⑨赤い煙とジマリ牛
ガレ場を下ると空気が変わった。まるで山頂から草原地帯へ戻る道中のような匂いの変化。乾ききった空気に湿っぽさと草の匂いが混じる。加えて鼻を突いてくるのは独特な糞の匂い。恐らくこの先にジマリ牛がいる。だが、問題は牛じゃない。
「ナナシ?」
「あぁ。」
人影だ。5人パーティーが重々しい装備を身に付け、ゆっくりと進行している。特徴的なのはフードとローブと仮面のガスマスク。あんな奴らはタバーンで見なかった。
「…遺物か?」
テツは首巻きを鼻まで擦り上げ、籠らした声で「うん」と言った。ゴーグル越しの目はいつも以上に真剣で、心無しか先程から口数が減っている。
「俺が話を聞いてくる。――というか、」
「分かってるよ。僕が先に終わらせる。」
籠らせた声のまま、察したように立ち上がるテツの腕を俺は引っ張り、もう一度屈ませる。
「――あ、あとちょっとだけ。…作戦が有る。」
――――――
{ジマリ大洞穴・『第二層伽藍洞先』終環点前???地点(未登録)}
「――あのッ!!」
五つの仮面が重々しくこちらを振り向く。威圧感は満点だ、全員190は超えているだろう大きさ。一番高い奴で、2m20か…30…。
「あのぉ~、そ、遭難者を探しているんですけども。――あ、もしかして遭難真っ最中ですか?なんつって…!出口はあちらになりますけれども…。」
「ンンッ―・プシュッー…」
面倒臭そうに一人がこちらに振り向き、続けて、何かに気付いた様に先頭の一人がその動きを制止させガスマスクを取った。プハァーっとマスクの間からは新鮮な空気が漏れ出す。素顔は一体、いや、言うまでも無く、ここまで来れば消去法だ。
「...あぁ、君か!――スゴイな、こんなところまで。」
タバーンにいた英雄。少年の頼みを我先に聞き入れ、率先してこのダンジョンへの行軍を煽った張本人。
「なんだぁ!!今回の連合隊の隊長じゃないですか!?…無事だったんですね?本隊はどうなったんですか?怪我人は?」
――これは驚いた。俺はたいそう安堵して胸を撫でおろし、その優しくてハンサムな眼差しに一気に肩の力が抜ける。……フリをしてみる。
「あぁ。……実は悲しいことに、本隊は事故により分断されてしまった。――し、しかし聞いてくれ!このダンジョンの話だ。ここは実は特殊なダンジョンだったのさ、それもここを攻略すれば皆を安全に救えるかも知れない!――それを知って我々は!!」
「へぇー。それ凄いっすね。無論お供しますよ。」
俺は話を遮り、打ち解けたように並行して歩く。
「――おぉ!話が早いな。そうだ!よかったら案内してもらえるかな?君は恐らく地元の人間だろう?ここまで来れたということは安全な道にも詳しそうだし、外敵からの安全は僕らが確保する。お互い助け合っていこう。ウィンウィンだ。」
「もちろん!――こちらですよ。近道が有るんです。」
俺は五人の先頭、斜め左前方に立ち、手招いてから前を向く。
「ところで君。ここらはジマリ牛の香り高い糞から出る"毒ガス"が充満しているそうだが、例え地元の人間でも君ほど耐性がある人を見たことが無い。――それには、何か秘訣が……」
「さぁ。」
目の前には光の挿し込む草原が見える。糞の匂いは一層強まっていき、男の声はガスマスクに籠った不気味な声音に変わる。アップダウンはかなり激しい、草花も踝から脹脛ほどの長さで立派に生えていて、固まった土の道が恋しく成るほど纏わりつく抵抗感がウザい。歩くだけで草臥れる。
「これだけの行方不明者が出れば、依頼主の少年はさぞ心を痛めるでしょうね。どう説明なさるんですか?」
「ん。そうだね。彼の心のケアもしなくてはならない。」
俺は僅かに高い丘の上まで来ると膝を付き、疲れたフリをしながら遠くを眺める。目の前は良く開けていて草花の影に沢山のジマリ牛がその巨体を覗かせている。しかし大人しそうに寝ている牛は一部のみ。ゆっくりだが確実に、俺達六人の周辺を囲むように、ノソノソと荒い呼吸が近付いてくる。
つまり、俺たちは既にバレている…。
「――よし。では、こう言おう!!」
男はフードを被りながら淡々と話を続ける。ジマリ牛のテリトリーは糞の匂いの強さや種類で隔てられる。地元のおっちゃんがC2で教えてくれた話。この毒の臭気には境界が有ると。
「――大丈夫だ少年。君のせいじゃない!連合隊の優しい皆々は、――強くて‼――かっこよくて‼――イケメンで‼――背が高くて‼」
俺は目を凝らし前方を見据える。
「へへッ。…えひぃ…。――狡猾で!優秀で!獰猛で!敬虔で優秀で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で…!!」
男は息を荒げ始める。マスクの中の黒目は上に振り切っており、白目が剥き出ている。あのマスク越しで薬物でも吸っているのかも知れない……、なんて。
「敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔で敬虔ンナアハァッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
――冗談はさておき、ここらで良いか。
『“神 の 使 い”に、殺 さ れ て し ま っ た と ね・・・!!』
俺は振り返り、腰に手を当てる。
「――それは事件だな。」
そう。これは、事故じゃない。
黒いマントを靡かせ後ろの4人は前へ屈み、踏み込んで跳躍する。気圧されるように流動的に、力を抜き後方へ倒れるように飛びつつ、右手で発煙筒の紐を引き抜く。
「ンンンッ―。…プシュー。」
4人の動きは比較的鈍い。ガスボンベに機械の駆動音。それは装備が重い為か、的はとても狙いやすい。俺の放ったフレアは先頭の一人と重なり、――ドォン‼という轟音と共に、ガスマスクのガラスを貫通した後、そいつの顔の中で爆ぜた。
「……へぇ。なんだ君ィ。知ってたのかよ。汚い子だなぁ。」
マタタビを含む赤い煙は濃く狭く広がっていく。背面の景色、バク転時の視界で捉える景色は、天井の岩に、挿し込む光に、風景の明暗と、光を反射させたスコープ、暗闇の中のスナイパー、そして草原、指先、流れるように動く斜面に左手を付いてそのまま押し出す。身体を支配する浮遊感の後に、重力で体制を整え再度地面を蹴る。爪先から踵、返して膝を曲げ、振り向いて敵に背を、そのまま飛ぶ、すかさず走る。
「ンンッ...!!―ッガガ…」
「…ゴミめ。」
スタートダッシュだ、俺だけじゃない。赤い煙幕を目掛けジマリの猛牛たちは鋭い角を光らせながら一斉に突っ込んでくる。単発の重々しい銃声は鳴り止まず、そこかしこに背中を撃たれた牛たちが暴れ狂いながら興奮して走っている。ザッと数えて二十匹、乱戦の予定が入ったらしい、正面からも煙を背にした俺を目掛け突っ込んでくる。
――充分だ。
俺は最後のフレアを鞘で擦り、発火させ左前へ投げる。
『ンモォォォオオオウ!!』
気分はマタドールだ。大地を響かせるような低音の鳴き声と共に、ジマリ牛が俺の投げたフレアに突進する。それを寸出のところで右手へかわし、横腹を掴んで猛牛の背中へ飛び掴まる。
『ンモォォォ…!!!!!!』
――行くぜ相棒。
『――行ッけえええええええええええ・・・!!!!!』
煙の中の人影は、脆い人形の様にあちらこちらへ吹っ飛ばされていく。マタドールからはリタイアしたらしい。いや、そもそも人なのかも疑わしい。
しかし、牛たちの猛進を器用に捌き、身をかわすものが1人いた。
俺は自分の牛の角を目一杯に引き込みその男へ突っ込ませる。男は牛を見切り身体を直前で左側へステップ。俺はその動きのコンマ数秒後、ジマリ牛の脇腹を蹴り、拳を握ってそいつの眼前へ飛び込んだ。
全てを賭し、命を張ったこの刹那。勝負の一瞬。拳の骨がガラスの膜に沈む。




