⑤テヌーガ魔術学院の秘密2
「絶望はいつだって唐突に訪れる様に思えます。しかしながら、その正体は負債のパンクです。精算出来ずに蓄積した悪魔との債務が決壊したものに過ぎない。故に我々は判断せねば成りません。早期に、それも確実に。我々が絶望する前に。」
雲一つ無い晴天の日であった。大城の中心、美しい宮殿の絨毯に膝を突き、横では幾つもの衛兵が並ぶその一角で玉座を仰ぎながら、天然パーマを肩まで放置し目下に大きなクマを浮かべたエリックは進言する。
「私は既に絶望したのです。2年経ち、我が教え子の死体を目にし。3年経ち、友の訃報を耳にして。4年経ち、その妻子の心中を止められず。そして今開戦より5年経ち、この国に増えたのは依然死者だけ。……王よ。あぁ、聡明で偉大なるノスティア王よ。この戦争の大義は既に破綻していますッ。東ハーベスト側にサカイノが付いた段階で決着したのです。」
「――貴様ッ!!」
エリックと同様に隣で膝を付く髭面が、彼の胸ぐらを掴んで拳を握る。
『よい。』
凍える程に冷徹な声でそれを制止したのは、瑠璃色ヴェールに顔を覆った若き女王であった。
『宰相、ヒュドラ。』
「・・・はい。」
王の横で、ヒュドラと呼ばれた見慣れぬ紺いローブの老人がゆっくりと姿を見せる。新入りだろうか、その出で立ちは妙に不気味で、呼応する声色は禍々しさを感じさせる。エリックは少々の身震いを起こしながら、ヒュドラの小さな声を掴もうと身体を振り、胸ぐらに有った髭面の手を退かした。
『経過を――』
「全て順調かと。イーステンは既に企てを始めました。概ね軌道に乗せられたかと...」
エリックはその口元に目を細めるが、努力も虚しく国王とヒュドラの会話は程なくして切り上げられた。
『...よろしい、頼むぞ。』
「はい。」
そしてヒュドラと呼ばれた男は玉座前の段差を丁寧に降りると、宙で手に輪を作りそれを優しく絞め潰す。
「ダッ!!ウッ・・・カッ!ガハッ!!」
同期するようにエリックは苦しそうに首を抑えながら、ツーと身体を首から下がる様に宙を浮かせた。
「ガッ、カッ、クッ・・・」
「ふん。」
気がすんだように魔法を解き、ヒュドラはローブに陰る蒼い眼光でエリックを睨みながら言った。その目尻には幾重にも皺があり、裾から伸びる腕には隠しようの無い老いが露見していた。
「小僧。」
「ガハァッ...!!ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!!」
「本当の絶望とは、己に顧みるものと知れ。」
「――ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ...!!」
涎を吐きながらエリックは首を抑え、息を整えようと必死に呼吸をする。しかし幾度も幾度も空気を吸おうと、肺に酸素だけが入らないような感覚が彼を襲っていた。そしてただヒュドラのその言葉だけを頭の中に反芻させ、エリックは過呼吸の末遂にその場に倒れ意識を失った。
◇◇◇
「先生、先生ッ!!」
エリックの瞳には、自身を介抱する女学生と見慣れた天井が映っていた。
「医務..室?」
「先生、急にお休みになられて心配しましたよ。それより、どうしてこんな案件を受け入れてしまわれたのですかッ、先生!先生ッ!!」
肩を掴まれ、エリックは学生のその気迫を前に二度咳き込んで苦しそうに尋ねた。
「..な、なんのことですか?」
「何故とぼけるのですか!!」
エリックに怒りを見せたその学生は、首に紫色の紋様を鈍く光らせた。
「それは……?」
――ハッとぼやけた視界のピントを合わせ、エリックは医務室を歩く看護師の首にも紋様があるのを捉えた。
「貴女たち、その首のは何ですか?」
「首・・・?」
名も知らぬ女学生は置かれた手鏡に自分を写し、呆れた様に問い返す。
「なんのことです?それよりも契約の即時破棄をッ....」
エリックは女学生に突き出されたボロ雑巾のような紙に、自分のサインが書かれているものを発見する。しかし彼の興味はその紙の裏で鈍く光る紫色の光にあった。
「裏を、見せてもらえますか?」
「はい?えぇ。いいですが、何も書いてありませんけれど。」
何も書いていないことは全くなく、エリックにはその文字が見えていた。紫色に鈍く光り、明確に国王のサインが記された命令。そしてそれに応えた自分のサイン、その日付は七日も前のものであった。
「あなた。私がテヌーガに戻ってから何日が経ちましたか?」
「え?五日ですが。昨日も一緒に居たじゃないですか!」
「まさか……?!」
エリックは布団を引っぺがす様に飛び起きて、外のカーテンを開く。そしてここじゃないと踏んで、医務室のある7Fの廊下をぐるりと回り、テヌーガの正門側のカーテンを勢いよく開いた。
「先生っ、どうされたのですか!?」
――【王令全文】
国王 ノスティア
宰相 エイブラハム・ウィル・ヒュドラ
「戦争犯罪人の処刑を命ずる。」
1.テヌーガ城内での処分として完結させる事。
2.戦犯以外の犯罪歴、罪状を精査し裁判を行う事。
3.送還された戦争犯罪人は極刑により断罪する事。
4.王令の漏洩を禁じ、下記の名の下に遂行する事。
テヌーガ魔術学院
学院長 エリック・アンダイン
※王令に反する場合、毒牙の呪い発動せし。
「先生!!」
窓の外に在る景色は、大蛇のように伸びる死の行列が学院へ続く様であった。エリックはすぐさま振り返り、女学生の首元を凝視してから階段を駆け上っていく。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!!」
「――あっ、先生!」
エリックは他学部の見知らぬ学生に挨拶される。普段は無口で研究室にこもりきりの自分対して注がれる視線。
「――ごきげんよう新学院長。」
「――あっ、先生。昨日はありがとうございました。」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」
エリックはその全てを無視しながら走った。目に映る全ての人間にある首の紋様、猛毒は既に回り切っていた。
「先生!!」
「――エリック。」
「せんせい」
「あっ、先生!」
「学長。」
「せんせ~」
「エリック先生~!!」
『私から離れて下さいッーー!!私からッ、私から離れなさいッ!!』
エリックが言葉を発し、周りの紋様が鈍く光る。
「はい、先生。離れます。」
「はなれます。」
「離れます。」
「離れます。」
「離れま~す。」
学生の目からトロンと生気が消え、皆がその場を離れていく。エリックそれに焦った様子で口を両手で覆いながら塔の上へ駆けあがっていった。そして蹴破る様に見張り台の扉を開け、彼方まで広がる景色を眺める。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
エリックは上がった息のままに一時思案し、酸素が頭に回らぬ内に身を乗り出した。
「――お別れですッ!!」
エリックはそのまま欄干に手を付き、体重を前に出す。しかしそれを制止する様に首を絞めた紋様がエリックを塔の階段まで突き飛ばした。
「ダァッ……!!」
ガン、ドンと鈍い音で背中を二回当てエリックは倒れる。そして真っ白になった頭で皮肉の様に広がる快晴に笑った。
「死なせて、くれないのですね。」
Tips
・四大国王の名前
『アイギスを除く四大地域、イーステン・サステイル・ウェスティリア・ノスティア内に乱立する全ての国は、その地域の大王に忠誠を誓い、一つの連合国として存在している。その絶対的な権力を持つ四つの大王の名前はそれぞれ、イーステン王・サステイル王・ウェスティリア王・ノスティア王と、実は各地域の名と同じであり代々それが継承されている。これは王の素質が魔力適性の有無に関わっていないことを示唆しており、真名を暗殺系の呪術や魔術に利用されないようにするための対策である。無論歴代と判別する為に字名を付けられることは少なくない。また歴代アイギス王は神樹の加護下にありこの例外ではないという。』