①神域へ挑む者
第26譚{斜塔のダンジョン 神層}
「……彼女の目的は、自殺だよ。」
重たい空気がキャラバンに漂った。アルクは動揺した声を漏らし、アムスタとケニーも暗い顔を見せる。彼らにとっても知った名前なのだろう。多層に渡る難解な斜塔ダンジョンを、たった一人で開拓し続けたソフィアの影響力は大きい。リザとマーヤ、エルノアには事前に伝えてあった。テツはと言えば、一瞬だけ緊張で固まったように見えたが、全く動揺していない俺を一瞥して、いつも通りのポーカーフェイスでジトーっと何処かを見つめていた。
「ソフィア・ラインズが、死んだの……?」
鎮痛剤、もといクニシャラの麻薬を取り込んだ反動からか、顔色を悪くしたネオが額に脂汗を浮かべながら、困惑した表情でそう聞いた。
「あの、ソフィア・ラインズが……」
サピロスの山小屋でその話を聞いた時、俺は何処か納得がいくような感覚が有った。まるでパズルのピースがハマったかのように、これまでのソフィアの行動や言動の不可解さが脳裏を過っていたのだ。
「……ソフィアは、パプーの毒が外に抜けずらい体質で、頼みのクニシャラもその効果を発揮しなかった。……そして残酷なことに、彼女の全てはこのダンジョンに有るんだ。……何度も止めたさ。何度も、何度も。」
メセナは天井に手を伸ばし、空いた手で顔を隠す様に抑える。
「でも、分かるんだ。……あの無念が。ダンジョンに入らなければ毒はやがて抜ける。それでも、このダンジョンに潜れない無念を想えば、本気で止められない自分が居た。いや、想っていても誰にも理解できない。トライデントだけに生きてきた一族の、その崇拝者たるソフィアが、ダンジョンに拒絶された絶望が、……誰かに理解できるはずが無かった。最後まで、あの引きつった笑顔が、本物の笑顔であって欲しいと思っていた。彼女の軽口が、冗談で有って欲しいと思っていた。――そんなワケが無かったのにッ!!!」
……ダンジョンとは、生き物で有るが、無機物だ。感情がなく冷酷で、如何に命を張ろうとも、その深淵を覗き切ることは叶わない。それ故に人類は、シーカーは、数多の挑戦と失敗を積み重ねて進んできた。すなわち、その営みを無視した彼女の背信行為は、最下層を見るまで戻らないという愚かな決意は、ただの自殺願望と同義なのである。
「…………だからせめて。……彼女の層測器だけでも、日の元に届けてやって欲しい。……お願いだ。ユーヴサテラ。」
親友が死の淵に立っている人間の心境など、想像できないほどに複雑で、混沌とした悲しみに覆われているに違いない。それだから、なんて声を掛ければいいのか分からない。まぁ、何も言わなくてもいいか。余計なことを口にはさんで、メセナが興奮でもすれば傷に触る。それに、これからの行動はもう既に決まっている。俺たちは第10層に行かなければならない。焦りが無いと言えばウソになる。今は一刻でも速く動きたいのだ。しかし、動揺していると言えば、それもウソなのだ。
「ケニー。20層についたら駅を教えてくれ、剝離岩は斜めにしか空洞を作らない。ゴンドラのルートからキャラバンを進めれば、かなりの短縮になるはずだ。」
「分かった。」
ケニーは松葉杖をキリリと握り、強く頷いた。辿って来た道が有るならば、キャラバンはただ進めばいい。高速に回る四輪は忙しなく限界の速さをを追い求め、第10層までの距離を着実に縮めていた。さぁ、帰ったら何をしようか、何を食べようか、どう思うだろうか、何が待っているだろうか、どうしても、そういったことを思い浮かべてしまう。この感情の緩みは、悪魔的だ。
―――――――――
{第10層・モグラの宿}
「あ、ミヤさん。」
・・・・
匂いが変わった。目に映る光景と木の香り、一抹の安堵が疲労を加速させていた。人気の無くなったレストラン。そこにはモフモフの耳を弾ませたミヤ=フランデが、真剣な面持ちで探検装具一式を整え座っていた。聞いた話によれば、元ラインズの探検者としてソフィアの最期を見届けに行くらしい。驚きの過去だ。しかし見届けると言っても、それは層測器の反応が届く第20層まで赴き、ソフィアが何層まで進めたのかを確認するといったものだ。しかし、当たり前のようにソロで20層まで行くと宣言してみせた。相当な覚悟が有ってのものか、相当な実力が有ってのものか、恐らく両方なのだろうが、どいつもこいつも自分勝手だ。
「テツ、後は頼んだ。」
俺は絶対的な信頼を置く副リーダーの肩を叩き、リザに担がれたメセナの方へ向いた。
「悪いメセナ。言い忘れてたけど形見は持ってねぇんだ。」
うん、副リーダー。連盟としてみればおおよそ正しいのだろう。きっとアルクは俺の代わりに成ってくれるが、テツの代役は難しい。では、血盟としてみれば?あるいは、船主を考えれば?操舵手はもう決まっている。すなわちこれは航海長で――
「えっ………?」
あぁしかし、先導手なら無論テツだ、交易手のリーダーは勿論アルクになるだろう、医療はプーカしかダメだ、護衛役は俺しかいない。疲労から来る漠然とした思考は今、グルグルとこの脳を巡り回る。
「形見はプーカに持たせた。今はアイツにソフィアの後を追わせてる。自分のことで頭がいっぱいだったんだろうけど、昨日の夜からプーカとは――」
「はぁあああああああ???」
声をあげ、ズキリと痛ましい腹部を抑えたメセナは、信じられないといった表情と苦悶の表情を同時に浮かべて顔を上げた。俺は考え事からパッと現に意識を戻して顔を上げる。
「君はッ!!一体どれだけの危険をプーカちゃんに負わせているのか、それを理解しているのかいっ!!?」
「もちろんだ。分かっててプーカを行かせた。」
メセナの包帯から血が滲む。
「それならばッ――」
「分かってないのは、俺達についてだろ。メセナ。」
「はぁ!?」
メセナは目を丸くする。
「初めからそうだった。俺たちユーヴがお前ら二人の仮面を見破れなかったように、メセナは初めから俺たちについて、大きな勘違いをしていた。恐らくそれは先入観から。」
「き、君は何を言っているん――」
「俺は、ユーヴサテラの一員であって、ユーヴサテラじゃない。俺には本当に名前が無い。でもユーヴは血盟クランだ。登録書にもそう書いてあったろ。」
「み、見てない……、というか覚えてない。でもリーダーは君なんだろ?!」
(――ブラッドオーダー・オルタナティブ...)
俺の呟きに合わせ、背中の影にエルノアが黙々と人の姿で現れる。メセナからは絶妙に見えない角度で背中合わせになり長い髪が触れた。
「そうかもな。このクランは俺が始めた我儘さ。でも、血盟主は俺じゃない。」
エルノアは俺の右腕へ自身の左腕を被せ、爪先から指先まで、挙動を繊細にトレースするかのように合わせていく。
「それと――」
草臥れた視線を上げる。飛び込むメセナの丸い瞳が、写る陽炎に揺れた。
「俺は決して、仲間を見捨てない。」
愛すべき木製の箱舟へ、その腕を一緒に掲げる。
「なっ.....」
メセナの止まった息が漏れ出るのと同時に、エルノアの手の甲が眩く光る。そのマークは砂時計のような、大樹のような、形容し難い複雑さを持ちながら、神聖な気品を感じさせる輝き。やがて箱舟はブォーンと低い音で啼きながら、木洞の闇路へひとりでに動き出す。傍らでは頬杖を付きながら「壊すなよ~。」とリザが小声でヤジを飛ばす。しかし、今日ばっかりは、保証できない。
『経路探索機能、自動経路精査。『――準備済。』
俺とエルノアの周囲を黒い靄が包んでいく。それはキャラバンが、嬉々としてこの身体を深淵へと誘うように。
『要求――形態『・探索士、高速、獣化、猛進、巨人。『――承認。名も無き血盟主の勅令、ナヴィゲーション自律航法』
すなわちこれは、たいそう久々に出す錆びた能力。
「単独搭乗+。」
『――全認証。【フォーム=バステ】...』
言わば、この旅路の全てを載せた、
「さぁ、行こう。」
『――ノアズ・アークッ!!』
自動操舵である。