⑦律
「ナナシは怖く無いの?」
巨大なガレ場と闇の中で、彼女は淡々とそう聞いた。ヒンヤリとした空気が頬をなぞる。仄明るいランタンは今にも消えそうなほど儚くて、僅かに照らされたその雑に切られた髪の毛に、土臭い服を纏って、その首巻に埋もれた彼女は、まるで馬鹿でも見るかのような目でそう聞いた。
「なにが。」
「死ぬのが。」
生きる為にそこにいた。超高難易度ダンジョン、アミテイル。凶悪なモンスター、難度の高い道程とその岩壁、しかし果敢に挑むのは、明日の命を繋ぐため。
「死ぬことには、死ぬ間際まで怯えないさ。」
「違うよ。ここまで潜る人たちは、皆命を賭けてるけど、同じくらい覚悟と技術を持っている。でもナナシとアルクはそのどちらも持っていない。」
「覚悟って何の?」
「死ぬ覚悟。」
その一言には重みがあった。
「――要らない。」
しかし即答した俺に、彼女はしばしば驚いた目を向けていた。
「どうして。」
「死ぬ覚悟なんて存在しないからだ。そこにある美徳は窮地で生きるのを諦める潔さ。結局紐解けば、そこにあるのは諦めだ。そこにあるのは、思考を放棄し選択を捨て去り判断を投げる。勝負を投げる。足掻くことを諦めること。痛むことや苦しむことから逃げる事。俺達はそんなものを持ってないし、俺達には必要ない。」
彼女はカップの中の自分を見ていた。
「……なる、ほど。」
「それに技術は確かに無いかも知れないが、どんな奴が来ても負けない自信はある。あとは挫けない心~♪。」
「そうなんだ。」
彼女は冷めた様な目をしてカップの紅茶をすする。俺はそれに構わず言葉を続けた。
「でも、やっぱり暗い所は怖いからなァ。さっきも言ったけどさ、なんかこう活路を見出してくれるというか。俺達には自信と強い心はあるんだけど、賢い奴がいてくれたらなぁ、なんて。こう、先の見えない暗闇であと一歩を押してくれる人がなぁ・・・・」
こいつが一体、なんと言うのか気になった。その時、この期に及んで決め台詞だとか、カッコいい言葉だとか。粋なチョイスをするんだろうと、俺は勝手に思ってた。
――――――――――――
「ダメだナナシ、――君はッ!!」
アルクの声が霞みのように背中で消えた。何度も俺の背中を引っ張る、冷静沈着な窮地の時のその声色。俺は刀をキッチリと握り込んで振りかぶる。目の前のそいつもカマキリみたいな腕を振りかぶっていた。動きは断然鈍い、しかし悪意はそこまで迫っている。プーカが死んだ、血を吐いて倒れた。死ぬ覚悟はカッコいい言葉だ。呪いとは穢れたものだ。もちろん覚悟なんて出来ちゃいない。そんな考えは初めから無い。あぁ、敵意が迫る。眼前に迫る。人生はなんてしょうもないものなのだろう。選択とは時に、残酷すぎる鬼畜に成り代わる。だからこそ、それを支える仲間がいる。
『痛ッ―――――――』
奴を斬ると選択した刹那、背中にゴム弾みたいな痛みが広がり、音が世界に現れた。
『でぇええッ!!』
「君は幻覚をッ――」
背中の激痛を感じながら、俺は既に振られていた鎌を膝を地に落として滑り込み、前髪で掠めて回避する。次いでテツの二発目が――ダァンッという轟音の後に耳元を掠め、そいつの膝を崩す様に貫いた。なんというクイックショット。そして弾圧の調節速度。俺は自分の焦点を奴の持つ人面の生えた瑞々しい脇腹に合わせ、ほぼ同時に振り抜いた。
あぁ、よく覚えている。テツ・アレクサンドロスという逸材を。彼女と初めて会ったあの日の、あの場所の、彼女があの後に発したその一言を。
――いや。僕も暗い所は怖い。
「ヒット。」
だからこそ彼女は、彼女足る。
「ふぅ。」
俺は血振りを一つし、鞘へ刀をチンと納めた。
「玄武一閃 feat.テツ・アレク――」
「まだ終わってない。」
――ダァンッ、ダァンッ、ダァンッ。
快いとどめの銃声を幾発も鳴らし、テツは怪物と距離を詰めた。
「まだふざけないで。」
『ヴッ……、ア"ア"ッ……ドウジデェ……』
――ダァンッ
「まだ生きてる。」
『ヴッ……』
――ダァンッ
『フィ...ドッ...』
――ダァンッ
撃った箇所からみるみると肉が生えてくる。
「すっげぇ再生力。早期決着で良かったァ~。」
俺は指先をチョコンと斬って血を振り回した。
『メジィ..ヴッ』
――ダァンッ
「プーカさんはそんなブサボイスちゃうんねんぞ。ぺッ!!おらッ!!」
プーカは足蹴りを決めて、靴に着いたネバネバを嫌そうに床で拭いた。
「ちっ。負けちゃってよ。」
「やめなさい。Breaking Town見過ぎなんだよ。ってかどっちの味方?」
――ダァンッ
プーカは上がらない筈の腕を上げ、平手を天に、人差し指を若干と伸ばしながら言った。
「アンタでもいいよ。」
「やかましいわ。」
淡々と追討ちを掛けるテツの横で、俺は碧髪を撫でながら制止した。絶賛アルクに介抱されているミカルゲも意識が戻りつつあるようだ。しかし瞼は重々しく、頭痛を抑えながらもまだ眠たそうに見える。
「おい、ナナシ。無事そうだがなんださっきの、あの寝言も計算か?いつから正気でいやがった。」
リザの言葉に、俺は血の垂れた指をちっちっと揺らした。
「生憎呪われ慣れてるんでね。」
皮肉である。
「あぁ。そう言えば、そうだったな。」
安堵の表情か、哀れみか、リザは肩を落としてフッと笑った。
『ヴッ……、ヴヴッ……』
肉体再生。超常的な現象は大抵が律のなかに有る。俺の呪いはそれを破り無に帰すもの。一方こいつの能力は他者からの嫌悪感や拒絶感、それこそ呪いに近いものを集め強力な幻覚を見せる力、そして底なしの耐久性を併せ持っている。それこそ摩耗なんて起きない程には。
「どう思った、リザ。」
リザはじっくりとそれを観察し、俺の言葉に遅れて気付いたように答えた。
「……あぁ、言いたいことは分かるぜ。呪いってのは人間的なものだ。つまりは感情に伴う知力、殺してやるだとか傷つけてやるだとか、そういったものを間接的にやろうって営み。酷く人間的だ。だから呪いを利用しようっていうこいつの存在は人工的に見える。遺物的で、創られたかのようにな。」
「何の為に。」
リザはホワッと息を吐いて、天を見上げた。
「ここはテヌーガだ。そりゃあまぁ。死刑より酷い事、...する為だろ。」
懐疑的で有りながら、どうにもそれは納得のいく答えだった。