⑧行かない。
ステンドグラスに雪が積もる。外は依然吹雪いているが、この部屋には暖かみが有った。
{テヌーガ南西ルート:B2『礼拝室』}
小さな暖炉、並べられた椅子は艶やかな木目を見せ、繊細な刺繍のある絨毯には程よい厚みがある。
「凄いね。」
アルクが見上げ、鈴の音がリリンと鳴る。正面右には小さなパイプオルガン。鉄球で破損したであろう礼拝室の中央には名も知らぬ無数の花束と木の棺桶が有った。そしてその上には折れた十字架とそれを吊るす様に鎖が天から伸びていた。
「冷たい。」
鮮度の良い花束は明るい色のままに凍っていた。テツはキンキンに氷づいた一本の薔薇を持ち上げ、ハァっと息を吐いた。やがて氷はパリッと音を鳴らし、空気が触れた途端に鮮やかなその色は茶渋のように黄ばんでくすんでいく。
「小細工があると思ってたがこの部屋、完全なシーラに切り替わったな。」
アルクは試しに指を鳴らし、軽い炎を上げようとする。しかし、いつもは拝める手品のような灯火がくすんだ様にプシュっと消えた。
「魔素が乱れてるっていうより、無い感じだ。」
「そうだな。」
アルクの言葉にリザが賛同した。
「ここは丁寧に管理されてるように見える。花の置かれた場所は外気を循環させるように高度な仕組みで作られてる。凍ってるのは魔法じゃなくて、この気候条件を利用した天然の冷凍庫。献花台兼、献花冷却台。無数に開けられた穴から冷たい風が循環してるのが分かる。高い技術。」
「それなら、冬季に入る前に誰かが置いたってことにならないか。」
俺の言葉にリザはコクリと頷いた。
「誰かさんが壁に穴開けたおかげで、構造が良く見えるが、こいつは年中無休で冷却できるもんじゃねぇ。」
リザは鉄球の衝撃を受けた壁の穴から外壁を覗く。一瞬の暇であったが、その赤髪にはびっしりと雪が付いていた。リザは首を振ってそれを落すと、何かに気付いたかのように地面へ手を伸ばした。
「おっ。」
リザは俺手招いて「取れ」と指さす。目の前にあるのは手のひらサイズの鉄球。
「なんだよ、これがどうした。」
砲丸投げでも出来そうなそれを上から抑えつける様にリザが手を乗せた。途端にズシリと鉄球の重みが増す。
「うっ……、そでしょ冗談ッ!!」
俺はサッカーボール大にまで急激に肥大した鉄球を手から滑らせた。鉄球はズドンッと重々しい音を鳴らして地面の木板を割ってめり込んだ。
「わぁ、オツヨイノネ僕ヨリ・・・・」
「泣くなよナナシ、これがリアルだから。」
リザは胸を張ってニヤリと笑った。アルクはそんな俺の背中にそっと手を置き鉄枷をつつく。
「まぁまぁ。むしろ君なら持ち帰れるしラッキーだよナナシ。」
恐らく、これがアトラスの鉄枷なのだろう。
「ミカルゲ、これ金になるよな。」
リザは陽気な顔でそう言った。
「え、えぇ。そうね。ホンモノなら私のガイド料くらいにはなるかしら。」
『――えっ?』
一斉に振り向いた俺達三人へミカルゲは呆れた顔をする。
「冗談だって。お金のことだと、急にみんな怖いのね。頼りない。」
ミカルゲはテツの後ろへそそくさと隠れる様に身を引いた。
「まぁとにかく、ここに小細工は無さそうだ。絨毯の裏、椅子の裏、天井に暖炉の中、その中の薪、献花台の縁、ステンドグラスと折れた十字架。全部ナチュラル、罠に見えるものは無い。用意されてたのはあの怪物だけらしい。現時点ではな。」
「魔法が使えないのに、私はこの場所で両親の幻覚を見てたってことね。しかもあんなにも鮮明に。」
ミカルゲは俯き、テツがそっと寄り添った。俺は今一度刀についた脂を拭いながらノアズアークに腰掛けて話す。
「それがシーラの本質だからな。炎魔法が遮断された人間に対して、依然ドラゴンならば炎を吐ける、咆哮を吐ける。水中で息が出来なくなる俺たちに対し、依然サメならば元気に牙を向く。して、ここをセーフゾーンにして、あっちにある階段からまた進むのかを聞きたいところだけど。」
俺は左手に見える壊れた大扉の先、その闇へ向かって伸びる階段の方へ視線をやった。
「――いや、行かない。」
しかし、テツは残された選択肢を前に、さも当たり前かの様にそう返答した。