特別短編:オリジン ~英傑たちの継火~
{アイギス魔術学院【戦式魔術学Ⅰ・特別地下講義室】}
教壇の中央に設けられた教卓、その足元へ置かれた自前の台を踏み、背丈の低い彼女が姿を覗かせる。代々その教室は屈強な魔法騎士らが教えを広めていた場である為、彼女には何もかもが大きすぎているのだった。
その様子を生徒たちは眺めている。講義初日の愛らしく頼りない小動物を見るような雰囲気はもはや存せず、その教室にはピシャリと張り詰めた空気が漂っていた。後追いのチャイム。やがて、小さい彼女の口が、小さく開いた。
「第13回 戦式魔術学基礎を始める。本日のテーマは《スレイ》。担当はイト・カミサキ。質問あるものは挙手を。」
台本を読むかのような淡々とした口調から、キリッと目線を上げた彼女へ、周囲の肩がビクッと上がる。
――本日の被害者、ゼロ。
そんな言葉を喉にゴクリと流し込み、教室の沈黙は彼女が講義冒頭に必ず口にする決まり文句から再度破られた。
「アイギスは神の盾、今日の知恵は己が盾と知ること。また慢心をしないように。...さて、今日は復習も兼ねながら、戦時下に一般庶民が徴兵された場合において広く教えられた非人道的な魔法について話したいと思う教科書は72頁から。まず、見せよう。コレが――」
徐にイトは杖を取り出し、瞬間的に教室のヴォルテージと全員の脈拍が跳ね上がる。そして何の戸惑いも無く二言目には、自身の右側面へ軽く伸ばした腕を、目配せもせずに震わせた。
「サーレイ。」
◇◇
――シュンッ!!
風切り音が耳を掠める。着弾音が舞い、曇天には激しい雷が轟いていた。
『・・・一般人への殺傷能力へ特化したこの魔法は主に3つの特徴を孕んでいる。①憶えやすく、②合わせやすく、③不可逆。有事には即席の戦力(一般人)を殺人者に変える最も簡単な方法として、魔法の扱いに乏しい庶民へ広く教えられた。性質としては①速くて重たいモノであること、また練度を高めれば、第二段階として②遅くて重たいが爆散するモノ、にスイッチが出来る。しかし、ここまで練度を高めた一般兵は、日常的な魔法が次第に使えなくなるだろう。そして第三段階③簡易術陣式として複数人が力を合わせることにより、高位魔導士へもダメージを期待出来る高火力の魔弾を放てる。』
彼方の空には数多の煙と魔導士が飛びかい、制空権を奪取し合っている。地上兵はその片手間に魔弾の雨を喰らうがコレには対処が難しい。無論、浮遊魔法が使えるならばそもそも敵の主力と言える。つまり、彼らに殺されようと雑兵が敵う相手ではないから自然な流れだということ...。
「死ねェェ・・・エエエ!!!」
「――ヴェクター。」
(【ヴェクター】白魔法・反転魔術式。
――初等白魔法。対象を跳ね返す魔法陣を展開する。初等であるので発動は容易く制御も容易。しかしながら反転させる魔法現象の大きさ(速度や質量)に比例し難易度が跳ね上がる。成功か失敗かの一か八かであり、使用者の力量と瞬発的な判断力が求められる。)
杖先から白い魔法陣が展開し、胸の中心で捉えたソレを相手目掛けて跳ね返す。
――ヒュンッ!!
軽くて速いような音が飛んでいき、目の前の汚れた兵が四方へ飛び散った。
『呼ばれ方は地方によって異なる。スレイあるいはサレイ、サーレイ。しかしこの魔法の悪趣味な所は「死」に関する言葉なら大抵"詠唱扱い"に出来る所にある。例えば「死ね」あとは「殺す」「消えろ」「くたばれ」だとかは、全て魔法の効力を引き上げる"補助効果"があることが認められている。""大そう悪趣味だけれど、天才的に合理的な魔法。会得が著しく容易な特殊魔法は、世界的にも専らこの《スレイ》くらいなもので、人的資源を戦場に送り出す為だけにある特殊魔法系統。この派生元は①物体自然系説と②原始契約系説に分かれていて、通説は②後者にあたる。その根拠要因としては相手の魔力を僅かに阻害する効果が確認される事と、その威力に不相応な会得難易度が上げられる。取り敢えず、総じて《スレイ》についてはこう憶えて置けば良い。――奴隷の放つこの魔法は、魔導士たちを・・・』
(君たちを)
「私たちを...殺し得る。」
――ヒュンッ、パァァン!!
「うぁぁぁああああああああ!!!!」
「どうしたッ、ルーカ!!――ルーカ、しっかりしろ!!」
「脚が、俺の脚が、脚が!!あぁああ!!」
大きな戦場のその中の、長い戦線のその端の、小さな小さな戦力の、小さな小さな片脚が捥げた。
「あぁ・・・あああ!!!あぁダメだ。置いてけ、俺を置いてけミナ。」
「ルーカッ!ルーカッ!!しっかりしろ、逃げるんだ!這ってでも!前へ進め!!絶対に諦めるなッ!!頼むッ!!ルーカッ!!ルーカッ!!」
「もう助からない!!」
――ヒュンッ!!
◇◇
『数とは、とても単純で強大な力だ。小国が大国に勝てない理由はまず数にある。それでもこの国は数で戦わないことを選んだ。それ故に、この授業は盾の授業となる。大切な他人を護り、大切な自身を護る知恵の時間だ。故に諸君らは、誓って戦場には出ないこと。決して驕らない事、侮らない事、諸君らは諸君らの国の、野蛮な権力者たちの奴隷と成り果てない事。』
一人の挙手にイトは気付く。
『ミナンダ・ガーネット、質問を許可する。』
勇敢にも一人の少女は、教室の独裁者に立ち向かった。
「先生は愛する祖国を、土地を民を家族を、その文化を、侵略者から守ろうとする英傑たちをも奴隷と蔑称されますか。愛する祖国の為に力を尽くそうとする私を、それでも奴隷と貶されますか。」
ガタリっと椅子の音を一つ鳴らし、膝を震わせた男子生徒が賛同する様に立ち上がった。
「ど、同感です。ミナンダに同意です。お、俺たちは――」
「先生が戦いを否定する理由も分かります!!しかしこの教室は代々、英傑たちが戦いの術を学んだ崇高な場所であります。先生は、先生のルーツは流浪の民であるから、先代の先生たちが残した思想を、戦いの価値を易々と否定出来るんじゃないんですかッ!!先生は戦わないから!!」
「おい、ミナンダッ!!」
教室の肖像画たちは、ジッとその光景を見つめていた。飾られた魔法武器の数々鎧甲冑、籠手に兜。そのどれもが血生臭さを想起させる。
「ミナンダ。お前、その辺に――」
『そうだね。』
彼女の声は、それは大きいという訳では無かった。しかしながら、いつもそれは鋭く尖った様に、聞き分けが明瞭に付き、よく通る声だった。
『君たちは、奴隷さ。』
◇◇
「ルーカッ!ルーカッ!!」
「あぁ、ダメだ。手も、折れてるんだ...」
「だからどうした!!生きるんだ!!ルーカッ!」
曇天が風を連れ冬を運ぶ。大地に刺さる様に朽ちた枯れ枝の数々と、秋の乾いて鋭利な短草らが、チクチクと肌に刺さっていた。ザラザラと冷たい砂が服や傷口によく入った。やがて音が徐々に遠のいていく。
「一緒に逃げるんだ、逃げるんだ!!」
「助からないよ...」
悲哀に満ちた声が、静かに聞こえた。それからルーカは、細めた目をジリリと絞り、もう一度開いた丸くした。捉えたのはミナンダの泣きじゃくる顔では無い。彼はただ、そこにある違和感を捉えていた。
「ミナッ、避けろ!!」
――シュンッ!!
「――くっ、ヴェク」
ミナはルーカを庇う様に身体を出し、唱えた。杖を持つ指が縺れる。
◇◇
『君たちは奴隷さ。敗けることを恐れ、勝つことに猛進し、英傑と呼ばれた殺人者に陶酔する。確かに例外もあるだろう。全てに例外はある。故に例外なく、アイギスは防衛側国家の盾となる。しかし君たちの国では、隣国のテロ国家に報復しようと終わらない戦争を行っている。敗ければまた領土を失うのかい。命を失うのかい。例えその背後に歴史的な正解があろうとも。本懐は、そうじゃないだろう。本懐は現在さ、現在だけなんだ。どんなに辛かろうと苦しかろうと、それが死ぬこと以外なら、国の為、文化の為、領土の為、勝敗の為と理由を付けて、自分の命を護ってやれない奴らは、君たちはきっと、勝利の奴隷なんだ。』
◇◇
涙の軌跡が白く乾く。塹壕の中で土色に汚れた少年が、最後の時まで目を開けたまま、腹に穴の空いた少女の死体を抱いて、土塊に混ざるゴミの様に死んでいた。
『・・・』
深く俯いて、黒く燻んだ荒野に立ち尽くすイトの手には何本かの杖が握られていた。鳥の囀りを耳に入れつつ、彼女は塹壕を覗き込みながら、乾いた涙を人差し指で掬い、傍らに落された杖をゆっくりと拾いあげて、小さな口を開いて言った。
『やはりスゴイな、私の魔法は。』
何処までも果てしなく続く曇天に見惚れるように、イトは奪った杖の1つを掲げ、鎮魂するかのように魔法を唱える。
『スレイ。...スレイ。スレイ。――スレイ。。。スレイ。』
幾つもの魔弾が雲を穿つように打ち上がり、空から光の梯子が落とされる。イトの肩には小鳥が乗っていた。
『あぁ、なんと。なんと美しい。聖歌隊も、貴女方を祝福している。』
厚みのある空気を纏う様に、優しく笑いかける彼女の周りで空間が優しく揺れる。
『はぁ。』
イトは息をたっぷりと吸い込むと、恍惚とした表情でそれを吐き出し脱力した。
「見つけた。」
冷たい声色が耳を刺す。背後からは、もう一人、ドッペルゲンガーのように瓜二つの様相をしたイトが姿を現した。ゆっくりと彼女は声の方へ振り向くと、ピチュンと小鳥が首を傾げ、はてなマークを浮かべている。そして傾げた首はそのまま、滑るように斬れて落ちていってしまった。
『フフ...見つかってしまいましたね。』
「・・・」
『貴女が居るということは、来ているのでしょう?しかし敬服しますよ、その度胸には。』
「度胸?そうだね。」
イトは舐め回すように、自分を模倣したその姿を見てから言葉を続けた。
「貴女よりは、きっと有るんでしょうね。」
二人の間を取り繕うように周囲の草木がより一層枝垂れていく。曇天はそんな二人を祝福するように光源を広げていった。
「久しぶりだね、キリエ。」
―――下 が っ て 。
『ええ、思い出した。私貴女には、興味無かった。』
姿かたちを禍々しく変えながら。一つ、間を置き口を開いたキリエは、悟ったかのように口角を上げ、即座に言霊を変えた。
『アハハ!!そして、さようなら。我が友。いずれ、私の子供たちが産声を上げ、遊びに行くはずです。その時は是非、お手柔らかに――』
屈託のない表情。それはイトへ向けられたものでは無いと、誰もが理解できるほどに質を変えた笑顔であった。刹那、直径7mを優に超す大きさの魔法陣から巨大な拳が現れる。その拳は雲を掠めたようにキリエと呼ばれたナニかを霧散させて吹き飛ばした。或いはそれは、既に霧散していたものであった。
◇◇
その書斎には全てがあった。木目の美しい本棚には選りすぐりの魔導書と、希少な資料だけが並べられていた。
「姉さん。その子は?」
サテラに抱えられた赤子の伸ばした手をイトは無視してそう言った。サテラもまた、その手を取らずにただ赤子を腕の中で軽く揺すっていた。
「拾った。」
イトは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「私が見つける。」
「分かるでしょ。私には、きっと敵わない。光継が大きくなるまで待てないよ。それに、教え子を騙して死んでもらうなんて、酷な話じゃないか。」
「死んでもらう、なんて……。」
明るく振舞うサテラとは対照的に、イトは顔を長袖に埋めながら、パチパチと弾ける暖炉の火を見つめ、暫く黙っていた。彼女の机に開かれた文字の羅列のその一節をイトは想起する。悪神を倒すと伝えられた、神殺しの英傑。必要なのは大いなる力を隠匿する為の、大いなる影。
「責任は持つ。私の拾った大いなる責任。」
「・・・名前は?」
二つの意味を孕むその問いに、サテラは少し黙って、真剣な面持ちで答えた。
『もちろん、……セカイさ。この子はセカイ。君の名前はセカイなんだ。』
口角を無理矢理上げたサテラへ、無情にも赤子は笑う。
「覚悟はしたんだね。」
イトは俯いてそう言った。その問いに対し、サテラの回答は明朗だった。
「うん。安心していいよ、セカイ。永久に揺らがない、私の覚悟だ。」
サテラは赤子を強く抱き、イトは依然俯いたまま、言った。
「――私たちの、ね。」
確認するような頷きを見て、イトは躊躇なく"伝記"を暖炉の火柱へ放り棄てた。