⑥囚人
――確かに、縦型に長いこのダンジョンは明らかにノアズアークと相性が悪い。加えてプーカが負傷した今、枷と言う表現に疑問は無い。方舟探索法、これをテヌーガとの戦いと見れば一手追い込まれた節がある。
「賛成か反対かは後で聞くよ。それに他にも色々考えてた事が有る。でも取り敢えず今は、礼拝室を無力化したい。」
「そ、そうだね。こんな廊下で突っ立ってないでさ、もっと安全そうな所にさ。」
怪物という響きに敏感になっていたアルクが、肩を竦めて食い気味にそう言った。その矢先で有った。
『アトモスフィア、ドラグニス。』
テツが唱え、銃が変形を見せる。ドラグニス。つまりはアトモスフィア狙撃銃、対人用ドラグーン。テツが発した一言で刹那推測出来る事は、敵は人型の何かで有るという事。そして機動力が有り、ある程度は柔いと想定されるもの。俺は振り返りざまにエルノアへ合図する。
「刀くれ。」
キャラバンの小さな溝が闇に呑まれたような漆黒に染まった。そこからは水を弾くように刀剣の柄が飛び跳ねる。俺はそれを冷静に掴んでから、しっかりと身体を正面へ向けた。正面とはテツが監視していた方向。すなわち礼拝室の口。
「おいおい。こういうのは、ボス部屋入ってからってのが相場だろ。バグですか?それともただのモブですか?」
答えは恐らく前者だろう。ヒリヒリと空気が痺れていた。奇怪な蝋人形、溶けたダヴィデ像のようなそれは段々と自身の輪郭を形成するように身体の中から溢れてくる。何と言うか瑞々しい奴。
「気持ち悪いっ・・・・!!」
ミカルゲがそう呟くと、何かがスゥっと飛んで行った。何か、抽象的な何かが、ミカルゲからソイツの方へ吸い取られるように飛んで行ったのだ。
『――ア”ア”ッ。』
彼女は恍惚とした顔をしていた。奴の腹部からは二つのふくらみが人の顔のように形成されていく。ミカルゲはそれを眺めながら、一歩、また一歩と足を進めていく。
「え、ちっ、ちょっと!!」
アルクがミカルゲを制止させた。見えているものが違うのだろう。ミカルゲはとても幸せそうな表情をしていた。何者にも代えがたいような、幸せな表情を。
「紹介…するね…、ユーヴサテラって…いうんだ……」
「ミカルゲ?」
アルクの問いかけに一切耳を貸さない様子でミカルゲは笑った。
『フィ……ノォ……?』
「ここまで来たよ、おと…ん…、おかあ……」
『フィイノォオ・・・・・オオオ!!!!!!』
「そう、……だったんだね。やっと……」
『オォオオ!!!!』
そいつは液体を嘔吐するように体面積を増やしてく。何を感じ取ったのか、あるいはそそのかされたのか、その膨張に即してフィノの顔が徐々に苦くなっていった。
「えっ・・・・・・・、ね、ねぇ。どうしてッ?!どうして?!ねぇ?!」
爛れた黒い皮膚とゲルのように崩れた皮下脂肪、アンバランスな見た目、気色の悪いイソギンチャクのような質感。嫌悪が全身を襲っていく。
「ナナシ。」
リザが俺に問いかける。奴の身体からは無数の顔が現れる。
「あぁ――。」
辺りは途端、濃霧に包まれた。奴の前にはいつの間にかプーカの影あった。
「連れ去られた...あの一瞬でッ!!」
リザは唖然としていた。
「なんなんコイツ?」
次の瞬間、そいつは間近で首を傾げたプーカの胴をランスのような腕で貫いた。とても長い、刹那の暇。
「へっ・・・・?」
プーカは疑問を声に漏らし、口元から血を垂らしながらこちらを向いた。何が起きたかを問うような眼、しかしその目からは徐々に正気が消えていく。
「――プーカ!!」
事態を予期しきれないように動揺したテツが叫び、リザは膝をついて絶句した。
「あぁ...」
俺は刀剣を鞘から抜き出して構える。ダンジョンで仲間が死ぬこと。別段予期していた事態だ。狼狽えることなど無い。何があってもおかしくない。ここはダンジョンである。しかしそれ以上に……
「あぁ。」
――もう、めんどくさいな。
何が人を貶めるのか。それは強烈な不幸か、はたまた悠久から積み重なった血の呪いなのか。ではこの際、それを享受するのはどちらか。結局は敗者になれば顛末は同じ。理不尽の熱波が頭を干からびさせ、蒸発させるように思考を奪い去る。あぁ、死の匂いがする。コイツからは、死の匂いがする。蓄積された、死の匂いが。
「プーカァ!!」
―――殺さなきゃ。
「お父さんッ、お母さんッ・・・!!」
叫ぶミカルゲをアルクが引き留める。
「ダメだ、アレはもう、君の両親じゃないッ!!」
大輪が咲くような解放。絶叫するそいつはエラを膨らませて叫ぶ。下水道の匂い、肉塊とその先から飛び出る研がれたカマキリのような二本の腕。数多の亡者達の死に顔と四本の毒々しい脚。血が散らばり、叫ぶ。それは痛みを集めたような怨念の吹き溜まり。唸る、唸る、唸る。捻じれて、捩れて、もう元には戻らない。
『・・・怖いよォ。』
肩の肉に埋まった死に顔の1つが皺だらけのままで声を出す。強制的に喉を震わせている音。横腹の死に顔は肥大して声を漏らす。
『痛いよォ。痛いよ・・・ォ!!』
それはプーカの声であり、名も知らぬ男女の声。
「―――ッ!!」
ミカルゲの悲痛な声が漏れ、何かがフワリとそいつに移る。そいつは不気味にニヤリと笑い、死に顔を増やしてまた叫んだ。
『ギャッァァァアァァァアア!!!!!!!!』
高さ低さの混沌とした声。きっと彼らが最後に口にした音。それは呪いではない。ある種の鎮痛剤。ストレスを痛みを苦しみを少しでも和らげるための麻薬。それは断末魔、呪いではない。呪いではない。それは呪いではない。きっと呪いとは今湧き出しているこの感情だ。
「ナナシ!!――あいつを殺してくれ!!」
リザが泣きながら言った。
「――プーカの敵を取ろう!!ナナシ!!」
テツがライフルを構えてコッキングを鳴らす。
「ナナシ、君まで!!――君が、ミカルゲの前に、抑える内に早く!!」
「分かってる。」
玄ノ叢雲はその刀身を漆黒に輝かせていた。そして瞬く間に銀色へと変え、また黒へ色を戻す。
――ハァ……、フゥ……。
呼吸を整え、膝を屈めて刀身を肩に当てる。刃は外へ、頭を下げて空気抵抗を減らし左手を空へ向け、吸った息を吐き切った。
「テツ。聞こえてたら、背中を撃ってくれ。」
膝のバネを解き放つ様に、俺は右足で踏み出す。
「ダメだナナシ、――君はッ!!」
アルクの声が霞みのように背中で消えた。
Tips
・アトモスフィア狙撃銃=対人用ドラグーン型(ドラグニス)
『テツの所有するA級潜具アトモスフィア狙撃銃は、魔法制限領域下に置いても殺傷能力を持つ空気弾を射出可能な優れたオーパーツである。
またアトモスフィアはノアズアークのように用途に合わせた別型を所有しており、
☞・通常時(普通実弾まで)
・ドラグニス (対人用&最軽量&特殊実弾可)
・クナタ固定砲(対物用&最重量&特殊実弾可)
・アサシネイト(静音特化用&特殊実弾可)
と、合計四種類の姿形を持っている。中でもドラグニスはセミオートのマークスマンで、最軽量かつ次弾の射出速度も比較的早い。また3種の中では唯一、通常時のアトモスフィア同様に空気弾の精密な威力の調整が可能であり、敵のサイズが底知れた室内戦、小洞窟戦や非殺傷の戦闘、機動力の高い敵に対する戦闘で多く扱われる。また特殊実弾を装填できる点として通常時と差別化がなされている。』