第60話 熱する壁と勝利の叫び
「ぐっ……あああ……痛い痛いっ、潰れるっ……!!」
領主謁見の間に、伯爵の悲鳴が響き渡った。
既に壁は止まっていて圧力を加えているワケじゃないけど、壁と壁のあいだはほんの僅かな隙間しかない。奴の肥満体には狭すぎるんだろう。
けれどその無様な喚きとは裏腹に、奴の《鎧化》はまだ解けていない。
床の絨毯は壁際まできっちり敷かれてる。奴の足はまだそれに触れているんだ。
「往生際が悪いぞ、早く《鎧化》を解けっ!」
そう叫ぶと、壁の向こうからは「ふざけるなっ……!」と、弱々しくも尊大な返事が来た。
「誰が、貴様になど屈服するかっ……! 貴様こそ、この、壁をどかせっ……!! 誰に対してこのような真似をしているのか、分かっているのかっ……!?」
現在進行形で潰されているというのに、その態度は偉そうなまま。
もちろん奴を解放するつもりはない。俺の答えも「ふざけるな」だ。
とはいえ、このままじゃ奴も俺たちも互いに動けない。
膠着状態だ。
「貴様……我慢比べでもするつもりか……? 儂は絶対に《鎧化》を解かん……先に音を上げるのは貴様らの方だぞっ……!!」
何を根拠にそれほどの自信が満ちているのかは知らないけど、それならそれで望むところだ。
「いいや、先に《鎧化》を解いて泣きついてくるのは、お前の方だ」
こっちも、絶対に壁をどけてやるつもりはない。
でもだからって、長々とこいつとの我慢比べにつき合うつもりもなかった。
その異変に真っ先に気づいたのは、誰あろう伯爵自身だ。
「熱っ……熱いっ……!? 何だこれはっ!? あつぃいいいいいいっ!!!!」
膠着状態が始まってから、まだ数分足らず。
にも拘らず、奴は突然叫び出すと、壁に挟まれたままじたばたと藻掻き始めた。
「熱い、熱い、熱いっ……!! ああぁああやめろ、やめてくれぇえええええええっ!!!!」
端から見ている分には、何をしているのかさっぱり分からないだろう。
ただ壁に挟まれてるだけなのに「熱い」とは何事か?
「……何をしてるの?」
と、ミナが俺に問いかけて来た。
彼女の推測通り、伯爵が騒いでいるのはもちろん俺の仕業だ。
「あいつを挟んでる壁の温度を上げてるんだよ。《壁温調》さ」
《壁温調》はその名の通り、壁の温度を操るスキルだ。
森で試してみた時には、最終的に周囲の草が燃え出すほどの温度にまで上げることができた。
俺は改めて伯爵に向かって叫ぶ。
「このままだと竈みたいになるぞっ!! これ以上熱くされたくないなら、さっさと《鎧化》を解けっ!!」
「あああぁああああぁっ……熱いっ! 分かったっ……分かったっ!! 《鎧化》は解くっ……助けて、助けてくれっ……!!」
とうとう、じゅぅぅぅという音と共に僅かな煙が立ち上って来るに至り、伯爵がそう懇願してくる。
奴が叫び終わらないうちに、俺たちの衣類は硬さを失った。
自由を取り戻した騎士のひとりが、すかさず床の絨毯を剣で正確に斬り裂き、奴との導線を断ち切る。素晴らしい技の冴えだ。
「《鎧化》は解けただろ……? 早く、はやく助けてくれっ……!」
壁の隙間では、奴が喚いている。
俺は約束通り、それ以上壁を熱することはやめた。
だけど奴は、やかましく騒ぐことをやめなかった。
「おい……おいっ!? 聞こえないのかっ!? まだ熱いっ……まだあづぅぅぅううううういいいいっ!!!! 貴様、自分が口にしたことすら守れんのか……!?」
伯爵はみっともなく悲鳴を上げ、俺を非難する。
でもまだ熱いのは当然だ。
「もう温度は上げてない。けど、一度熱された石がそうすぐに冷めるワケないだろ」
巷では熱した石の余熱を使った、石焼き料理なんてものもあるくらいなんだから。
「貴様っ……!? 冷やすことはできんというのか……!?」
もちろんできる。やらないけどね。
それからしばらくのあいだ、伯爵は「熱い熱い」と騒ぎ立てていた。
だけどやがてその体力も尽きたのか、僅かな呻き声を除いて何も聞こえなくなる。
その頃合いを見計らって、俺は奴を挟んでいた壁を消去した。
伯爵は顔面から胸、腕、手のひらに至るまでが火傷で赤くただれていたけど、まあ自業自得だ。
たぶん、その場にいた全員が「壁を消せるなら冷めるまで待ってる必要は無かったのでは?」と思ってることだろう。
でもあえて口に出す者はいなかった。
数人の騎士が担架を持ち込み、伯爵を地下監獄へと運んでいく。
あの程度の火傷なら神聖術で治るとは思うけど、奴にそこまで手厚い治療が施されるかは、あまり期待できなさそうだ。
伯爵が領主謁見の間から運び出されるのを見届けて、ハーヴォルド辺境伯は再び玉座へと腰を下ろした。
「ウォル・クライマー、苦労をかけた。奴は後ほど王都に移送し、大法廷で裁かれることになるだろう」
「いいえ。仲間を助けるためですから。こちらこそ、ご助力に感謝します」
そう言って、俺は頭を下げる。
それを見た辺境伯は、俺の態度に満足したように頷いた。
「まったく、貴族が自ら法を破るような真似をするとは嘆かわしい。まあ奴は前々から黒い噂の耐えない男だったがな」
呆れたようなため息と共に、額を抑えるハーヴォルド辺境伯。
さっきの伯爵とのやり取りからも感じていたけど、やっぱり奴のろくでもない行いは貴族のあいだでも有名だったんだろう。
辺境伯は明らかに俺たち寄りな態度を取ってくれていたし、そもそも二年間も食客として居座られている状態だ。彼も内心では、奴を排除する機会を狙っていたのかもしれない。
「さて……それはそれとして確認しておきたいことがある」
ひと段落ついたのを見計らって、ハーヴォルド辺境伯はそう切り出した。
彼の目が移しているのはミナじゃない。俺だ。
「……なんでしょう?」
その厳粛な声音に若干の緊張を覚えつつ、問いを促した。
「うむ。確認とは他でもない、先ほどそなたが口にしたことについてだ。グァバレア卿が『王の鍵』を、魔獣を従えた男に渡していたという話――あれは真か? それとも私の気を引くための作り話だったのか? 例え偽りだったとしても罰は下さぬ。申してみよ」
「あれは、本当のことです。奴が魔獣を従えた男に鍵を渡すのを、確かに見ました」
正確には俺が見たワケじゃなくて、壁が見たことを聞いただけなんだけど、ややこしくなるのでそこは伏せておこう。
ハーヴォルド辺境伯はしばらくのあいだ、目を細めて俺をじっと観察していた。
けれどやがて「そうか――」とだけ口にすると、目を閉じて玉座の背もたれにその身を預けるように沈ませる。
気のせいか? 少し顔色が悪くなった気がする。
「あい分かった。先ほども言った通り無条件で信じるわけではないが、どうやら最悪の事態を見据えておいた方がよさそうだな……」
そう口にするハーヴォルド辺境伯の視線は、空中の何もない所を見据えていた。
どうやら、「王の鍵」とやらを奪われたことは、彼にとって――いや、俺たち人類にとって相当な痛手になるみたいだ。辺境伯の態度からは、それがありありと感じられる。
そこまで重要な品……「王の鍵」とは一体何なのか?
気にはなったけど、どうやら「壁の守り人」以外は知りえないことらしいし、この場で訊いても教えては貰えなさそうだ。
後でクラルゥにでもこっそり尋ねてみよう。
今はそれよりも、重要なことがある。
「それで、閣下。彼女……ミナについてなのですが……」
偉い人と話す機会なんてほとんどない冒険者だ。慣れない敬称に注意しつつ、ハーヴォルド辺境伯の様子を窺うように尋ねる。
「ああ、そうであったな――」
辺境伯も、思い出したように俺とミナを見据えた。
「既に言うまでもないが、此度の裁きにおける問題……ミナティリア嬢にかけられたグァバレア家からの窃盗容疑については、ドゥーラン・グァバレア当該家当主からの要請に基づく行いであったことを認める。奴は己がかつて密輸に用いていた地下坑道を使い、第五層の屋敷から財産を回収して来るようミナティリア嬢に命じ、ことが明るみに出ると自らの密輸関与を隠蔽するため、財宝の類は彼女が屋敷から盗み出したものだと虚偽の告発を行った。本案件はその告発に基づき審議されていたものである故、虚偽であることが判明した時点で棄却するものとする」
ハーヴォルド辺境伯は厳かな口調で一連の事件のあらましをさらうと、最後に「よって――」と言葉を続けた。
「ここに、ミナティリア・ナジェラーダを無罪であると認める」
辺境伯の宣言によって、張りつめていた緊張が解かれ、身体から力が抜けていくように感じられた。
もちろん伯爵が自爆した以上、こういう結論に成ることは分かっていたけど、それでも正式に無罪が言い渡されたことで、やっと安心を得ることができたのだ。
「ねえさん……!」
リナも感極まったようにミナに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
自分を抱きしめる妹の頭を撫でながら、ミナはやさしく「リナ……ありがとう。本当によくがんばったわねっ……!」と涙を流す。
「ウォルとムルもよ。私がこうしてまたリナと触れ合えるのも、二人のお陰だわっ……!」
端の方に控えていたムルも、安心か歓喜か、頬を涙が伝っている。
そして俺も――
俺は涙が流れないように上を向いて、拳を握る手に力を込めた。
終わった。
終わったのだ。
時間にしてみれば僅か二日と少々。だけどあまりにも様々なことが起こり、実際にもずっと長く感じた今日までの戦いが。
俺たちは勝った。
ミナも、リナも、街も、すべてを守り通したのだ。
気づけば無意識の内に、俺は叫び声を上げていた。
泣く代わりに、長い、長い。それは勝利の雄叫びだった。




