた説明したと思うし……」


 ブリギッテさんは死神様の仕事を手伝う二人いる死霊の内の一人だ。昨日には一通り説明され、私だけで留守番することになってもいいようにしている。それでも家に住まうのは二日目でまだまだ不慣れだからと、引き続き私の世話をしてくれる。

 昨日は説明だけであっという間に時間が過ぎたが、今日はそのおさらいとして確認するにしても暇な時間ができる。


「また料理でもしてみる? 色々買い込んできたから、シチューより手の込んだものもできるわよ。なんなら知らないレシピも教えてあげる」

「ぜひお願いします!」


 死神様が一人で住んでいたところを、私が当然住まわせてもらうことになったので、昨晩は残っている野菜や肉を詰め込んで煮込んだシチューと簡単なものだった。ちなみにその前の朝食や昼食は、総菜パンと既に作ってあるものを買ってもらって食べている。


「とはいえお昼には早いから、先におやつのお菓子でも作りましょうか」

「お菓子……お砂糖をたっぷりと使うんですよね」

「大半のものはそうね。ああ、ここでは砂糖は流通していて、大して高くないから心配しなくても平気よ。それに主様の給料はうんと高いはずだから」

「死神様はやっぱり凄いお方なんですね……」

「そうよ。ありがたく、色んな食材を使っておいしいものを作りましょうね」


 私は中世と分類される時代の世界の孤児出身だ。ありがたいことに飢えることはなかったが、満腹になるまで食べられる環境ではなかった。

 お菓子を作った経験はないので、まずは簡単なクッキーを教わることになった。目分量でなく道具を使ってきっちりと測ることが成功の元らしい。手間をかけて言われた通りの量を準備し、順番に合わせて混ぜていく。一つにまとめた後はめん棒で円柱状に伸ばし、包丁で切ってオーブンで焼く。途中で私の()()から小麦粉が舞い上がったり、熱々の天板をクッキーごと足元に落としそうになったりするが、ブリギッテさんの助けによりなんとか完成できた。


「今回は全部丸い形だけど、型があれば動物とかのかわいい形にすることができるのよ。アイシングの方法もあるわね。生地を焼いた後にクリームでデコレーションするの」

「クッキー、奥深いですね……」

「他のお菓子でもできるから、そのときにやってみるといいかもしれないわね」


 死神様は料理はしてもお菓子は手作りしないようで、クッキーの型はなかった。料理だけでなく洗濯の機械や道具などの使い方の確認もあるので、アイシングと合わせてまたの機会に回す。


「死神様はクッキーはお好きでしょうか」


 クッキーは一度で大量に作れる利点があるらしい。二人では食べきれない量ができ、私はぼそりと呟いたのをブリギッテさんは拾い上げる。


「好きかは分からないけど、とっても甘いものでもないし、主様はなんでも食べるから出せば食べるとは思うわよ。そういえば、今日の夕食も主様の分は作るの?」

「そのつもりです。ご迷惑をかけている立場ですから、少しでも負担が減らせるようにしたいのです。……死神様はうまいと仰ってくださいましたから」


 死神様は表情が豊かでなく寡黙と何を考えているか分かりにくいが、そんな方が言ったことであるから、作ったシチューは確かにおいしいのだと伝わってきた。嘘でもお世辞でもないと分かり、私はとてもうれしい気持ちになった。こんな私でも、また人の役に立てる。


「ブリギッテさん。また手伝ってもらってもいいですか……?」


 私の世話に、死神様の分の夕食づくりが加わるのだ。量を倍にして作るだけとはいえ、ブリギッテさんには迷惑をかける。


 私は注意が散漫なせいで、よくドジを起こしてしまうのだ。何もないところで転ぶし、手を滑らしたりする。そんな私を死神様はなんなく受け止めてくれたり、ブリギッテさんは笑って流したり助けたりしてくれた。

 だが、許されるのは最初の数回だけだ。気を付けていてもドジを繰り返してしまう私は、多くの人々に迷惑にかけてきた。私だけ痛い思いなどするだけならいいが、ときには人を巻き込むこともある。


 それでも人間は一人で生きていけるようにはできていない。食べるためだけにも働いてお金を得て払う必要がある。

 食材を手ずから育てて食べることもできるが、乳製品や果物と多岐にわたって一人では用意することはできない。そもそも孤児の私は教会が住まいで一部の野菜を育てるか、森に行って採取するぐらいしかできなかった。


 ブリギッテさんは私の不安を吹き飛ばすように、明るい声で言う。


「勿論よ! 私の分も作ってくれるのならだけど」


 死霊は肉体がなく魂だけの存在でいるので食事をとる必要はない。だが娯楽で食べることは可能だ。


「はい、ぜひ作らせてください! あ、でも死神様の許可なく、食材を多く消費してもいいのでしょうか。もし駄目なら、私の分の食事をブリギッテさんに……」

「そこまでして私の分を作らなくてもいいわよ! もし何か言われたら、私のお小遣いから引いてもらうようにしてもらうわ」


 お小遣い……給料からじゃないんだ。


 ブリギッテさんと死神様は部下と上司の関係と思っていたが違うのだろうか。子どもが母親の手伝いをして小遣いをもらうまでではないにしろ、友人の手伝いをしてもらえるような緩い関係なのか。


 私は死神様の仕事が罪人の魂を狩り取ること以外、どのようなことをしているか知らない。だからとただの人間である私があれこれ尋ねるのもどうなのかと考え込んでいると、ブリギッテさんが「それにしても」と妖しく微笑む。


「フィロメナは主様のことをどう思っているの?」

「えっと、突然ですね」

「いいじゃない。恐くはないんでしょ」

「はい」


 これまでの親しみやすい雰囲気をガラリと変えて肉薄するので、私はドキドキしてしまって直ぐに白状する。


「その、優しい方だな、と」

「主様にそんなところあったかしら? とっても素っ気なかったと思うけど」

「分かりやすくはないですけど、細かなところで気遣ってくれるんです。よく見てくださって、転んで怪我をしないように直ぐに支えてくれますし、困ったときは声をかけたりはしませんが近づいてきてくれます。それで私が質問すると、言葉少なくとも必ず答えてくれて」

「なるほどね。主様もそうだけど、あなたもよく見ているってことが分かったわ」

「ブリギッテさん……?」


 口調は硬く、冷ややかにも感じるほどだった。


「ほんと、なんで魂を狩られるほどの罪人なのか不思議ね」


 ブリギッテさんは妖艶な雰囲気で言い聞かせる。


「いーい、フィロメナ。あんまり主様に気を許さない方がいいわよ。あなたは人間で、主様は死神様なんだから」

「私ごときが、死神様と親しく接しては駄目だからですか?」

「惜しいわね。立場が違うところまでは合っているわ。ただ私とフィロメナでは多分考える意味が違う。姿が同じだからって、同じように人間の枠に捉えては駄目よ。人間と死神様では格が違う。それによって、見ている視点も違う。もし主様と仲良くなったとしても躊躇なく魂を狩り取りに、死をもたらしてくるわ。真実はどうあれ、あなたは一度罪人と判断されているもの」



 そのときのことは二日前の真夜中のことで、よく覚えている。

 一目で死をもたらす存在だと分かり、私は死を覚悟した。


 その日は三日月で、私の努力を嘲笑うような形をしていた。死神様はその三日月を背景に姿を現して、恐怖で身じろぎもできない私に大鎌を向けた。それでいて直ぐに魂を狩らず、仮面を取り外す。

 私は素顔を見るまでは、骨をあしらった仮面が顔だと思っていた。眉を潜めたその素顔は死神様と神を冠する名に相応しく整っていて、私は状況を忘れて見惚れてしまった。そのあとは言語を交わし、私が間違いなくフィロメナであることなど確認される。私の罪への罰を受けることなく、当分の間は死神様の家に住まうことになった。



「死神様と人間は、命を奪い、奪われる関係でできている。仲良くなったっていいことなんてない。現に私は魂を狩られたことで死んで、主様に使役されている」

「ブリギッテさんは罪人だったのですか」

「驚いた? 本来なら冥界行きでその罪が許されるまで死以上の苦しみを味わえるのだけど、能力を見出されて使役されたのよ。といっても自由なく使い潰されるから、冥界よりはまだマシってところだけどね」


 ブリギッテさんは親切で、罪人であるなんて想像もしていなかった。


 だから死神様の仕事を手伝うといっても、給料はないのかな。


「主様は死神様である以上、人間にとって無慈悲な存在よ。私も元人間だとはいえ、使役されている立場だからフィロメナが逃げ出さないように監視している。余命を得られたとして楽しむのはいいけど、主様にも私にも気を許さない方がいいわ」


 不慣れな私の世話をしていただけでなく、監視をしていたのだと冷たく突き放す言い方だ。厳しい目線を向けられて、親しくなった関係はあっけなく崩される。


 でも、それがなに?


「では、どうして私によくしてくれたのですか」

「その方が飲み込み早く、説明したことを覚えてくれると思ったからよ」

「クッキーの作り方を教えてくれたのは?」

「それは……」

「夕食を、お金を払ってまで作ってほしいと頼んだのは? 私の分は私で食べるように言ってくれたのは?」

「…………フィロメナの、作る料理がおいしかったからよ」

「ふふっ。ありがとうございます。それは本音だと思って受け取りますね」


 ブリギッテさんは羞恥で顔を赤らめる。私は本格的に笑いを堪えるのができなくなった。だって、私を想って言ってくれたのが分かりやすすぎる。それも思いつきの行動だったから、矛盾を指摘しても言い返せていなかった。


「私、仲良くしているときに突然死ぬことになっても後悔しません。逆に私の思い上がりかもしれませんけれど、ブリギッテさんと死神様が悲しまれないか心配です」


 そうだといいなと私の願望もあるけど、それでも二人は心優しいから多少なりとも悲しんでくれそうだな。


「私が死ぬことになったのなら、私が悪かったってことです。ブリギッテさんの言う通り、余命を楽しむことができたと逆に感謝しなければならない立場ですよ。ブリギッテさんや死神様が悪者になる必要はこれっぽっちもありませんっ」


 それに二人は疑ってくれているが、私は私の罪を持っていると思っている。いつ死んでもいいように覚悟まで済ませていた。私の罪については、死神様が死をもたらしにやってきたその前から考えていたことだから……。


「フィロメナは罪人どころかとてつもない善人じゃない」


 ブリギッテさんは苦笑して、元の親しい雰囲気に戻す。まだ少し顔が赤かった。

 短い付き合いであるが、これでこそブリギッテさんだ。罪人と知らされても、この親しい彼女しか見ていないのだから恐怖することもない。


「あーもうっ。私の親切を蔑ろにして、後悔しても知らないわよ」

「そのときはそのときです。お二方の優しさをもらった対価にして、冥界に行きますよ。あと、ブリギッテさん」

「今度はなに?」

「ブリギッテさん自身もですけど、死神様のことまで悪く言ったらなお駄目です。死神様は疑いのある私を自宅に住まわせてくれるほど、こんなによくしてくれるのですから」

「ああ、もうそうね。私だって、主様は死神様でも悪い方だとは思っていないわよ。罪人の私たちにも、粗雑に扱わないである程度の自由もくれるんだから。あれほど好待遇に使役してくれる死神様は他と比べてもいないわ」


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