④テヌーガ魔術学院の秘密1
「エリック、調子はどうだ。」
「あぁ、順調さ。ハスも準備は出来たのかい?」
{テヌーガ魔術学院:南西大塔}
国に支給された鎧をガチャガチャと重たそうに纏い、ハスはお気楽な口調で言った。
「あぁ、収穫祭までには戻って来るさ。」
「次は来週だ。」
学院の貴重なローブを羽織り、大層聡明な様相のエリックは間髪入れずにそう告げた。
「来週はちょっとな...」
困った様子でハスはカレンダーに笑う、谷を越え、窓から遥か眺め降ろすその街には二カ月に一回収穫祭が行われていた。春野菜、夏野菜、秋野菜、冬野菜。そして稲刈りに、果実狩り。未だかつてないほどの豊かな耕地。ノスティア領テヌーガ地方はその豊かな土壌により国を支える貴重な食糧庫足り得ていた。
「私は君の無事を祈っている、それは君の妻子も同様にだよ。」
「そうだな。だが俺のことは良い。国が勝たねば妻子も豊かに生きていけない。祈るなら勝利を...っと、それは何を書いているんだ?」
エリックは楽しそうに微笑みながら左手の筆を滑らかに動かす。
「人は殺していいんだよ、ハス。」
「罪が有ればな。」
ハスは腕を組んで答えた。
「そうさ。『人を殺してはいけません。』この台詞は物事を単純化した御飯事の中だけさ。人は殺して良い。だからこそ犯罪は抑止され、戦禍に挑まんとする君たちは犠牲を減らしながら敵国に勝てる。無論、神の意志により他者の命を奪うことは禁止されている。だがつまり、そこには奪われない権利も存在するわけで、テヌーガはその権利に優位を置いている。この聖典解釈、延いては法律があるからこそ君たちは敵を屠ることが出来る訳だ。」
神の意志による法律。こう生きるべきだと記された神書に社会性を付加し、実践的な秩序を模索する。それこそがテヌーガ魔術学院に最年少で学長位を得たエリックの仕事であった。
「テヌーガねぇ。」
「失敬、ノスティアさ。我々は巻き込まれたに過ぎない。私は酷く改革派でね、敵国の兵士であろうと命を奪うのは聖典に反するのではないかとも考えるんだ。」
「ほう。軍人に聞かれちゃ怖い話だ。」
ハスは身震いをするような反応を取り、エリックを茶化した。
「ふふ。何をバカな、学問の自由は保障されているのだよハス。それに私は例外を見つけようとしているに過ぎない。つまりは君の味方でもあり、結局は軍人の味方なんだ。嬉しくは無いがね。」
「背理法って言いたいんだろ、分かってるさ背律のエリック。異端児と呼ばれたお前のことだ。」
ハスは溜息を吐いた。二人の付き合いは幼少期に遡る。同じ学院で魔術と知識を学び、幾たびも道を交差させた二人が、また互いに歩もうとする一抹の別れ道。
「あぁ、でもハス。君の次に生かせる命が在るのならば、君はその手を汚すべきじゃない。」
エリックは本心を隠さなかった。
「お前...」
「すまない。今から戦地に赴く人間に、伝える言葉では無かった。」
「国の為だ。」
「あぁ、それは僕の為でもある。ありがとうハス。君が例え誰を殺そうとも、僕が弁護をしてみせるさ。例え神からでも。」
エリックは紙に貼り付くほど近付けていた顔を上げ、背筋を伸ばし、ハスへニヤリとほほ笑んだ。
「行ってこい。」
テヌーガの大塔、その学長室に設けられた窓からノスティアの平原が無限に広がっていく。雀が囀り、鳩が寝ぼけ。鷲は高く大空を旋回し啼いていた。
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