第61話 掴んだ勝利と新たな仲間
俺たちが城を出るころには、既に陽が沈みかけていた。
街の様子は、あれだけの騒動があったにしては静かだった。被害を受けたのは主に西から北にかけての地区だから、住民の大部分はそっちで被害状況の確認や瓦礫の撤去などの復興作業に当たってるんだろう。
街の防衛に関しては、最終的にハーヴォルド戦士団から七名、元グァバレア戦士団から九名、冒険者から三名がその命を落とす結果となった。
建物の損害はもとより、計十九名という犠牲者の数は決して軽いものじゃない。
だけど街を襲った魔獣の規模を考えれば、奇跡的と言っていい少なさだ。
何よりも、犠牲になった彼らを含め戦士団と冒険者たちの命を賭した奮戦によって、戦闘員じゃない街の住民にはひとりの犠牲者も出すことは無かった。
これは誇ってもいい結果だ。
城を後にする際、俺たちにはゆっくり身体を休めるようにと、ソフィア団長から厳命が下された。
街の人たちだけじゃなく、同じように街の防衛に当たっていた戦士団や、一部有志の冒険者たちまでもが未だ忙しくしている中で悪い気もするけれど、今回ばかりはお言葉に甘えさせてもらおう。
俺たち――俺とミナ、リナ、ムルの四人は、宿に向かう道を歩いていた。
「それにしても、よく製錬所から帳簿をもらってこれたね。すんなり本物を出してもらえたの?」
「ううん。最初は辺きょ……伯爵の取引記録が消された、偽物を渡された」
リナの答えに、「やっぱりか」という思いが湧いて来た。
あの伯爵のことだ、きっと製錬所の人間にも金を渡すなりして、自分の側に取り込んでおいたに違いない。
「でも、それならこの帳簿はどうやって手に入れたの? まさか、危ないことはしてないわよね……?」
ミナは不安そうにそう尋ねた。
最初は俺が自分で製錬所まで出向き、いざとなったら本物の帳簿を盗み出す算段だったけど、リナに同じことができたとは思えない。
確かに、俺も疑問に感じていたことだ。
けどリナから返ってきた答えを聞いて、俺は意外に思うとともに、少し納得のいく気持ちになった。
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「この帳簿からは消された記録があるはず。手を加える前の、元の帳簿が欲しい……!」
「しつこいですね。いくらハーヴォルド領主家からの要請であろうと、無いものは出せませんよ。我が製錬所がここ数年で買い取った貴金属類は、その帳簿に書かれているものですべてです。もうお引き取り頂いてよろしいですか? 私も仕事に戻らないといけないもので」
「でも……!」
リナが食い下がる様子を見て、目の前の男は辟易したという態度を露骨にした。
場所はアルドグラム製錬所の所員通用口。
グァバレア辺境伯による不正の証拠――彼がミナから確かに財宝を受け取り、それを製錬所に持ち込んだことを証明する帳簿を得るためこの場所を訪れたリナだったが、早くも障害に突き当たっていた。
クラルゥが書いてくれた書状のおかげで製錬所長との面談までは漕ぎつけることができた。
けれど目の前の男――製錬所の所長ジャミルから手渡された帳簿には、案の定というか、ウォルたちが必要としている辺境伯との取引がまったく記されていない。
偽物だ。
ウォルが危惧していた通り、製錬所の人間も辺境伯に抱き込まれていたのだと、リナが理解するのに時間はかからなかった。
そもそも領主からの書状を手にした使者に対し、応接室にも通さずこんな門前で相手をすること自体が異常だ。ジャミルの態度は、中に入られては困ると言っているようなものだった。
にいさんの推察は当たり。辺境伯がここに財宝を持ち込んだのは間違いない。
でも困った……。
こうして押し問答をしていても、本物の帳簿が出てくる望みは薄い。
そのくらいはリナにも分かる。
それなら目的のものを手に入れるにはどうしたらいいのか?
ウォルははっきりと口にはしなかったが、いざという時には非合法な手段に訴えるのも辞さない覚悟だったのは明白だ。
それならリナも、同じことをするまで。
自分を、姉を、守ると言ってくれたウォルの期待に応えるためなら、どんな危険だって冒してみせる。
そう覚悟を固めたリナだったが、直後に真後ろから声をかけられた。
「何をしている、のろまめ。貴様はお使いひとつまともにこなせないのか?」
はっとして振り向くと、そこには黒い馬に乗ったダグラスの姿があった。
豪奢で厚い外套姿で、荷物の詰まった鞄を積んでいる。
ひと目見て分かる、旅の装いだ。
護衛のひとりも連れていないことを不自然に思いながら、リナは怯えたように後ずさった。
なにしろ彼は、あの辺境伯の息子なのだから。
そんなリナの様子に「ちっ」と不愉快そうな舌打ちを飛ばしつつ、ダグラスは馬上からジャミルに向かい合った。
「小間使いが手間をかけたようだな」
「……失礼ですが、あなたはどちら様で?」
その装いと尊大な態度から、相手が高貴な身分であることを察したんだろう。
ジャミルは突然現れたダグラスに不審な目を見せつつ、一応は礼儀正しく見える態度で問いかけた。
ジャミルの問いに、ダグラスは無言で右手に嵌った指輪を見せる。
そこに刻まれているのは、グァバレア家の紋章だ。
「! ……その指輪は、もしや辺境伯閣下のご親戚で?」
「ああ。私はダグラス・グァバレア。ドゥーラン・グァバレアが第一子にして、グァバレア辺境伯家の次期当主だ」
ダグラスがそう名乗ると、ジャミルはより姿勢を正して一礼する。
「これはこれは……若様御自らがこのような場所に足をお運びいただくなど予想もしていなかったことでして、ご無礼をお許しください」
さっきまでの、口調こそ敬語だったものの他はおざなりだった態度とは打って変わったジャミルの様子に、リナは閉口するしかない。
「それで、此度はどのようなご用件で……?」
「事情があり、この製錬所の取引記録が必要になった。故に小間使いをやったが、やはりモノがモノだ。ちょうど所用があったついでに、こうして出向かせてもらった」
「……こちらの少女から受け取った書状には、ハーヴォルド家の紋章が捺されておりましたが?」
「万が一にも、当家から帳簿を出すよう要請したなどと示すものが残っては困る。当然の処置だろう?」
「なるほど。確かに仰る通りですな」
ジャミルは納得したように頷くと「少々お待ちください……」と言い残して背を向けた。
その背中に、ダグラスが声をかける。
「所長。言うまでもないと思うが、こうして私自らが出向いたのだ。どちらの帳簿が必要かは分かっているな?」
「もちろんですとも。ご安心ください」
「それでは頼む。私は急ぎの用がある故もう出発するが、帳簿はそこの小間使いに預けてくれ」
と、リナをあごで示すダグラス。
ジャミルは「かしこまりました」と答えると、そのまま製錬所の中へと消えて行った。
後に残されたのは、リナとダグラスの二人だけだ。
二人はしばらくのあいだ、互いに動かずじっとしていた。
リナは理解が追いついていなかった。ダグラスはあの恐ろしい辺境伯の息子で、あちら側の人間のはずだ。
でも、今のは明らかにリナを助ける行いだった。というか、リナに帳簿が渡ればグァバレア辺境伯は破滅することになる。それを分かってるんだろうか……?
「……あの――」
「ウォル・クライマーに伝えておけ。俺は後悔しないために、成すべきことを成す。もし貴様たちを助けたと思っているなら――それは愚かな勘違いだとな」
リナが何かを言うより早く、ダグラスはそう告げると馬の向きを変えた。
そのまま手綱を振り、市門へと続く道を歩いていく。
最後まで尊大で威圧的な態度に少し怯んだリナだったけれど――
「あの、ありがとう、ございました」
彼女にできる限りの大きな声を去り行く背中にかけ、頭を下げたのだった。
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「そっか。ダグラスが……」
この騒動の最中、彼に動きが無かったことが気にはなっていたけど、街を離れていたのか。
ダグラスとその父、ドゥーラン・グァバレア伯爵の仲はあまり良好には見えなかったけど、彼もグァバレア家の一員であることは紛れもない事実。
にも拘らず俺たちを助け、伯爵を破滅させることを選んだことには確かに驚いた。
でも何度か会って話した彼の印象からは強い信念めいたものを感じていたし、この結果はある意味で辿り着くべくして至ったものなのかもしれない。
まあ、本人は助けたワケじゃないと否定していたみたいだけど。
ただ、彼のお陰でミナを助けるため必要だった最後の欠片が手に入ったのは事実。
今度会ったら礼を言っておこう。
ともあれ、これですべては最良の形に収まったワケだ。
「本当に良かったです。これでミナさんも晴れて――本当の意味で、自由の身になれたワケですよね?」
ムルが嬉しそうに手を合わせて問いかける。
彼女の言う通り、ミナは伯爵からかけられていた嫌疑を晴らしただけじゃない。これまでの、彼女の人生を蝕んでいた呪縛から解放されたのだ。
ミナは感慨深そうに応えた。
「……ええ、そうね。ムルにも心配かけて悪かったわ。それと、ありがとう」
「いいえ……私なんて、何もしていませんよ」
謙遜するムルに、ミナは「そんなこと無いわ」と告げて、その手を取った。
「私が捕まってから頑張ってくれたこともそうだけど……それまで一緒に過ごしてきた時間は、私の中でとても楽しくてかけがえのないものになっていたの。またあなたたちと冒険者として過ごしたい……その気持ちがあったから、捕まった後の絶望にも抗えたんだわ」
本当にありがとう。
そう言って、ミナはムルのことを抱きしめた。
領主謁見の間で散々泣いていたムルだったけど、またこみあげて来たものがあったのか、ミナの背中に手を回して抱きしめ返しながら、その目には涙が溢れている。
そんな二人の様子を微笑ましく見守りながらも、俺はある台詞を聞き逃してはいなかった。
「ミナ、今俺たちと一緒に冒険者として過ごした時間は楽しくてかけがえのないものだったって言ったよね?」
茶化すつもりは毛頭なかったんだけど、俺の言葉を聞いたミナは一瞬だけこちらに顔を向けた後、ばつが悪そうに目を逸らした。
多分、恥ずかしかったんだろう。
でも俺は追及の手を緩めない。
「それって、今度こそ俺たちと一緒にパーティを組んでくれるってことでいいのかな?」
「…………あなた、それを今更、改めて言わせる気なの?」
ムルに抱き着いたまま、じとっとすねたような視線を俺に向け、抗議するような口調のミナ。
でも当然だ。
まだ、彼女からちゃんと返事をもらっていないんだから。
俺はムルから離れたミナの手を取って、その目を真っ直ぐ見つめる。
ミナはするっと目を逸らしてしまうけど、逃がすつもりはない。
「ミナ」
名前を呼ぶと、彼女はしぶしぶといった様子で俺のことを見た。
「俺はウォル・クライマー。あらゆるものを守る壁になる冒険者だよ。こっちは仲間のムル。控えめで優しいけど頼りになる子なんだ。俺たちはいつか上級冒険者になって、最終防壁を越えた向こう側に行く。もちろん、ミナの故郷にもね」
その言葉に、触れているミナの手に力が入ったのが分かった。
「きっとミナのお父さんやお母さんを探す、力になれると思うんだ。だから――俺たちとパーティを組まない?」
じっと見つめる俺の目を、ミナも真っ直ぐ見返している。
とても綺麗な、夜空の色の瞳だ。これから先、この瞳に映る景色が彼女にとって幸せなものになるよう、仲間としてできる限り力になりたい。
そんな想いが通じたのかどうなのか。
ミナは一度目を伏せた。
「このストーカー、思った以上に性格が悪いわ……」
何やらぶつぶつとつぶやく声が聞こえてくる。
けれどすぐに「ああ、もう。分かったわよ……」と諦めるようにため息を吐くと、ミナは再び俺と向き直る。
「そんなに私が欲しいって言うなら、仕方ないからあなたたちのパーティに入ってあげるわ。私もパパとママに会うっていう目的を諦めるつもりはないし、あなたたちなら信頼して一緒に獣侵領域を目指せそうだし、ね」
恥ずかしさを隠すように尊大なもの言いだったけど、言い終わった後に「だから、その……こちらこそ、よろしくお願いします……」とつけ足したミナの顔は、真っ赤に染まっていた。
俺もムルも、リナもそんな彼女の様子に、思わず笑いがこぼれてしまう。
「もちろんだよ。ありがとうミナ。これからもよろしくね」
すごく遠回りをしてきたようにも思うけど、この日、俺たちはようやく正式なパーティの仲間になることができたのだった。




