⑧傍聴席:キャンプ1
ダンジョンテヌーガ
・仮2F ユーヴサテラC1 『大法廷』
早朝から出発をし絶壁へ、ミカルゲの予想に反し、かつ圧倒的な速度で登頂を果たした俺たちは現在、未開拓領域の安全地帯でお昼を迎えていた。
「鍋底に油を敷きベーコンを投下、さらにハーベスト街で採れたジャガイモやにんじん、キャベツを一口大に刻んで炒める。」
俺は三角錐に展開されたテント型ノアズアークの中心で、火にかけられた鍋と睨めっこをしながら言った。
「火が通ってきたらユーヴで製作した『長期保存を可能とする瓶詰トマト』を鍋に入れ、塩とオレガノと呼ばれる香草を少々加える。瓶詰は高価だが家庭でも簡単に作れるので、ブリキの缶詰よりかは再利用できるものとしての付加価値が付く。つまりは売ってもよし、旅で中身を使っても良しの万能商品だ。」
立ち昇る香りに鼻を鳴らしながら、ミカルゲはウンウンと頷いて鍋を覗く。
「ここに酒を追加して煮込めばより美味しいけど、休憩中とはいえダンジョンの中であるからして余計な手順は省略。身体を温めるショウガと唐辛子を加えて混ぜ、蓋を閉じる。芋は貴重な炭水化物源として米やパンの代わりになる。寒いと忘れがちな水分も、パワーの元となるカロリーも同時に採れるトマトベースの根菜スープ。」
「省略するくらいなら、そもそも簡易食で済ませればいいのに。」
ミカルゲは不思議そうに溜息を吐いたが、リザは腕を組みながら自慢げに返答した。
「それがユーヴの強みなのさ。ノアズアークという貯蔵庫をここまで持ってこれる強み。時間的猶予。」
――時間的猶予。
俺はその言葉に頷く。
「そう。確かにここは、C1と定めたセーフゾーンではあるけど。大前提ここは、侵入を図る歴戦の猛者を幾度と跳ね除け、あるいは吞み込んだ魔境の腹の中でもある。つまりは焦燥厳禁の闇の中。いくら人間の悪意が関与したシーラであるとはいえ、アウェイであることに変わりはないし。そしてやはり、安易に魔法は使えない。」
ミカルゲは俯く。
「でも、もちろん今更方針を変えようだなんてことは言わないけど。私はずっとあの絶壁で足踏みしてきて、それで機会を逃して、挙げ句同じように機会を逃した冒険者を見殺しにしてきた。だから、なんというか、怖くて。」
テツはその話に興味を持ったかのように顔を上げ、俺の言葉を補足した。
「でも結局は、チャンスを掴んでる。ミカルゲは僕たちとここにいるでしょ。それに高い所で袋が膨らむように、海底で水圧が掛かる様に、魔素の無い所でもそれ相応の異変とその順応が求められる。当たり前だけど、ここは僕たちが住んでいる場所じゃない。でもそれを認めているだけじゃあダメ。」
湯気を抑え込んでいた蓋を取り、出来上がったミネストローネに近づきながら、テツはおたまを手に持って続けた。
「少しでも、この場所の人になるんだ。」
「この場所の、人...?」
テツはスープをお椀にすくいあげ、その熱を手に伝えながら腰を降ろす。
「ここで吸う空気の匂い、環境の音、火の揺らぎ、気流の方向、そして、ここで食べる熱いスープの味。その全部が、深淵の中で、恐怖を掻き消す。」
咀嚼と咀嚼。赤いスープを喉に通し、一拍置いて白い息を吐き出してから、テツはミカルゲと目を合わせた。
「だって。何処に居ようとも、どんな恐怖が迫っても、ここは僕たちがスープを飲んだ場所でしかない。今僕は、ここで学んできた人たちのことを想っている。そうすれば、何かが分かりそうな気がするから。きっとそうやって少しづつ見知った場所になっていくんだよ。そして最後には、その理想には、ここに住まう生き物が如く、歩みを進めるシーカーになれる。」
回したお椀をそれぞれが手に取り、口へ運んでいた。匙から口の中へ。喉を通したスープが食堂から落ちて胃に回る。熱は胃の形を教える様に廻り、舌の上では香りと味の余韻が鼻を抜けて踊る。頬は咀嚼した食感を記憶し、熱に当てられ上昇する体温が意識を更に目覚めさせる。
「まぁ、後片付けが面倒なんだけどね。」
一杯目をさらえたアルクが笑いながらそう言った。
「ここで学んできた人たちのこと……。」
ミカルゲはそう呟くと天井を仰ぎ見て、細かく施された彫刻や壁画をじっくりと見まわした。そしてフッと笑ったあと、我に返ったかのように視線を大鍋に落とす。
「というか、こんなに作って大丈夫なの?」
「いつも足りねん。」
ミカルゲの要らぬ心配を、不満げな顔をしたプーカが切った。
――――――――
「よし。」
外の猛吹雪が気に成らなくなるほど、身体に熱が回っている。
「フォームポケット。」
「のあずあーく。ゲプっ...。」
リザの声に、エルノアがさぞ他人事のように呟いて応える。
「頼むぞプーカ。」
「いやあ。」
俺の呼びかけには、さぞ嫌そうにプーカが応えた。
「いつものことだろ。(最近は)」
「肩凝んねん。」
「飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯飯―――」
「っしゃあッ!!」
トンビのように俺が取り出した携帯食料を掻っ攫い、プーカがノアズアークを背負った。
「燃料がいるのね。」
「そうかもな。」
ミカルゲの小言に呟くように返答し、大法廷の扉を開ける。現在地は仮2FのC1。目的地は戻る様にスロープを進み1Fへ、階下覗き、更にその下の下である。