⑤杯の中で
「不可能だよナナシ。どれを取っても不可能だ。」
アルクは顎に手を当て、俯いた。
しかし確かに悩ましい話で、もっとも大きな問題は、ここが魔導士の街で有ると言う点。その市民は魔法を扱うことが出来て、それ故に魔法犯罪の防止に注力している。「強力な魔法を扱えない別館」という条件下で、別館の出入りを確認した水晶の記録は午前7時30分と午前8時に一回ずつ。リザの話を聞く限りでは、防犯具である感知用の水晶には細工が施せないようになっているらしい。それ以降の記録もサンドラやロック夫妻のものと一致する。俺たちが通った記録も確かに残っていた。
「魔法だけじゃないさ。この手の水晶は熱も感知して記録する優れモノだ。例え通ったのがナナシだとしても、魔法で体温を偽装した雪女だとしても、黒猫に化けた魔女だとしても記録する。私が思うに、抜け穴があったとしても無魔であるという条件は必要不可欠だ。これを突破するには少なくとも――」
「少なくとも、内部からの手助けがいる。そして最も単純でそれを可能とする条件は一つしか無い。」
俺は筆を起こして、他殺では不可能な条件を書き連ねた。
「ナナシ、それって。」
筆を回して考える。事件を解決したい理由は金が手に入るからということもあるが、最たる理由は自衛の為なのだ。故にもっとも大事なことは容疑者を絞ること。不可能な人間には警戒する必要性が無くなる。猟奇殺人の容疑者が減る、それだけで緊張の糸は解れてくる。つまり真偽はどうであれ、一つの可能性について言及しておきたい。
「……事件の全貌が分かりました。飽くまで自己解釈ですが。」
顔を上げて辺りを見渡す。
「おい、ほんとかい兄ちゃん。ただ冤罪だったら容赦しねぇぞ。」
マリナは息を呑み、サンドラは胸に手を当てる。ロック夫妻は寄り添いながら老眼鏡をかけ直した。
「犯人は誰なんですか?」
サンドラの問いかけと共に俺は筆をトンッと机に置いて、白紙の上の丸で囲った黒い文字を見せた。
――自殺。
ロビーを包んだ沈黙は、バランの声で破られる。
「自殺だってか?!おいおい、どうやったらそんな真似が出来るっていうんだ!!自分の身体をバラバラにだぞ?しかも汚さず壺の中にだ!!」
「血液を止めるんですよ。詳細は伏せるけど、人は四肢が無くても生きていける。そして痛みを止める方法は魔法以外にも存在する。」
「何を言って――」
「麻薬ですよ。切断予定の部位の血流を自ら止め、感覚を麻痺させた所に強力な麻酔を投与する。これは心理的に出来るかどうかじゃない、可能か否かです。そしてそれ以外に残された可能性としては被害者本人が何者かを招き入れた可能性。この際の何者かは無魔に限定され、自殺では無ければ抵抗をされずに被害者をバラしたことになる。不可能なんですよ、壺の中で息絶えた彼の協力無くしては。つまりは、いずれにせよこれは自爆テロと同等の行為で、どんな形であれ壺爆弾となったラビーという人間はそれを“容認”したテロリストだと考えるのが妥当。あるいは行為自体を目的としたカルト。」
「そんなこと・・・」
「可能であるならば、排除は出来ない。これは精神論じゃないんだ。あの壺が呪いを有していることが最大にして決定的な判断材料です。もしも歩く死体のような操られた人間であるならば、あのように呪いを溜めることは出来ない。これはラビーという人間が決定的に加担したテロなんです。だから可能ならば教えて頂きたい。あの部屋に泊まる予定だった、VIPってのは誰なのか。……そう、あるいは」
瞳孔を開ききった宿長のマリナへ、俺は笑って問いかける。
「あるいは、そんなVIPなんて初めから居なかったとかね?」
笑顔は大事だ、いつだって。
「メンテ中だぞ……。」
リザのボヤキと共に、俺は左足を地面へ叩き付けるように踏ん張り、ムチのように勢いを付けた右足で机を蹴り上げた。狙いは宿長マリナ。そう、この状況下で最も最悪なパターンは初めから狙いが俺達で、周りが全員敵だった時。次点でマリナの無実、そん時は土下座だ。
「さて」
テツはロック夫妻へ銃口を向け、俺は新調した刀の鞘を掴み距離を置く。背中合わせで陣を取り数秒後に壁を突き破るだろうキャラバンの到着を待つ構え。緊張の糸が張り詰める一瞬、それを緩める様にマリナへぶつけた机の裏から間の抜けた少女の声が上がった。
『ちょいちょいちょいちょい――』
――は?
『レディを見たら取り敢えず、机をぶつけろと教えたかい?』
そいつは蹴り上げた大机を跳ね除けて、小さな姿形を現した。
『サッ……サテラ――?!』
名実とも、世界最強の魔法騎士。
「ゲッ――」
マリナと、序にエルノアの顔が曇る。対照的に少女は、ふざけた様なニヤ付いた顔つきで言った。
「まったく、親の顔が見てみたいな。」
その立ち居振る舞いは確かに、親の顔よりも見てきたふてぶてしさ。
『サテラァアア……アッ、アアッ...!!亡国の騎士が、腐った果実に群がるハエの如き蛮族が!!』
サテラはすかさずマリナの首を掴み、手足を魔法で固定させた。
「喚くなよ。」
ウンともスンともしなかった警報機が、一斉に反応を起こしベルを鳴らす。極限までに希釈した空間転送の魔法門。サテラがこの世にいることを踏まえれば、先程の推理は瓦解しただろう。彼女が犯人ではない理由。動機が無いから。それだけが矛盾を示す、根拠のない感情論である。
「そんなッ。マリナさん……!!マリナさんを離して下さい!!」
サンドラは膝をついて叫ぶ。
「嫌なこったい――」
「彼女が何をしたって言うのよ!!」
「私や君を殺そうとしただろ。――マリナ・エルスライト、彼女は東部キリエ教会の大幹部。まったくさぁバラン。魔女っ娘が陽気におねだりしてくる街だって聞いたから来たのに、なんで魔女っ娘から怒られないといけない訳ぇ?!」
サテラは憤慨した様子をバランに見せた後、刺すような視線をサンドラへ向けた。
「ぶっちゃけアリです。ふふ。」
「浮かれないで下さい隊長。」
バランはサテラの顔を伺うように腰を曲げた。
「はぁ(よっこら)しかし、君も難儀だね。今しがたそこにいる探索士さん(笑)と一緒に死肉もろとも吹き飛ばされそうになったていうのに、まだ彼女を信用できるわけ?まぁ教訓として覚えとけばいいさ。学が有って飄々と社会に溶け込めるようなやつほど実は変態だったりするのさ。」
「分かってたのか。」
サテラは俺へ視線を移す。
「分かってなかったよ勿論。彼女がキリエだってこと以外。宗教は何を選び取ろうと個人の自由さ。彼女がやばいことしてるって分かってたらば、したらばたらればたらばらば、評議会様がとっくに動いている。」
「タラバ……??」
プーカが空を見上げよだれを拭った。
「そして今しがた、確証を持ったから動いた。」
掴んだ首を横へぶん投げ、マリナの身体は光の輪の中へと消えていった。ほころぶ様に魔法陣が消える。それは想像よりも遥かに突拍子も無く、或いは迅速に、そこにあった脅威は取り除かれていった。
「マリナ・エルスライト、逮捕する。」
それはサンドラへあてつけるように、小さな魔法騎士が起こした圧巻の一幕であった。
―――――――――
{魔導士の街・貸切の宿居酒屋}
「やぁ初めまして、ユーブサテラの諸君。私が言わばそう、ナナシのマンマッ!!」
腰に手を当て胸を張り、鼻息を飛ばす様に少女が言った。おおよそ中身のからっぽそうな頭に天真爛漫を体現したかのような身振り。しかしながら確かに彼女は、この記憶がいつまでも時を遡ろうとも、この姿のままに存在している。
「マンマッ!!」
プーカは目を見開きその言葉を真似た。
「マンマ!!」
「マンマっ!!」
難儀だ。俺はプーカの頭を握って制止する。
「やめなさい、アレは大人の突然変異だ、身長伸びなくなるぞ。」
「失敬な!!」
「一体どうしてここにいるんだサテラ。」
「あぁそれ。いやはや、タグラ国王夫妻の休暇を護衛をしている国軍の護衛さ。受けなくても良かったんだけど、ボランティアでね。そこで紆余曲折経て賊を敬遠する為に私の名前で予約したら、私自身が狙われちゃってwwこれほんとwww」
ここまで緊張感の無い国王の護衛は、その実績だけが存在を肯定している。
「じゃあさっきの老夫婦が。」
「って思うじゃん。まぁそう思わせれば百点なのさ。護衛ってのは手を何重にも打つのさ。分かるだろうアルクちゃん?」
サテラは視線をアルクへ向けた。
「あっ、はい。魔術学院ぶりで、ご無沙汰してます!!」
「うんむ。で、このちっこいのがプーカちゃん。冷たそうなのがテツちゃん。アドスミスの逃亡妃ことエリザベス殿下。」
「げっ、あんた何で知ってんの?」
リザは腕を組みながら、気味悪がったような顔でそう言った。対してしたり顔のサテラはニヤリと頷いて応える。
「情報とは知識、知識とは力なり。簡単な話さ、首根っこ掴んでオルテガから聞いたんだよ。直近のことも蜥蜴のおじいちゃん…、つまりオーガスタスからちょろっと。ねぇ黒猫。キャラバン壊れたんだもんねぇー」
サテラはエルノアの前足を上下させながら話す。
「そうなんだ、ボクがキャラバンを壊してしまったのだ。まったくもって反省しているのだ。――そーなんだぁ!!よく白状できまちたねパチパチパチパチ。」
「(タスケロ)」
エルノアが口パクを見せる。ふぅ。
「(いやだ)」
というか、アルデンハイド。あの殺気を香水にして纏ってるかのような圧迫感の怪物に、よくちょろっとでも話を聞けたものだ。どういう関係性なのか。
「まぁ見た限り(屋根は吹っ飛んでたけどーw)、幸いにもキャラバンと禁書室は無事みたいだしぃ?心も折れてないからこの街に来たんだろ。旅は続けられるってわけだ。つまり今日は君らの近況を知れてよかった。……ただぁ、気になったのはその刀さ。イトちゃんに怒られるんじゃないかな~?主にリンゼが、だけど。」
俺は視線を向けられた鞘をなでる。
「そんなに大事なのか。」
「いや、まぁ曰く。……姉さん、二刀流の私ってカッコ良い?てきな、私はそれに、……うん。的な、そんなノリだったと思うよ。」
「じゃあいっか。」
「まぁ、いいんでね。」
話の締めにして、サテラは心底具合悪そうな顔をしながら言った。こういう時は大抵、頭は本当に空っぽである。
「さて、今日は一緒にいてあげたかったけど、さすがに新たな宿に移らなきゃいけない。こんなんでも国王の護衛隊の長なのさ。」
「そっか。」
それからサテラは間を置いて、恐らくは本題で有っただろうそれに触れる。
「それと、暫くは大陸を離れるよ。実はあと少しで、先行隊船に搭乗してグレイトハーバーへ乗り込む。これは最高機密だ、漏らさないこと。」
「グレイトハーバー?」
「しっ。」
プーカの口に人差し指を当てる。
大陸とはこの世界だ。この世界から離れられる場所と言えば一つしか無い。それはオルテシア大陸の外、選ばれし者だけが辿り着く未開の地。新大陸。同時にそれは世界樹のお膝元、アイギス率いるフェノンズ陣営が、最高戦力のボランティアを一時的とは言え失う事となる。
「大丈夫なのか。」
「誰に言ってんだい。私は君が心配でならない。ずっと、いつまでも。」
サテラはエルノアを一撫でして言葉を続ける。
「でも、私が君を知っているように、君も私を知っているだろ?――ノン・デュコール・デューコ、アレ―ア・ヤクト・エスト。君にはエルノアがついている。私の方はちょっくらバカンスに行くだけさ。」
意味の分からないおまじないを言いながらサテラは俺の肩を叩く。
「新、大陸……」
テツが呟く。その眼差しはずっと深い。
「君も来るかい?」
サテラが軽口のようにそう言った。指先に有るのは探索士としての到達点。テツはその言葉に視線を落とし、真っ直ぐ顔を上げて返答した。
「行かない。」
サテラはそれに笑って、言い返す。
「よろしい。そうでなくちゃね。あの地で求められるのは潜在能力じゃない、仲間を引っ張り合える顕在能力。顕在なのさ、ユーブサテラ。君らが大輪の蕾だという事は良く知っているよ。多くはそれを信じないだろうけれどね。もっと早く、辿り着くんだ。」
「分かってら。」
エルノアが、反抗したように堰を切る。
「きゃー、かわいいでちゅね~!!」
サテラはそれをバカにするように拍手をしながら、消えゆく光のゲートの中、満面の笑みでそう言い残した。小さな手をヒラヒラと振りながら、最強らしからぬ緩んだ声で。