④猫の手も借りたい
「ここからが本番じゃ。主の太刀筋、見定めてやろう。」
俺は刀を構え動かない。見定めるとは良く言ったもので、これもリンゼの誘導の一つだ。なんせこっちは玄武剣、守りの構え。先に仕掛けるのは分が悪い。それなのに、リンゼは一歩も動かない。
「テツ、撃て。」
テツは背中のライフルを構え、リンゼを狙う。
「卑怯な奴じゃな。」
「お陰さまでなッ!!」
ライフルを向けたテツへ斬りこむリンゼの正面へ入り、構える。しかしリンゼは踵を返し、傍観していたアルクとリザを蹴り飛ばした。
「なッ……、リンゼっ!!」
「非戦闘員、だからどうした。初めから全員で来いとっ!!」
続いてリンゼはプーカを蹴り上げる。
「言っただろ私は。」
飛ばされたプーカは屋敷の居間まで吹き飛ばされ、衝撃で畳は3枚ほど捲り上がり、床は割れて穴が開いた。
「お前ッ……!!」
「しかしだ。その刃では決して仲間を守れやしない。玄武剣とはそういうものじゃ。元来太刀一本での戦闘は想定されず、無理に扱えば己を守るだけか、それ以下の体たらく。では主は、何故未だこの戦型に固執する。何故白虎陣を使わない。何故フリューゲルが朱雀陣を拒む。儂には理解出来んわ。今ある最善を尽くさず、定石から外れ迷い続ける貴様の剣など、仲間を守れぬ貴様の剣など、そんなものは、ただの怠惰な鈍じゃ。そんなもので有るならば、貴様に渡す刃など、この国には存在せんわ。」
振り返り、リンゼは居合を構える。狙いはテツだ。しかし頭が察知した時には、リンゼは既に刃を抜いていた。
『――四神一閃。』
「テツ!!」
リンゼはその余りにも洗練された一撃をテツの懐深く、そして刀では無く右腕を胴へぶつける様にして撃ち放つ。故に、テツに直撃したのはただの拳である。しかし、斬撃の後、リンゼの放った一閃の、直撃した空間は裂ける様にして、消えたのである。
「ほぉ、晴れてしもうた。」
抉れた仕切りの裂傷が、その先の木々が、薙ぎ倒されて絶景を移す。それはまるで、元よりそうで有ったかのように、あたかも信じられないことではあったが、山頂から流れて下った雲海の波が、綺麗に二つに裂けていた。
「不殺は強者の特権じゃ。しかし、真の強者なら殺していた。強者とはそういう者じゃ。付け入る隙など毛頭無く、強さが故に迷いが無い。良いか馬鹿タレ。たった今、4人が死んだ。貴様の迷いで、4人が死んだんじゃ……。」
「…………。」
「あの日の貴様と、同じようにな……。」
――っ!!
俺を呼ぶ声がする。遠くで逃げろと呼んでいる。誰かが静かに泣いている。涙は地に落ち、血と混じる。あの日、雲一つない快晴だったあの日。あの時も、息もつかない刹那の暇に、理不尽な程に一瞬の白刃で、妹は殺されたのである。
「てめぇ。あの日って、一体どの日だ。――リンゼ・シラハ!!」
いいや、分かっている。いいや、分かっている。……分かっている。分かっているんだ。分かっている。分かっている。いいや俺は、俺は、俺は……
「いいや、俺は。……分かってるよ、リンゼ。貴女は俺にとっての、第二の師匠だ。その底無しの優しさも、優しさが故の厳しさも、卑怯さも、誠実さも、難儀さも、そして貴女の教えの正しさも、理解っている。――だから俺は、全くもって間違っていた。」
リンゼは、数少ない恩人だ。ずっと逢っていなかったから忘れていた。まだまだこの人には、返し切れていない恩が有ると言うのに、俺は彼女の顔に泥を塗り、あまつさえ欺こうとしたのである。こんなのは全くもって、冒涜じゃないか。
「非礼を詫びるよリンゼ。ほら、久々に会ったら変わらず綺麗でさ、少し動揺と言うか何というか……。」
彼女は戦いの中での会話を求めた。口では無く身体で示させるために。つまり喋りなどは揺さぶりでしかない、挨拶すらも仕掛けに過ぎない。彼女の教えを思い出せ、全ての記憶を思い出せ。勝つ為だけにただ動け。
「最初は老婆だったから気を使っていたけど、そういやお前強いもんなァ。でもほら"加齢臭"が抜けてないから手加減しちゃったわ。あぁ~うっかり、うっかり。ちゃっかりちゃっかり。」
俺は刀で手の平を裂き、血塗られた刃を鞘に納め構える。一方リンゼは空気が変わった。何やらニタニタしながらコチラを眺めている。そう、俺は知っている。奴はキレている。リンゼの唯一の弱点は精神攻撃だ。あんだけ人には仕掛けておいて、反転自身は昔から短気でメンタルが脆い。
「掛かって来いよ。糞おぼこ刀剣オタク地味ババア。そしてババア。…そしてブス。」
「あはっ!!」
リンゼは首をバキリと鳴らし、満面の笑みを咲かせてから、踏み込んだ。
「――ぶっ殺すッ。」
爆破が起きた様に地面が抉れ、弾丸が飛ぶようにリンゼが迫る。玄武剣は守りの剣だ。これでいい。そしてもう二度と、彼女相手に手は抜かない。
『――神衣ッ!!』
瞬発の受け。彼女の一撃を居合で弾き、死ぬほど深く息を吐く。神衣という制限時間付きの身体操作。鼓動は煩く激しく高鳴り、肺は千切れんばかりに膨張させては、萎ませる。筋肉は熱い。裂傷からは白い泡が噴き出している。しかしこれで良い。これが良い。これでやっと、俺は俺を肯定できる。
『四神流――』
玄武剣は所詮後出しだ。
『一閃ッ!!』
しかし、それ故に無駄が無い。リンゼの次撃は紛れも無く、四神流一閃。俺は彼女の太刀筋の、力を乗せる一歩手前で刃を弾く。完璧なパリィ。そしてカウンターの肘撃ちを入れる。狙うは溝落ち、リンゼは身体を引き離し、打撃の感触は浅かった。しかし、悔しがる暇など無く、切り返しの斬撃が飛ぶ。
『飛翼ッ!!』
燕返し。しかし、ただのそれでは無く二刀流の波状攻撃。しかも、まるで左右の腕が別の生き物であるかのように、気味の悪いテンポ感で斬撃が飛ぶ。俺は太刀を横に構え、何とか二刀を同時に弾く。しかし態勢は大きく崩され、後退のステップを余儀なくされる。絞られた選択肢、まるで誘導されているかのように、生まれた隙へ、最速かつ最善の斬撃が飛来する。これが剣聖。称賛が刹那この脳裏に過る。無駄だ。無駄な思考は限界まで削ぐ。
『乱斬ッ!!』
続けて飛び込む速度の速い連撃。斬撃の切り返し時に速度が落ち、一撃ずつの威力は落ちる。それでも掠れば肉が飛ぶだろう。それにいやらしいブラフ。敢えて速度を落とし、隙に見せかけた緩急をつけている。滅茶苦茶だ。頭の処理が追い付かない。いや、追い付かせないほどに、合理的に滅茶苦茶にしている。
『加具土命、白牙、六輪、龍刃、如月ッ!!』
剣技の波状攻撃。あまりに苦しく酸素が足りない、筋が軋む、手足が痺れる、魂が乖離しそうなほど、気が遠くなり、瞼が重く落ちていく。これがリンゼに対する後出しじゃんけんであるならば、百分の壱があいこの手で、残りの九九は敗北の手。何故か勝ちには至らない。思考時間は一秒にも満たず、一度たりとも間違えられず。無意味に退けば始まるのは詰将棋だ。動きを制限され、先読みの末に詰む。退いてはいけない。間違えてもいけない。刹那の狂いも許されない。
『――戦型四神、連撃斬ッ!!』
まだ、まだまだまだまだまだ出てくる。知らない技、知らない動き、知らない戦術。形容し難い動き、時間差の斬撃、異なるテンポ速さ威力緩急、酔いそうになるほど目まぐるしい。
『――玄武刃ッ!!』
互角と言えば体の良い。まるで打開策の無い防戦一方のサンドバックだ。ここまで足りないのか。こんなにも差が有るのか。
『四獣裂波ッ!!』
「ぐぅっ………!!」
気合で斬撃を弾いたのち、腕がダラリと肩から下に垂れさがった。筋が切れたのだろうか。それとも脱臼か。不快さは有れど痛みは無く、唯々左腕が動かなくなった。有るはずの痛みがそこには無く、アドレナリンの効果時間の、擦り減る恐怖が背後に迫る。冷や汗がドッと出る。血の気が引いていくのを感じる。身体は無意識にリンゼから距離を離し、それを見ては間髪入れずにリンゼが詰めてくる。
終わっている。どうしようもない。でもどうする、何をする。何が出来る。何が有る。俺には一体、何が残って――
あぁ、……そうだったな。
こういう時に思い浮かべる。この陳腐な言葉。
「――飛ばせ、エルノアッ!!」
猫の手も、借りたいと。
――フッ。
影の中で小さな口が笑う。
「全く君は。」
瞬間エルノアは扉魔法を開き、リンゼの遥か頭上へと俺を飛ばして呟いた。
「ボクに頼るのが、遅すぎる。」
Tips
・神衣(=カムイ)
『正式名称;シンザンカムイ。出所:イーステン。カムイは身体に高負荷を掛ける技術と呼ぶには余りにも危うい体術であり、一説には一度使用すれば寿命が5年縮むと200歳の仙人が忠告してくるほどリスクのある技。
☞原理は体内に巡る魔素を操作して筋肉等肉体での消費を速めるもの。短期で50秒、長期で3分しか持たないらしい。魔法世界に住まう人間はある程度体内での魔素操作を身に付けており、重い物を持ち上げる、高い所から落ちる等、用途用途に合わせて肉体の限界を超える様に意識下で魔素を消費することが出来るが、カムイはその技術の超応用であり体内を循環する魔素の流れを正確に読み解き加速させる最高難度の技。しかし魔法を後天的に失ったナナシはその魔素感知においては比較的に長けており、魔素操作には比較的劣るという欠点があった為、出血から操作の起点を作ることでカムイを発動させている。加えて外界に露出した血流の魔素をしばしば滞留させる命令を与えることも出来、魔素を魔法に変えることが出来ずその魔素操作ですら不便を強いられたナナシの努力の賜物だと言える。
☞真名をシンザンカムイ。真懺とあて宗教的な意味があるという説、心斬とあて肉体的負荷を意味とする説、深山とあて出所であるイーステンの山々を彷彿とさせている説などがある。また神威とあてる説もある。』