⑤試練場の奥屋敷
左腕の負傷、カムイによる魔力の消費、筋疲労の蓄積限界。空中でやれることなど一つしか無い。もはや悪足搔きだ。
『カノン。』
右手の傷口から、血液ごと体内魔力を絞り出す。裂傷は更に拡大していく。しかし神威を使用した為か、痛みは少なく集約は速い。しかし、なるほど。これが出来ていれば、初めから苦戦などしていなかったのだ。俺の目の前にはもう既に、リンゼが居合を抜きながら、飛んでいた。
『四神一閃。』
刀は刃を背に向け、振り抜かれる。不殺とは強者の特権だ。……俺は未だ、足元にも及んでいなかった。
―――――――
「派手にやりましたね、シラハ様。」
気が付くと、頭に包帯を巻いたリンゼと、大皿に盛られた御馳走をかきこむプーカ達がいた。
「起きたかナナシ。」
シンラは俺に近づくと、銀シャリと味噌汁に焼き魚と焼き鳥、小松菜のおひたし、たくわんを乗せたプレートを俺の前に置き、額にデコピンした。
「――あだっ。」
「やり過ぎだ。金が無い癖に試練場を壊すな。」
「あ、あいつのせいだろ……。」
俺は背丈を縮めたリンゼに指差し答える。
「・・・ロリンゼ……。」
「――口を慎めッ……。ロリンゼと言うなッ!!流行ったらどうするんだっ………。」
シンラは俺の頬を鷲掴みにし、口を抑える。懸念点そこかよ。
「まぁ良い。こち来て食え、ナナシ。シンラもご苦労、下がってよいぞ~。」
「はい。……またな、ナナシ。」
去りゆくシンラにアルクが手を振り、俺は食膳を持ち上げながら、囲炉裏の前に敷かれた空いている座布団へ尻をつける。
「どうしたその包帯。」
リンゼの頭には包帯が巻かれていた。仙術で肉体年齢を下げれば、疲労の度合いが小さくなり回復が早まる。しかし、そこまでの怪我を負わせた記憶は無い。
「ん?うん。……不覚千万。貴様を斬った後、この童に小突かれてな。倍にして返してやったが……。」
リンゼは、お替りように盛られた大皿の飯を食い漁るプーカの背を撫でて、答える。
「飯が出た途端、この元気よ。久方ぶりに自信が削がれたわい。」
「――美味い美味い美味い美味いッ、プーカには、美味すぎるんだよっ!!」
「プーカが……、ですか。」
リンゼの隣に座り食膳の飯を眺める。この間合いで飯時のリンゼを襲っても、一撃入れられる気はしないが。まぁ、とんだミラクルも有ったものだ。俺は左腕を垂れ下げたまま、包帯に巻かれた右手で箸を掴みにいく。瞬間、右手は指の先まで大きく痺れ、上腕はふっと脱力した。カランと二本の箸が落ちる。
「……血操、"神衣降ろし"の反動じゃな?――無魔であることを逆手に取り、血液に乗せ肉体の中で魔素を激しく循環。運動能力、回復能力を強制的に引き上げ、幾度となく儂の斬撃を防ぎおった。」
正解。リンゼは箸を置いて俺を見る。
「しかし、一度使えば体力消費がバカにならん。それ故に、燃費を抑える為の玄武剣。自ら仕掛けず、陽動もせず、ただ無駄を省いた玄武の術が、ここぞとばかりに意味を成した。」
リンゼは俺の箸を取り、米を持ち上げ口を開ける。
「不合格じゃ。はい、あーん。」
不合格ですか。俺は口を開き、リンゼが差し出した箸を噛む。
「全くガキじゃのう……。お前は何年経ってっもガキじゃ。ほら、もっと喰え。」
俺への介護を見て、猫がへッと笑った。
――こいつ……。
「まぁ、そりゃあ貴女に比べればな。んあー」
む。リンゼはその言葉を聞き、口に突っ込んだ箸をそのまま口内で持ち上げた。
「んんn……、?!」
「そういやお前。ブスと言ったな。加齢臭とも言った。……のう、儂から臭いするか?薫衣草と桃の花で身体を清めた儂に、東国壱と謳われた美貌の儂に、そもそも剣の師である儂に向かいオタクとは何じゃ。若者言葉を知らないとでも思うたのか?のう、どうじゃ?ナナシ?答えよ。」
「んんん!!!!!!んあっ、あんたの戦法だろうは!!冗談はって!!」
打たれ弱い婆さんだ。意味わかんねぇ。
「まぁ良い。貴様が何故刀を欲しに来たのかは聞き及んでおる。何故玄武を使っているかも先刻理解した。」
そう言うとリンゼは、自身の右側に置いていた刀を左側に、俺の座布団との間に置いた。
「名刀、玄ノ叢雲。貴様の姉から"借りパク"しておった天ノ叢雲を参考に打たれたものじゃ。なぁ"借りパク"じゃ、借りパク。使い方あっとる?」
「――姉ってどっち。」
「妹の方じゃ。」
……妹の方。
「まぁ、悪く言えば模造品の刀であるが。お前が目指すべき戦型に近付けるはず。無論それは玄武では無い。詳しいことは巻物にでも書いてやろう。おテツの分も書いてやるでな、良い戦いぶりじゃったよお主。……刀の代金はいらん。天ノ叢雲で遊ばせてもらっている分じゃ。それよりさっさと飯を食え、身体を作るのは飯じゃ。」
リンゼは、俺の目の前に熱々の味噌汁をよこす。
「あぁ、猫舌だったな。ん?――じゃったなじゃったな。」
そう言って今度は味噌汁の熱に息を当て、「いけるか?」と近付けた。
「き、急に聖人面をする……。」
下げて上げれば、優しさは二倍である。ちょっと可愛いのが腹立たしい。
「だって剣聖だもん。」
全く中身の無い返答。こんな奴に敗けたのか。
「それに、飯代と受講料は後で貰うでの。さぁ食った食った。」
その言葉に、全員の箸が止まった。アルクは青ざめた顔で、プーカの背中を叩き始める。
「……吐こうプーカ。まだ間に合うさっ、ははっ、ほらっ!!あはははは!!」
「ナナシっ、私、キャラバンの準備をしてくるかならな……!!」
リザはさっと箸を置き立ち上がった。テツは目を丸くして白米を呆然と見つめている。
「いや、冗談に決まっとるじゃろお前ら……。はぁ。思いかけずとんだ精神攻撃が出せたものじゃな。……さぁほら。あーん。」
溜飲も、下がり切らない冗談だった。