⑨証人
パチパチと薪が爆ぜる。北ハーベスト山地の至る所で採れる白樺は、その皮にあぶらを含んでいてよく燃えた。
「フィノ?」
「なに?」
「暖かい?」
「うん!」
暖炉の前のソファで母親にもたれかかる私は、元気にそう言ったはずだ。
「ははっ、そりゃあよかった。」
その声を嬉しそうに笑う父は、木こりだった。この木の家を建てたのも、暖炉の薪を運ぶのも、街に運ぶのも、良質な炭を作るのも、父の仕事だったらしい。一方母は観光業を併せたカフェ{丘の上の風見鶏}でガイドをしていた。父には力があり、母にはそれに勝る知識が在ったのだ。愛すべきこの街のこと、その歴史、遺産、そしてその安全な見学の仕方。
「じゃあ今日はこの本。」
「ヘンテコな絵・・・」
ガラスの窓を猛吹雪が襲う。ガタガタと鳴る外界の声に私はいつも怖がっていたけど、父親が建てたこの家と、母親のブランケットに守られているこの時間は、とても優しくて楽しくて暖かい時間だった。でも大人の世界は、私を守るこの世界は、嘘ばかりだったことを知らされる。
・・・・・
「ミカルゲ...フィノ・ミカルゲ!!」
「――は、はいっ!!」
私は咄嗟に返事を返す、視線の先にある右足は、膝の高さまで雪に埋もれている。次に出す左足がとても重い。
「ぼーっとすんじゃないよ。両親の様に死にたく無かったら、その意識、一変たりとも余所へやるんじゃない!!」
刺すような寒さが顔面を襲っている。そして、私の腰に巻かれた命綱はその先に居たはずの客ごと断ち切られていた。疲労がピークに達し、凍傷が裂ける様に痛いのに眠い。そして襲うのは刹那の罪悪感。今生の別れをした客の顔。
「ここでは人は死ぬ、当たり前さ。未熟な奴のことは考えるんじゃないよ!!」
秋と春先に雪地獄と呼ばれる小雪崩を起こす捕食獣の顔面、完全冬季の今、冬眠中のそいつに相対し、お粗末にもパニックに陥った客の冒険者は埋もれていた顔面をピッケルで穿った。あの時、繋がれていた命綱を叔母が切り離さなければ、それがあと2秒でも遅ければ、私は十中八九巻き込まれ、死んでいただろう。
「はい叔母様!!」
「マスターと呼びなッ!!」
「はッ、はいマスター!!」
ギルドマスターはいつも厳しかった。でも、本当は冒険家だった父と、ダンジョンギルドのガイドであった母の事を、時折罵りながらも偉大だったと褒めてくれた。その偉大さを伝えてくれた。私がその仕事を継ぐほどに、そのロマンを語り継いでくれた。だからこそ、私はダンジョンを恨んでいたし愛していた。
「あともうちょっとだい。歯食いしばんなッ!!」
13歳の冬。暖かいお家で守られていただけの私は、その世界の厳しさと"広さ"を知った。宝石のように輝く白雪、野を走るキツネ、見知らぬ怪物、それに立ち向かう人間の強かさ。魔法の使えないその場所で、私は人の逞しさを知ったのだ。
「――ハイッ!!」
そして私は確信した。谷底の星見寮から帰路に着き、見上げた巨大な学舎の頂きに、そのロマンに。『ダンジョン・テヌーガ』あの場所には、お母さんたちが知りたがった"広さ"がある。
・・・・・
「テヌーガ案内士証書、失くすんじゃないよ――」
「はい、いただきますッ。キャー!!見てみてみて!!」
私はマスターが出した用紙をササッと掻っ攫うと、それを覗き込んで飛び跳ねた。
「14歳で一人前...」
「今日から一人だね。ニカさん(テヌーガ案内士)、もう付いてこなくていいからね?」
私は小さなカウンターへ振り向き、食器を洗うニカへにやけづらを見せる。
「はぁ、まぁおめでとうね、ミカルゲ。でもガイドの仕事は単純じゃないわ。それに...」
ニカはマスターの方へ目配せをすると、今度はマスターが溜息を吐き、重い腰を上げた。
「本当の一人前はこの世界を知ってからさ、ミカルゲ。あんたも手伝いな。今日は見るからに寒地を知らない田舎者が2パーティーもいる。」
飲み物やグラスばかりが飾られたカウンターを振り返るマスターに対し、今日の店内は伽藍洞である。
「あぁ・・・、驚きの余りボケてしまわれたのですねマスター、よよよ今までありがとうございました。ここからはこの一流案内士フィノ・ミカルゲがこの過疎ギルドの顔として矢面に――」
「何を馬鹿な事言ってんだが。」
マスターは私の言葉を無視しながら、大黒柱を二つノックし釣り下がる小さな呼鐘の紐をカンカンと二回引っ張って鳴らした。瞬間、ガタンと何かが外れた音が店内に響き私は首を左に折った。
「はへ?」
瞬間、薄暗くて埃に塗れていた小さな店内のカウンターが後ろの壁ごと回り光が射し込む。目に映るその景色は、小さかったはずの店内に現れた新しい広さは、私の心臓を何度も鳴らした。何かが始まる。知らない何か。新しい何かが。
「ノスティアのお偉いバカが時代遅れの情報統制をしかなきゃ、もっと早くアンタには伝えられたんだけどねぇ。」
――酒場。
カフェで有ったはずのそこからは、ウチのエプロンを纏った見知らぬ女の店員と、馬鹿みたいに騒ぐ冒険家たちがいた。
「顔見知りもいるだろミカルゲ。パン屋に、藪医者、花屋に、靴屋。そして靴屋ん家のニートーー」
「誰がニートだ。」
ミカルゲは一部確かに見知った顔を捉え、声を漏らした。
「確かに。引きこもりの癖にやたら外泊好きな靴屋の引きニート。」
「そう。だがその正体は、魔法制限領域の研究者、あるいは知識の持ったならず者、探索士クランの、その一員さ。」
マスターは凝り固まったような腰に手を当てながら振り返り、告げたのだった。
「お前の母親と私たちの本当の仕事は、超高難易度ダンジョン『シーラ』のガイド。そしてお前の父親はその客、異国の地で名を上げた探索士だった。」
ミカルゲは見知らぬ番台を覗く。そこにはテヌーガを囲む谷の風の向きや降雪量から、モンスターの確認情報、現在の登攀者の予測位置、そして死者数、行方不明者数まで、詳細に記された木版の巨大な地図があった。
Tips
・リガイド=魔法制限領域案内士
『ハーベスト街で出会った頃のミカルゲはハーベスト街やテヌーガ近郊の観光名所の案内人、と言う名目でナナシらに雇われていたが、その本分は超高難易度ダンジョン・シーラであるダンジョンテヌーガの【案内士(=リガイド)】である。案内士とはシーラ専門のガイドのことであり、探索士に同伴する+αとして、とりわけそのダンジョン専門の知識を要するようなシーラにて存在する。テヌーガのケースで言えば絶壁のクライミングやテヌーガ近辺の特殊なクレヴァス(巨大な割れ目、雪と氷の落とし穴。)への回避がそれにあたり、重宝されている。また度々彼女らがガイドと自らを呼称するのはある意味暗喩であり、ノスティアの秘密主義的国家性がシーラを秘匿していたことに則って、頑なに案内士とは呼ばないのである。
☞カフェ丘の上の風見鶏では普通の観光案内人も所属しておりカモフラージュとなっている。またガイド、リガイド問わず、全員がスタッフとしてカフェの名物である"ジャガイモパフェ"の作り方を覚えなくてはならない。』