⑦テヌーガ魔術学院の秘密4
「ブラックブックは学院の蔵書で最も古く価値のあるもの。名立たる伝統校と同じく、この学院は大城を基とする学び舎であったが、ブラックブックとはこの学院が王家の城であった頃に制作された、大防衛魔術の記された魔導書。」
「これが....」
台座に置かれた終環点を示す物体。それが大城を支える最終防衛システムで有ったのなら、1クランが持つには手を余し、大国ならば喉から手が出る程に欲しい代物。若かりし頃のエリックもまたそれに手を伸ばしていた。
「あの瞬間、私は自分の使命を悟った。残された4人の知能と飛び散った肉の兵と共に、この学院を守ること。そして穢された律を整理し、神々の名の下にブラックブックを活かし、生み出し、屍化し続けること。全てはヒュドラの策略の中に有った。不要なものを削ぎ落し、私を中心とした冥府の家城で熟成を待つ。残った甘い果汁を貪り啜る為に。」
あの日のエリックがブラックブックに触れ、学院が唸る様に紫色の光を放つ。
「本末転倒じゃない。結局無害な市民を殺害したのはアナタの刃。裁判だ断罪だと言いながら、躊躇なくアナタはギロチンを落させた。」
ミカルゲのその言葉にエリックはゆっくりと首を振る。
「択は一つであった。愛すべき学徒と敵国の捕虜、その天秤は酷く明確に傾いている。加え、ノスティアは今も王国とは名ばかりのもの。アイギスを超越する為に帝国の名を冠そうと野心に燃え、王は神格化されていた。すなわちいくら神書を元にせんとも、王の命は神の命。そこに勝る法は無く。残されるは解釈を模索する営みのみ。ヒュドラの魔術も即刻我々の息の根を止めるものだと理解していた。何せ我は魔術を納める者。」
リザはなるほどと腑に落ちたような顔で、呪われた学院を見下ろした。
「終遺物の為に作られたシーラって訳か。強化されたブラックブックの探索をノスティアは秘密裏に、しかも最速で狙える。育てた果実を収穫するようにな。」
「どうだか、実情アンタらは俺達に侵入を許している。足止めの方法もやけに古典的。案外、そのブラックブックとやらは大したこと無いんじゃないのか?」
俺はエリックを睨んだままリザの言葉に軽口を返した。もちろんそれは、この男への牽制でもある。
「無論である。」
しかし、老人のエリックから出た言葉は意外なものであった。
「ブラックブックは私が鎮めている。本来の術陣防衛力と死者を操る力は発揮されていない。残された能力は、敵を排除せんと無意識に動く聖職者たちと、玉座であったこの空間を縛る一方的な不戦の結解。」
「どういうことだ....?」
「抗いである。私の目的は処刑の大義を解釈すること。しかし....疲れた。」
「疲れた?」
その低く響く皺枯れた声は、風前の灯火のように揺らいだ声色で語る。
「あぁ。例えそれが神に背こう者であろうとも。君は3歳の子供が首を斬られる所以を知るか?....私は彼ら一人一人と向き合った。神の意志は絶対であると。彼らの真名は悪魔であり、殺人鬼であり、無法者であるとそう信じてきた。しかし、....もう疲れた。ここにある魂たちを、もう穢してはいけない。我々は、鎮まらなければいけない。鎮めてやらねばならない。例えそれが今、彼らの自由を奪う結果となろうとも。」
エリックは答えを出さない。数百年もの間頭を抱えながら机に伏し、それでもしかし処刑の大義を探していた。それは今も、ずっとそうなのだろう。故にこれが諦めと締めくくる。
「なら、さっさとその終遺物を貰おうか。そうすればこの人工的なシーラは永遠に眠る。」
「あぁ、構わん。....その本を閉じ、台座から降ろすだけだ。」
「意外と簡単なんだな。」
俺は疑いながらジリジリとゴールテープに近づいていく。文字通りブラックブックの管理下にあるのなら、この本の奪取でシーラは終環する。
「ブラックブックは本来、秘匿されしもの。日に当たらぬ故、陰りの本(=ブラックブック)と名の付いた。ヒュドラの陰謀、術式に亡者を取り込んだ手間も陰の親和によるもの……。」
「そうか。」
俺は間合いを計りながらブラックブックの前に立った。それを催促する様にエリックも俺から距離を取る。
「あぁ、やっとか。」
エリックから漏れ出たのは安堵の溜息か、しかし俺の肩を掴みミカルゲがそれを制止した。
「――待った。」
「どうした?」
その瞳はジリっとエリックの事を見つめていた。
「かつての捕虜の反対呪術が、つまり命と引き換えにしたあの呪いの爆発が、ブラックブックの効力を度外視したのは何故?その本が城を護るなら、なぜ貴方は肉体を失い、大勢の学徒もここで死んだの?」
「・・・」
エリックの沈黙に構わずミカルゲは追撃する。
「ブラックブックが機能したのなら、何故城外まで呪いの効力が及んでいるの?ハーベストはテヌーガ方面へ耕すと一定の境界線で作物が育たなくなる。天候の異常性を表す周期も城外から一定の位置まで及んでいる。でも私は今日確信した。シーラが出来たトリガーが貴方が見せた通りの光景ならば、あの中途半端な被害範囲は本来、ハーベスト全域に到達していた。」
「ホウ。」
最早エリックの反応など構い無しに、ミカルゲは続ける。そこにはテヌーガに魅了された者の探求への気迫と、確信があった。
「貴方はそれを知っていたと仮定すれば、いやテヌーガ魔術学院の教授である貴方なら確信的にそれを知っていたはずだし、ハーベスト全員の生命を抹殺するほどのカウンターなら、捕虜は確かに全員処刑に値する攻撃性を持っていたと解釈出来なくもない。でも別にそんなことは今の私たちには関係ない。重要なのは、保管された反対呪術が何処に消えたのか?――答えは、その本の中しかない。」
ミカルゲはブラックブックに触れようと伸ばしていた俺の手を取り、手繰り寄せた。
「その本は亡者の世界に呪術を閉じ込めたんだ。だから安易に遺物を取り除けば、保管されていた反対呪術がハーベスト全域へ展開される。そうでしょ?それ故にノスティアは結局ブラックブックを回収できず、テヌーガの情報を闇に葬った。これで辻褄が、全ての点が合致するッ....!!」
エリックはまた皺くちゃになった顔を石仮面で覆った。そこにはまた得体の知れない不気味さが舞い戻る。
「素晴ラシイ。良ク学ビ、良ク考エタ者ノミガ、ソノ答エに辿り着ク....」
そしてエリックは感心したかのように乾いた拍手をゆっくりと四回し、指を鳴らした。
「懐カシイ、カツて答エニ辿リ着イタ者モ居タ……。」
そこに移るのは今と同じ様相の正にこの場所に辿り着いた2人の探索士の姿。
「お父さんと、お母さん....」
「シカシ学院ハ、ココに辿り着きし者を生キテ返しはシナイ。」
不戦の結解。それを一蹴して嘲笑う様に、2人の男女は醜い怪物に一方的な攻撃を受ける。
「そんな....」
「不戦はどうした不戦は。」
「超越した聖職者のみが断罪を許されている。それは今も磔と同じ痛みを享受し続ける、呪われた学徒の肉兵たち。」
「そんな....やめてっ....」
その二人は強かった。圧倒的な数を前にして、決して終環点に振り向かず退路を探し襲われ続ける。どれほど血が出ようとも、肉が裂けようとも、結論を変えなかった。そして結末はきっと、知っている。