第14話 怒りの矛先と世界の俯瞰
にっこり笑顔の少女が片手を掲げる。
するとスキル光と共に、その手の中に石のナイフが現れた。石製といっても綺麗に形が整えられていて、刃も鋭く、よく斬れそうだ。
何これすごい! 《武器作成》!?
ってそれどころじゃない。
「じゃ、覚悟はいいかしら? いいわよね? 大丈夫、痛くしないから」
「いやいやいや、よくないから落ち着いて!」
静止も空しく、ゆらあ……とナイフを逆手に持った少女が近づいてくる。
「よくも、よくも、よくも、私にあんなことを――!!」
あ、よく見ると彼女の目は俺を見てない。
怒りというよりは羞恥心で周りが見えなくなっているみたいだ。
目がぐるぐるしてる。
自分の身を守るためにもう一度壁でロックすることも考えたけど、それをやると火に油を注ぐのは明らかだ。
ここはなんとか話し合いで収めるしかない……!
「元はと言えば君が俺の財布を盗んだのが原因じゃないかっ」
「そうね、それについては悪かったと思ってるわ」
お、案外話が分かる?
「でも謝ったし、財布も既にあなたの手にある。誰も私が盗んだなんて証明はできないのよ――!」
全然そんなことなかった!
しかも痛いところを突いてくる。
「さあ大人しくしなさい。それとも痴漢として守衛に突き出されたいの?」
「俺が君のお……身体に触ったことだって謝ったし! 証拠だってないよ!」
「あなたのやらしい顔の跡がついてるわよ――!」
ついてるわけないだろ!
「と言うかもしついてたとして、それを守衛に見せるの?」
「ぐっ――それは」
今度は少女は痛いところを突かれたように押し黙る。ちょっと正気に戻ったみたいだ。
町の守衛なんてだいたいが男。お尻を見せるなんてできるはずもない。
「さっきのことは悪かったし謝るよ。俺も財布を盗られたことはもう忘れるから、おあいこってことで水に流そう?」
「ぐぐぐっ……」
ナイフを握った少女の拳が震えている。
だいぶ葛藤しているみたいだ。
けどやがて納得したのか、それとも怒りを無理やり呑み込んだのか、
「わかったわよ……」
と手を下ろし、握られていたナイフが溶けるように消える。
た、助かった……。
どうやら路地裏の惨劇は避けられたようだ。
「でも、なんでひったくりなんかしたの? もし捕まったらひどい目に遭うし、やめたほうがいいと思うけどな」
「何よ……私が狙うのは冒険者だけだし、町に不慣れな相手に捕まったりしないわ……普通はね? ……っていうか、もう忘れるんじゃなかったの?」
「いや……お金が目当てっていうより、他に何か目的があって手段を選んでられないって感じがしたからさ」
「………」
先ほど彼女は盗ったお金をもっと「有意義なこと」に使うと言っていた。
それに冒険者に不満があるような口ぶりだったし、きっと彼女自身が贅沢するためとか、そんな理由じゃない何かがあるんだろう。
少女はしばらくじとっと俺を睨んでいたけど、今やお互い弱みを握りあった仲だ。
あまり邪険にして面倒なことになっても困ると思ったんだろう、ため息をつくと建物の壁に寄りかかり、腕を組んで話し始めた。
「あなたも冒険者なら『最終防壁』って呼ばれてるものがひとつじゃないのは知ってるわよね?」
「それは、もちろん」
当然だ。
最終防壁とは、人の領域と魔獣の領域の境界線。より正確には境界線として両者を隔てる巨大な壁のことだ。
「古の偉大なる王」によって作られたその壁は、遥か北方にある「魔獣の湧き出る地」と、その周囲に広がる魔獣に侵された大地――獣侵領域から人間の世界を守っている。
ただし、昔の最終防壁は今よりもっと北側にあった。
遥かな古代、「魔獣の湧き出る地」と人の領域のあいだには七つの防壁、通称「王の壁」と呼ばれるものが建造された。
けれど時と共にひとつ、またひとつと「王の壁」は突破されていき、現在最終防壁と呼ばれているのは「魔物の湧き出る地」から数えて六番目、第六防壁だ。
「第一防壁が落ちたのが百年以上前。そこから四十年前、十四年前、十年前と『王の壁』は突破されていって、二年前に当時の最終防壁――第五防壁が崩壊したから、今知られてるように第六防壁が最終防壁になったんだよね」
「ええ」
二年前。その時旅を始めて一年足らずだった俺たち勇者パーティはまだまだ未熟で、壁の防衛戦には参加できなかった。
結局第五防壁はあっという間に崩されることとなり、何もできなかったあの時の悔しさは今でも憶えてる。
「私は元々防壁の向こうに住んでたの。それがある日突然、見たこともないような大きい魔獣が群れをなして襲ってきたわ。私と妹は運よく避難できたんだけど、パパとママ――両親とはそれから会ってないの」
そう言って唇を噛む少女の顔は、苦し紛れの嘘を言っているようには見えない。
なるほど、彼女は防壁崩壊でこっちに逃げて来た避難民なのか。
防壁が突破されれば、その後ろにある領域は魔獣に蹂躙される。
そしてそこに住む人たち全員が無事、次の壁の後ろに避難できるワケじゃない。
悲しいことだけど、彼女みたいに親を失ったり、反対に子供を失ったりした人は珍しくないだろう。
そして親を失った子供がどんな暮らしを送るかは、想像に難くない。
「だから――だから私は上級冒険者になって、壁越えの許可をもらって、壁の向こうに探しに行くのよ。パパと、ママを……そのためにお金がいるの」
「それは……」
残念だけど、防壁崩壊の時に逃げ遅れた人が獣侵領域で二年も生き延びているとは考えづらい。
一応、壁の向こうにも集落と呼べるものはある。
でもそれは獣侵領域に挑む冒険者や遠征隊が拠点にするためのごく小規模なもので、こっち側の町みたいに人が生活する場所じゃない。
避難できなかった一般人がそうした集落で保護されることも、ごく稀にはあるらしいけど……。
「わかってるわよ。パパとママが今も生きてるなんて、万に一つもありえないってことぐらい。だけど――だけどそれならせめて、お墓くらい造って、安心して天国に行けるようにしてあげたいじゃない……!」
「……そっか」
何を言い淀んだのか察したんだろう。とうとう彼女の瞳からは涙が溢れる。
俺は無意識の内に、彼女の頭をそっと撫でていた。
俺には彼女の気持ちが痛いほど分かるから――。
だけど。
「だけどやっぱり……ううん、そんな事情があるならなおさら、こういうのはよくないと思うな。君が盗みで捕まったりしたらお父さんもお母さんも悲しむだろうし、妹さんもいるんでしょ? きっと心配するよ」
「わかって……るわよっ……そんなこと……!!」
両親を探して弔いたい気持ち。
それと最終防壁のこちら側で活動する、彼女から見れば「気概のない」冒険者への不満。
色んな感情が渦巻いてこんなことに手を染めていたんだろうけど、やっぱりこの子にはそんな真似をしてほしくない。
俺は取り戻した財布からシスターリングだけを抜き出すと、残りをそのまま彼女の手に握らせる。
「…………何よ、これ」
彼女は鼻をすすりながら手の中の財布を見た。
「これからは真っ当にコツコツ実績を積んで上級冒険者を目指すことにしなよ。時間はかかるかもしれないけど……このお金はその足しにしていいからさ」
「たいして入ってないけど」とことわりつつ、そっと財布から手を放す。
少女は信じられないようなものでも見たみたいにしばらく黙っていたけど、やがて溢れていた涙を袖で拭い、
「何よそれ……ヘンなヤツ。変態のくせに」
そのままプイっと横を向いてしまった。
あと変態じゃない。
素直じゃない彼女の態度に、思わず苦笑してしまう。
「あ、それと俺は君が言う『気概のない』冒険者じゃないからね」
俺はいつかクライスたちを追って獣侵領域に挑む。
そのためには、彼女と同じように上級冒険者にならなきゃいけない。
思えば、彼女の目標と俺の目標は似ているかもしれない。
彼女は両親を探すため、俺は勇者たちへ追いつくために――
獣侵領域へと挑む。
「俺はウォル・クライマー。あらゆるものを守る壁になる冒険者だよ」




