㊷Noah’s Arc
全て……、策略通りにいってしまった。
今更だろう。俺たちのキャラバンには様々な素晴らしい機能が設けられている。そのどれもが凶悪なダンジョンに抗う術を秘め、俺たちを大いに助け、旅の快適性を上げてくれるものだ。その中でも特筆すべきは内外を断絶する力。すなわち箱船の中ではシーラにいようと魔法が使える、あるいは使用者の意思によっては魔法を封殺することが出来る。では、その凶大な力のベクトルが外界に変われば……?
――そう。それはまるで、顕現する神々の御業。侵入者を拒み続ける魔法制限領域の如き圧倒的な抗いの力。
魔法の名は――
『休息者の円弧ッ!!!!!』
エルノアの声が響くと同時にキャラバンは眩く光り、白刃のような波動が天使の輪が広がる様に世界を包み、空間上の魔法を無に帰した。それは俺の右手に集約された魔法も同じように、どれだけの混沌を集めた力だとしても、何事も無かったかのようにスッと消える。
「何だと……!?」
アイザックの魔法も同様である。無数に伸びたマグマのように禍々しい腕らは一瞬の波動に呑まれ、無に帰る。すなわち、俺たちが残していた本当の奥の手は二つ。一つ目は最強のキャラバンが放つ魔法の無力化攻撃。そして二つ目は、
「終わりだ、アルデンハイド。」
「アッは、まさかそんな……。っはは。ウヒヒヒヒ、ウヒョー!!!」
俺は笑い始めたアイザックを柄で殴り、中央へ走る。他の奴等も同様に柄で殴りながら捌いていく。つまり二つ目は、粉塵爆発の小麦粉やらに紛れて燃やした、斜塔街ダンジョンに蔓延る強烈な麻薬の原料、大量に持て余したクニシャラの生葉。規制の出来ない植物から生成される、幻覚作用を発生させる物質のその煙。
「へっへっへなんでっはっへ!」
「しっかりしっイヒヒヒヒ!!!」
「てやんでい!てやんでい!てやんでいぉぉぉおおおおおお!!!」
ラリった雑兵を片付けながら、俺はアルデンハイドの拠点まで迫る。俺には毒も薬も効果が薄い。だがどれほど優秀な魔導士とて風邪薬は有効だ。逆もまたしかり。それ故にダンジョンは難しい。一方憂慮すべき問題は俺の血液量だ。カノンを強制的に解除したとは言え多量の血液が外に流れた、流血に際する人間の致死量は約2.5L、いま抜けたのが約……、あぁ、やってらんねぇ。
後方、砦の頂点に空いた穴からは、キャラバンのアークを合図に無数のハーピーが外に飛び出し臨戦態勢で迫る。魔法が使えなくなるのは五分程だ。その間も脳機能は低下し続け百人隊は赤子同然の烏合の衆へと成り代わる。問題は目の前に見える別動の一個部隊11人。そしてラスボスの領主アルデンハイド。俺は土で作られた粗悪な砦と、そこを守らんと睨む部隊の前に止まる。
『百人隊を退かせろッ!!アルデンハイドッ!!!!!』
声の限り叫ぶ。恐らく最後方に見える魔導士が副領主グスタフ、あからさまに怪しい出で立ちの男がギルバード、土の城塞から覗く老人が領主オーガスタス。全員が俺のことを認識している。
『お前らに勝機は無いッ!!!』
パシャパシャと水音を立て、テツがアムスタを背負いながら近づいてくる。その後ろには松葉杖を付くケニーとそれを支えるアルクが見えた。背中越しには、キャラバンがシュルルルと水を巻き込みながら進む音が聞こえてくる。
『だが俺たちも、勝つ気などは毛頭ないッ!!!今日この場に勝者は居ないッ!!!だが、敗者になりたくなのならばッ!!――撤退しろ、オーガスタスッ!!!』
頭に血が昇り、身体がふらつくのをテツが支える。それを見るやギルバードの部隊の一人が剣を構えるが、グスタフらしき人物がそれを止めた。テツは何とか開けた右手で拳銃を構える。百人隊の本陣は、今頃槍を持ったハーピーらに囲まれているのだろう。けれど彼らには理性が有る。だから後ろから、今、叫び声が上がらないのである。奇声を除いて。
「もういい。ギルバード、部隊を連れて救助に当たれ。総員、決してハーピーらと目を合わせるな。」
「……御意。」
要領の良い奴だ。キャラバンは後ろで停車し、マーヤがアムスタを担ぎケニーと共に乗り込んでいく。
「ナナシ。……これ。」
「あぁ…、助かる。」
アルクは輸血を助ける赤の液体と、栄養の入った青の液体が揺れるジェルボールのような摂取物を俺に渡し、キャラバンへと乗り込んでいく。俺はもうろうとした意識の中、テツの肩を借りて液体を咥えながらグスタフを睨んだ。
「……名前は?」
「言ったら殺しにくるだろ。」
グスタフは首を振る。
「我々は誇り高きシーカーだ。そんなことはしない。それにもはや絶望の中、そんな気力も湧かないのだ。」
……どうだか。
「{ユーヴサテラ}無名のシーカー隊だよ。」
「なるほど、ユーヴサテラ……か。」
そう言うとグスタフは眉をひそめ、こめかみを掻いた。するとグスタフの背中からいつの間にか、老いぼれた白髪の男がスルリと姿を見せた。一体いつから居たのか、魔法も使えないこの状況で、曲がった腰を持ちながら、一体どうやってここまで来たのか……。
「その名は、最高峰に立つ者らにとって、気味が悪いほどに馴染みのある名前じゃ。」
アポストルシーカー。クラン・アルデンハイド領主、オーガスタス=アルデンハイド。
「そんなに身構えることは無い。儂一人がここを滅ぼしたとて、全くもって意味の無いこと。重要なのは積み上げることじゃ。次の為に、また次の為に、さすればいずれは容易にならん。今が良ければいいのではない。明日良くするために今日を捧げる。そうじゃろ。シーカーとは、開拓とは、そういうものじゃろ。」
確かにそうだ。現に、この第25層という果てしなく遠い秘境に、これだけの人間が立ち入れている事実が、彼の偉大さを物語っている。最も偉大なシーカーとは、他人の貢献できるものだ。それこそ、偉大な発見をすることでシーカーは周囲に対し偉大な貢献を果たしてきた。しかし、発見や採掘、収集だけが、シーカーの偉大さではない。開拓をし、富を呼び込み、斜塔街の民に貢献し続けたこの男のやり方も、またシーカーとしては偉大と言える。確かにそうだ。それは間違いではない。
「お前もそうじゃろうて。サテラの息子。お前が積み上げる経験は全て、偉大なる目的への糧でしかない。今は及ばんと知っているからこそ、シーカーとしての能力を求めんとしている。違うか?……まぁ違くても良い。元来、あの女の言う事の半分は信用に値しないと理解している。」
サテラか。
「しかし、この儂の新たな功績を無に帰したことは頂けんことじゃ。例えサテラのように、野暮な言動をとる愚か者と心得ていたとても……。」
オーガスタスはそう言って、真っ直ぐ俺を見つめる。
「愚者はアンタだ。この地に根付く歴史と信念を軽んじ、この戦争を仕掛けた。」
「お前その怒りは……偽物じゃろうて。ハーピーに助力しようとお前にある利は僅か。生命を天秤に賭ければこそ異常な選択。サテラの真似でもしよったか、若造。」
その一言は重々しく。その背中には、鬼を飼っているのかと錯覚するほどの気迫が見えた。
「理由を、述べよ。」
オーガスタスは力を集約させるように空間を歪ませ、砦の上からそう言い放った。……これが一触即発ってやつか。
Tips
・休息者の円弧(=ノアズ・アーク)
『魔法のキャラバン、ノアズアークの奥の手である秘技こそが魔法版電子パルス{ノアズアーク}である。この時のアークは"方舟"としての{Ark}では無く"円弧"の意を持つ{Arc}。その効果はキャラバンを中心とした超高範囲の魔法を無力化する大円弧を放つ強大なものであり、ノアズアークの真価を誇示する正真正銘最強の技。しかし反動としてキャラバンが一定時間動かなくなる、その他付随する亜空間能力が消える、といったリスク付きの大技であった。だがユーヴサテラが所有する現在のキャラバンはリザにより改造がなされており、操縦席が設けられ手動での移動を可能とする為、最大のリスクがカバーされている。
しかしどんな魔法にも弱点は存在する。かつて世界最強と名高い放浪の騎士へ、小さな黒猫は興味本位+鬱憤晴らしでこの技を掛けようと試みたことが有った。結果その騎士は一瞬間姿を消すと、何事も無かったかのようにエルノアの前へ現れ、穴が開くほどのデコピンを撃ったという。すなわち完全無欠の大技{休息者の円弧}唯一の弱点は、円弧そのものを避けてしまうテレポート能力であった。』