⑤追憶の上で
――しかし、それでも。
フシンは痛々しく火傷した左腕を掲げながら叫んだ。あの痛みこそが、フシンの心の痛みや当時のその追憶を、現在に体現させ昇華させたもの。
『僕の家には亡くなった母さんの借金が有った。けれど僕らは楽しくて、家族三人ひっそりと暮らしていた。父さんがいない日は僕が妹を守る役目だった。
そんな僕らを街の皆は見守っていてくれた。ブルックリンは確かに酷い街さ。数ある城下街の中でも最も汚い、もっとも暗い、もっとも貧しい。それでも、そこに住む人間の心は、一つの風前の灯火として、常に暖かかった。例えどんな奴であろうとも、ブルックリンから成功し立ち去る者達を、みんなは等しく祝福した。
――ジョイアン、ラルク、デニー、ミルタ、プチャラケ、ドランテ、アイゼル、クラシュ、ジニー、ミランダ、ケシー、マルコ、リンダ、ブラヘッド、マチルダさん、キンラケさん、そして父さん。妹のリンカ。
僕は。あの日、お前が焼き殺したあの街の想いと、焼き切った左腕の為にお前を裁くッ!!覚悟は良いか、ダイアン・メディールッ!!!』
「た……、退場させろッ!!」
動揺を発露させるメディール家の使用人とイベントスタッフとは対象的に、ダイアンはマイクを手に取り悠々とした顔で声を吹き込んだ。
「待て。」
「な、何故ですか?」
訳も分からず困惑した表情の使用人をあざ笑うように、ダイアンは口角を上げてフシンの言葉に耳を傾けた。
『僕と"決死闘"をしろッ!!』
そしてダイアンは読み切ったような表情で顎を上げ、使用人へ向けてその答えを返えすのである。
「法律だからさ。」
この国の人間は「身分法」により、不平等ながらに身分という区別が存在するが、貴族や騎士を筆頭とした高身分の人間は、下の身分の者からの決死闘を断れないのである。
―――――――――――
決闘台の上、ダイアンとフシンは睨み合うように相対した。
「目的は"メディール家地下室"の開示だ。ベットするのはこの命。」
金髪をさらりと搔き上げ、ダイアンは溜息を吐く。
「はぁ、君は下らん都市伝説の為にその命を賭けるのかい。それにその腕。……悪魔に魂を売るのは法律で禁止されているんだ。君みたいな子供にはまだ分からないかも知れないがね。」
「御託は良い。」
「そうかい。ならば、いつでも掛かって来い。」
ダイアンの金髪が揺れ、フシンの痛々しい左腕に風が当たった。左手の爪は異様に伸び、この距離からは腕に鱗が並んでいるのを見て取れる。中途半端に人を越えた力。腕の周りには赤黒い瘴気が纏わりついていた。
【炎蜥蜴竜《アルデンハイド》の左呪腕】
――常人では到達しきれない、竜という圧倒的な力の一部は、不完全ながら確実に、フシンの左腕に宿っている。
「だ、大丈夫かなフシン君。何分持つかな、ナナシ。」
不完全な竜腕は不可逆性を併せ持つ。それは必然呪いである為であり。それは病のように身体を蝕んでいく。
「さぁな。」
しかし、それを支えるフシンの意志の力は、一つの命に勝るものが有る。つまるところ、フシンが戦える時間は相手を負かすには充分であるだろう。
「1分も、持たないんじゃないか。」
それでも、現実とは非情なのである。重要なのは時間では無い。
『――うぉおおおおおお!!!!!』
フシンが振り下ろした鉤爪からは、マグマにも似てドロリとした大炎が、ダイアンに噛みつかんとするように、猛烈な勢いで襲い掛かった。例えるならば噴火。常人では避けきれない程の速度で有りながら、その勢いは豪雨に氾濫した小川のように強烈。
「すごい炎だ……。」
「――ダイアン様ッ……!!」
使用人は喉を震わせて叫ぶ。観客は息を呑み、舞台が焦げる。フシンは肩で息をしながら、ダイアンへの損害を見届けていた。
「ふん、、、、」
そしてダイアンは現れる。
『まさに、無傷っ!!』
――癖の強い奴め。
ダイアンは両手を広げて天を仰ぎ、
絶望したフシンの顔を見下ろした。
『フハハ!!』
「――な、なんだって……。」
フシンは苦虫を嚙み潰したような顔でダイアンを睨んだ。
「き、効いて無いねナナシ。」
「特殊魔法か。厄介極まれり。」
しかし、これは必然。
勝敗を左右するのは、火力でも知力でも戦術でもない。
――総合力だ。
フシンにはその大部分が欠けていた。戦闘における知識も経験も戦術も。往々にして戦う為には、生きて勝つ為には勇気だけでは足りない。
「魔法を分離する固有魔法か。魔法薬学に精通する奴らにとっちゃピッタリな式魔なんだろう。戦闘以外にも応用効くのが貴族らしい。」
「れ、冷静だねナナシ。僕はもう心配で仕方が無いよ。」
アルクはあからさまに動揺した様子で言った。こと戦闘になると領分から外れる為である。インドア派め。
「どうしたボーイッ!!命を賭けた戦いだ。もっと華々しく踊ってくれよっ!!」
『黙れっ!!』
フシンが肩で呼吸をし、一歩を踏み出すたびに刻まれた痣は広がっていく。かぎ爪を振るえば更に深く、魔法を放てばもっと深く。それには痛みも有るだろう。それ故に焦りもあるだろう。しかし戦いにおいては、その焦りが仇となる。
『――うぉおおおおおおおおッ!!!!!』
左腕に任せた大振りの一撃。
「浅い」
『くっ!!』
ダイアンは両翼を華麗に操り、軽い身のこなしでフシンの攻撃を避けていく。
しかし、ダイアンに中距離攻撃を相殺されてから近接戦闘に切り替えたフシンも中々の善戦。ダイアンから受けるレイピアに血を流しながらも、スラムで鍛えられた身のこなしに竜の力が合わさり、地力の底力を見せていた。
さて、どうだろうか。
呪いが無ければ彼はもっと戦えていただろうか。
もう一年待てば、結果は変わっただろうか。
ダイアンは満足したような顔をして、フシンの鉤爪を煌々と光る翼で掃い、彼を回し蹴りで軽々と飛ばす。
「もういいかな?」
そして辛そうに倒れたフシンを幾度となく踏み潰し、蹴っては笑い。蹴っては笑いを繰り返す。結局はワンサイドゲーム。
『ぐっ……、……がはっ、……だぁッ!!』
「うん?え?……なんだって?」
観衆の声もヒートアップしていく。
「子供が蹴られても、笑ってるんだね。」
「決闘の国だからか。それに身分差も有る。俺たちの国とは常識が違う。」
貴族としての体裁を気にし、情けを懸けると思っていた俺が間違っていたらしい。これがダイアン・メディールの本性か。それともこの国の気性か。フシンが血を吐き、傷ついていくことに、なんら抵抗が無い様子である。
『ガァッ……、だはっ……、ア"ァ"……!!』
「ボーイ?どうした?――このバカめっ、メディールをっ、私をっ、――侮辱っ、しやがってっ!――汚点っ、風評っ、被害っ、――下らん都市伝説などっ、信用しやがってっ!!」
『ガハッ……!!』
「これっ、以上っ、下らない噂が広がったらっ、責任っ、取れるのかっ、君、AHH!!?」
血反吐を垂らせども、間違いなくこの状況を招いたのはフシンだ。復讐だとか制裁だとか、短絡的で直情的な感情に身を任せ、結局自らを追い詰めた。
そういった一時の感情は身を亡ぼす。
「だぁずっ……、だず、助げっ」
「あぁっ?聞こえねぇんだよっ、あぁ?!お前、ここに立ってるって意味分かってんのか?死ぬのっ、お前はっ、今からっ、死ぬのっ!!」
だから、仲間が必要なのだ。
「誰が、だずげでッ!!!!」
――嫌だ。
「誰に言ってんだろうな。」
俺はボソッと呟く。
「ナナシ、ここは堪えよう。なんせ緊急時以外、決闘台に勝手に上がるのは法律で禁止されている。それも決死闘の最中なら相当重い刑になる。」
「分かってるよ。」
フシンは蹴り続けながら悲痛な叫びをあげる。父を殺され、妹を殺され、仲間を殺され、挙げ句最後には甚振られて死ぬのだ。
「――助げでっ!!」
幾ら願おうと、幾ら祈ろうと、神はお前を助けない。それがこの世界。それが現実。それが現状。だからこそ人は、人にしか救えない。神は善行も蛮行も見ていないのだから、きっと必要なのは勇気じゃない。
きっと必要なのは、人を人たらしめている、知恵というやつだ。
「何とか言ったらっ、どうなんだっ……、――いっ?」
刹那。
ダイアンの脚が止まる。
靴底と鍔迫り合いをするのは見知った短剣だ。
「はぁ……、バカだなぁ。」
――子供大好きマン。いや、女か。
アルクはわなわなと唇を震わせ俺を見た。あれも恐らく感情に身を任せるタイプ。時にそれは悪い事ばかりではないけれど。
「……な、な、な、何やってるんだい、テツ……!!」
――計画と違うのは、勘弁して欲しい。
テツは果てしなく殺意を持った目つきで、ダイアンの蹴りを受け止めていた。




