⑤とある短剣の話。
失くした短剣に名前は無い。
ただし彼女はこう言った。「皇女の短剣」と。
「ナナシ、僕はもう寝るからね。火の後始末忘れないでね。」
バスタオルで髪を掻くように拭きながら、キャラバンからアルクが顔を出して言った。適当に手を振って返すと。「おやすみ」と眠そうな声が帰って来る。後始末も何も、ドラム缶の風呂はもはや冷め切っていた。
「にゃ~」
闇夜の中から黒猫が鳴いた。
「熊に食われるぞ、エルノア。」
「ボクはそこまで弱くない。」
不貞腐れたような表情で魔法を操り、エルノアは俺の頭の上にワープした。
――扉魔法『ゲート』
最弱の便利魔法にして、最強が操る特殊魔法。そして、俺たちのキャラバンの根幹的な機能として操作される魔法。
一方。皇女の短剣には未だ固有の特技が見つかっていない。時折強い幻覚を見せること以外、ただ魔法を溜めて置ける電池のようなダガーである。全くもって俺にはシナジーが無い、……気がする。
「失くした短剣は見つかったのか?」
「まだ。」
「命よりも大切な代物なんだろ?」
――ぺチぺチ、ぺチぺチ。
エルノアは俺の頭を肉球で叩きながら言う。
「命より大切なものなんて無い。……お前も偶には湯船に浸かれよ。」
俺は頭に乗った黒猫を抱えてぬるま湯につけた。――フギャ。と抵抗した声を漏らし、エルノアは黙りこくる。
「ぬるいだろ?」
「……いや、良い湯加減だ。褒めてやる。」
さぞ気持ちよさそうに髭を揺らして目を閉じる。
「気持ちいいなー。」
今晩の天気は快晴の予報。空には雲の代わりに天の川が流れている。不思議なものだ。この世界にも宇宙が有り、太陽と月が同じように存在している。
「まぁまぁだな。効能は?」
――だたの川の水である。
「全員分の出汁が出てますゆえ、疲労回復に効きます。」
「出汁とか言うにゃ!ちょー不愉快。」
プンスカした声を出し、エルノアはドラム缶の縁を掴んだ。
「全く。酷いバスタイムだ。ボロボロのドラム缶、猫の身体で丁度の湯船。プライバシーの無い環境。王城に居た頃は良かった……。」
エルノアは溜息を吐いて空を見上げた。今日は良く、星が見える。
「どうでしょうかね……。木々のせせらぎ、川の流れる音、風のささやき。使い回したぬるま湯も、年季の入った円筒の露天風呂も、あるいはここでしか手に入らない贅沢なのかもしれない。」
「モノは言いようだな。」
エルノアは呆れた様にそう言った。
「討伐対象はどう捌くんだ?難儀で複雑な依頼だろ。」
「なぁに、正々堂々やるだけさ。」
これは秘密の談合で有る。
「……さてと。そろそろ上がりたいんで、先に出て行って貰えますかね?」
俺は丸めていた背筋を伸ばし、同じ姿勢に溜まったコリをほぐす様に身体を揺する。
「――フン。なんだ恥ずかしいのか?」
なんだこのネコ。
「なぁに言ってんだ。気使ってやってんでしょ。一応お嬢様であらせられるエルノア様の御眼々に私めの豪快な業物が移らないように紳士的な配慮をしてやるっていってんのさ。」
俺はまくし立てるようにそう言った。
「業物。」
エルノアは湯船を覗き込んで笑う。
「おいおい、お前は短剣しか握らにゃいだろにゃ。もっともそっちのは鞘に収まってるみたいだけど。」
――あぁ、強烈なパンチライン。
「……もう、お嫁に行けないわ……。」
塞ぎこんだ俺を見て、エルノアはクシシとまた笑った。




