①法廷
――まるで夢の中にいるみたいだった。
「そうなんだ。でも、単純な善って言うのは不完全なんだよ。世界はもっと複雑なんだろう。それに、小悪魔系ってモテるんだってさ。」
「左様ですか……。」
「うん。」
そいつとの時間は、いつも気まずい。
「例えば怠惰な時だって必要だろうね、人間は機械じゃない。嫉妬だって必要。傲慢や強欲は成長や進化に欠かせない。時にそれが勤勉へ変わる。暴食は悪で節制が善、しかしそんなの時と場合。栄養を過度に必要とする時だってある。それに飲んで食べてみんなと笑う、あの一時が悪だなんてあんまりでしょ。それに色欲の為に暴食を棄てることもある。不純で淫靡な魅了が為に。しかし色欲は繁栄をもたらす。その衝動が悪ならば、私たちは悪魔の末裔だ。」
饒舌。
「この世界は何が正しい。君の生き方の正解は何だ。」
「正解?――」
黒髪ロングは髪を結ぶ。二つのおさげが風に揺れる。凍えるほどに深くて暗い瞳、魅惑的に微笑む口元。計算高い身振り手振りのあざとい一挙手一投足。しかし掴もうと思えば消え去る霧のような深層心理。
「うん。」
そしていつだって蛇の様に優しく這いより、最後には絞め殺すような狡猾で傲慢な要求をする。
「きっとそれは、幸せになることなんだよ。淫らに怠惰に強欲に、求めたものが何でも手に入ること。だから君は私が幸せになる為に糧となるんだ。代わりに私も君にとっての幸せをあげる。私の幸せは君の幸せだから、君の幸せは私が決める。君の苦痛は私の幸せになる。私の幸せは君の幸せになる。返事はワン。姿勢はお座り、歩法は四足。」
「……ワン?」
「そう。」
「なんで?」
一抹の反抗心。
「猫は嫌い。泥棒なの。それに、にゃんって聞くのはもう飽きちゃったから。」
つまらなそうに彼女はそう返してから、あざとく笑って振舞う。
「あれ、もしかして恥ずかしい?いやだった?まさかね。君はそんなこと思わない。想えない。だって、でもだって。もうだって。もうどうだって。ぜんぶ、ぜんぶ、どうでもいい。どうでもいいでしょ。君は私の下僕になるから。君は私のものになるの。私と共に私の為に、すべてを棄てる。その権利すらも。」
「すべてを?」
茫然自失。
「ほら。」
そんなこの身体に、得体の知れない彼女は両手を差し伸べる。
「え?」
「ほら、おいで。」
・・・・
(「大犯罪」)
(「粛清ヲ――」)
(「世界樹二仇ナスモノ。」)
(「大、罪人……。」)
(「ヤハリ、反逆者。」)
(「弁解ノ余地ナシ」)
(「――アラズ」)
(「死刑、死刑、死刑、死刑、死刑――」)
(「シケイ!シケイ!シケイ!シケイ!シケイ!」)
漆黒のヴェールが揺れる。裾は七分丈にひらりと舞っている。
「ほら?」
いつだって、後悔は無い。
「――ワン。」
黒い布地が顔を覆った。今日は藤の匂いがした。
『うん。(でも)わたしやっぱり――』
けれど若干。
『君が好...(犬は、臭いから嫌い。』
マタタビ臭い。
・・・・
(「読メ、読メ。」)
(「ハヤク...ハヤク...」)
石仮面の裁判官が紙の巻物を読み上げる。
『主文、被告人ヲ死刑二処スル、モノトスル。』
「異議なーし。」
黒い服を着たエルノアが、俺を抱えながらそう言った。
「大アリだ、ばかやろう……。」
記憶が戻る。
「素晴らしい一時を邪魔しやがって。けど確かに、アイツならそう言ったかも。」
「アレがよかったなら一生わんわん言ってろ。でも、今の相棒はボクだ。惚けるなよ偽物なんかに。」
(「意識モドル、、、」)
(「罪二アラズ」)
法廷は両脇の二階に雛壇上の傍聴席を設けて、その全員が気色の悪い石仮面を付けている。裁判官らも同様だ。法務、魔法の秩序、探求の旋律、その系譜の社。
「当たり前だ。この選択に存在にその生き方に、罪なんて無い。彼女だってそう。あるとすればそうさせた世の中の狂い。何が善で何が悪かはいつだってカスみたいな主観。それを勝手にお前らが決めるなんて傲慢なんだよ。」
そもそも冷酷と名高いノスティアの法廷に縛られてやる義理は無い。
「それにセカイはもっと天邪鬼で陰気な奴だ、覚えとけ。」
「魔法じゃ象れない程にな。」
エルノアが真っ黒な毛並みを立てる子猫に戻りながら、弁論台の上でそう言った。
(「罪ハ消エヌ...」)
正面に立つ親玉みたいな裁判長が、霧のような去り際にそう言い放つ。
「うるせぇ!!」
――法廷で、騒いでやったぜ……。
俺は残響の消えないうちに黒猫へ顔を向ける。
「エルノア、他のやつらは?」
「たぶん別室だ。しかし早かったな。」
エルノアは肩に前足を乗せ、不思議そうに俺の顔を覗く。
「アイツが夢に出てくると、夢だって気付くんだ。昔から。」
「随分便利だな。」
「難儀だよ。」
ダンジョン・テヌーガ、忌み嫌われし呪いと知識の吹き溜まり。その全貌が見えようとしていた。