アルデンハイド百人隊の喜劇 妥結案
「君は……、一体何なのかな。それよりネオちゃん返して貰えるかな?」
「名前を名乗れ。」
ハーピーが後退し、戦況を理解できずにいたアルデンハイドから一人、ロングコートの男が近付いてくる。
「僕はアルデンハイド百人隊の一番隊隊長。"赤きアイザック"。君は?」
「お前に名乗る名前など無い。多勢に無勢とは卑怯な奴め、あの娘を返して欲しければ一人ずつで来い。」
まるでテロリストと交渉する時みたいだな。生涯、テロリスト側になるとは思わなかったが。
「勝手に無勢になったのは君の方なんだけどな……。良いかい君、僕らは忙しい。遊んでいる暇は無いんだ。」
作戦は有るが、戦況は1対100だ。まともにやり合うつもりは無い。
「忙しいだ?嘘を吐くな嘘つきクランめ。大体お前ら百人隊名乗ってるくせになぁ、お前は百人も部下いないだろ。」
「百人は総計の話さ、僕はその部隊長。」
「――黙れ血便のライザップ、紛らわしいんだよ!!」
「"赤き"アイザックだ。血便でもライザップでも無いし、僕の名前を馬鹿にするのはお勧めしない。」
男は少し肩を上げて、手の平をこちらに向ける。
「アイザック。さっさと片付けろ。」
後ろからは鎧を付けた剣士が、こちらを鋭く睨んでいた。
「おいおい横から何者ですか、お前。」
「アルデンハイド 神速のダンテ」
「黙ってな、新宿のパンケ。」
「お前を殺す……!!」
煽るつもりは勿論有ったが、そこにメリットは一切無い。意味の無いことをした。
「……まぁ待てって、いや冗談じゃないですか。……全く。今御宅の偉い人とハーピーの偉い人が話してっから待とうって。一応人質いるんだから、待とうよって。」
アイザックとダンテは人質という言葉に反応し、臨戦態勢を解いた。
「君が敵だということが分かったよ。ただね……。」
アイザックは力を抜いたようにストンと肩を落とし、真顔で言った。
「この作戦は彼女よりも重い……。遥かにね。」
一触即発といった感じ。俺は手のひらを百人隊へ向け睨みを効かせた。彼らは少し身構えて、武器をこちらへ向ける。
「……五分だ。五分経ったら彼女を返す。」
「へぇ……。それまで僕らはどうしろと?」
どうもしなくて良いが。スムーズに戦うための盤面は整えさせて頂きたい。俺は剣を降ろし、アイザックにこう伝えた。
「メセナ=フリーダムを出せ。それと五分間、他の人間は微動だにするな。さもなくば、ネオの首を取る。」
俺はエルノアの黒い魔法に包まれ、キャラバンの中へと姿を消した。猶予は五分間。
――――――――――――
{第25層・シャングリラ『テンペスト周囲・キャラバン内』}
「殺せッ!!!」
「致しません。」
「何でだよっ!!!」
「ですから、理性的に話したいのです。ここで侵略を続ければ、貴方がたには金輪際、砦の通行を許可致しませんし、ゴンドラの権利も譲渡されない限りは破壊します。今後貴女のクランは、このダンジョンでは不利な状況を強いられると言っているのです。」
まるで獣を説得しているようだった。
「知るかッ!!私はここ制圧するッ!!!それが嫌なら、さっさと殺せ!!」
エルノアは怪訝な顔でネオに近づく。
「まぁまぁ、落ち着けよ。今この娘が言った通り、君らじゃボクらには勝てないんだ。」
「モフモフが、……喋った!?」
俺はつい鼻で笑ってしまい。黒猫に睨まれる。
「うるさいな……。ボクは君の為に言ってあげているんだ。ボクの良心を無下にしたこと、生涯かけて後悔することになるぞ。」
「撫でていいか?」
「ダメだ。」
エルノアはそう言って、胡坐をかいて座るリザの元へ行き、見せびらかすように撫でられる。
「ぐぐぐ……、拷問だぞっ!!こんなのギルドが許さないぞ!!」
どの口が、何に対して物を言っているのか。
「これは最後の機会なんです。貴女がたの攻撃は我々には、このクランには通用しません。撤退して下さい。」
「嘘を言うな!!」
エルノアはリザの足の上で人の姿に戻り、もたれ掛かって続ける。
「嘘じゃないぞ。このキャラバンは、君ら程度が出す魔法攻撃なら容易に吸収できる力が有る。現にボクがキャラバンで君を縛り付け、君は魔法が出せていない。大人しく投降するんだな。」
「よしよしよしよし・・・」
「ふんふふんふんふんふんふんふん」
人に戻ったエルノアの頭をリザがこれでもかと撫でる。エルノアはその手に身を委ね、気持ちよさそうに目を閉じながら首を揺らした。
「……女の子!?」
「君の知らない不思議も有るんだよ。この世界はな。」
リザはエルノアの肩から腕を回してそう言った。エルノアの肌は小麦色に染まってる。これは魔法を切り替えている証拠だ。つまり面倒では有るが、今現在{ノアズ・アーク}は使えない。敵が正直に五分待つことを祈るばかりだ。それにどうせ、ネオの持つ通信石で盗聴されている。
「もういいか?」
俺は剣を抜いてネオの首元に当てがった。
「な……何すんのよ!!私を誰だと思ってるのッ!!??」
「見たら分かる子供だ。しかし、アルデンハイドを率いている有名人。少なからず、隊の決定権を有する超重要人物。つまり大きな敵戦力だ。ここで首を縦に振らないなら、俺はお前を殺す。」
変形したキャラバンの床に拘束されているネオは魔力が使えない状態にある。今からことを構える相手なら、普通に殺すべき人間だ。
「や……やればいいでしょ。殺しなさいよ。覚悟は……、出来ているわ。」
だが俺たちは計画に乗っ取って、この娘を殺さない。計画通りならそれは普通の事だ。普通の脅しをし普通に殺さない。しかしこの状況下で、普通じゃないのはこの娘の方だ。普通とは何かを考えれば、普通は人は死を恐れる。
「いいかいネオ。ただ殺すだけじゃない。君と俺たちに与えられた交渉の猶予、五分間をたっぷりと使い、君を死ぬより苦しい拷問にかけた末に殺すんだ。しかし、君がこの妥結案を飲み込み、隊に伝えればそんなことにはならずに済む。」
「嫌よ……!!」
「分かった。」
俺は切っ先をネオの耳に向ける。
「全隊の構成と、戦力状況を吐いて貰う。拒んだりすれば、まずは両耳を頂く。」
俺は刃を彼女の耳裏に当てた。ネオはゆっくりと涙を流し始める。本当にこの子は普通じゃない。
「ネオ。……妥結案を了承し、戦争を止めるように伝えてくるんだ。そうすれば、これから始まる地獄の苦痛に耐える必要は無い。お前らがハーピーにしてきたような仕打ちを味合わなくて済むんだ……。分かるだろ?嫌だよな。避けたいよな。死んでいったハーピーみたいに、身も心もボロボロにされて、無様に鳴きたくは無いよな?」
これは脅しだ。そして彼女はシーカーである。仮にも軍人などではない。相手を苦しめて殺すのは、
それを可能とする知能を有する人間と言う生き物だけだ。つまり彼女は、人間相手の技術を積んできたわけでは無い。シーカーのクランに生まれ、冒険者として、魔物相手の技術を積み上げてきたのである。だからこそ異常なのだ。この状態は異常と言える。
「どうして、そんなことするの……?」
ネオは泣いていた。まだ子供だ。初めから分かりきっている。
「ネオ、俺は君に問いたいんだ。どうして簡単に敵を殺せる。どうして簡単に人を捨てれる。君は大統括としてアルデンハイドの所業を目の当たりにし、延いては、率先して動いてきた。俺にはそれが理解できない。君は洗脳でもされているように見える。俺はただその呪縛を解きたい。本当のシーカーが、目指すべき姿を教えたい――」
「それこそ洗脳じゃないの!!!」
「そうかもしれない。ただ俺からすれば、外部の主張を遮断し、内部の信念に固執する君らの意識の方が、よっぽど洗脳じみたものを感じる。いいかい、ネオ。俺はただ、妥結案を飲んで、伝えてきて欲しいと言ったんだ。ウソだって構わない。君が首を振り、ここから出ていく事を望んでいた。ウソだってよかった。しかし君はウソすらつかず、クランの計画を優先した。異常だ。はっきり言って異常。」
「どうでもいいでしょ!!私の命は、私が決めるのよ!!!どう死ぬかも、何故死ぬかも、何故戦うかも、何にを信じるかも!!私が決めるの!!私は私の命なんて惜しくない!!!!!」
異常者だ。ダンジョンに挑む人間も、自ら危険を冒しに行く「冒険者」という人種も、みな平等に異常を来している。それでも俺たちは、この命を軽んじているわけではない。この命が、本能が、感覚が、生きているから探求している。しかしこの子は、そのプロセスが逆転してる。その事実は異常としか思えない。
「俺は君の命が惜しい。」
エルノアが猫に戻り、外を確認した。時間はそろそろ限界だろうか。
「君は若くして優秀なシーカーだろ。そしてシーカーとは、俺の知る限り、素晴らしい出会いと感動が連続する途方も無く楽しい生き方なんだ。それがきっと俺たちの生き方の真髄なんだ。だから君は、下らないプライドに絡めとられ、ここで終わっていいような人間じゃない。それは圧倒的に正しくない。」
ネオは歯を食いしばった。俺は真っ直ぐ彼女を見つめて続ける。
「ネオ。シーカーとはさ、もっと自由なんだよ。つまり君に、ここで死ねと選ばせる意思も、権利も、情熱も、信念も、信条も、皆等しくクズなんだよ。……いいかい。それを如何に君が崇拝していようと、畏怖していようと俺には関係ない、俺はそれを体裁の良いゴミカスだと貶してやる。」
「っ・・・」
ずっとそうだ。
――性悪説というものを信じていた。いつだって、窮地で人はその本性を見せるから。醜く卑劣で薄汚れた本性を、自分本位で利己的で、つまり他人のことなどお構いなし。まったく醜く、まったく卑劣、まったく下等で、正に性悪。
……しかし、往々にしてこう思う。“本当にそれは悪なのだろうか?”ネオ=アルデンハイド。彼女はアルデンハイドという家に生まれ、彼らなりの正義を振りかざしてきた。ネオにとっては、それはきっと純粋に悪ではない。幼少の頃から身についていた彼女なりの善、アルデンハイドなりの方法。そして自分の命すらも天秤に賭け得る、間違うことなき一つの崇高な信念。では、それならば、悪とは何だ。善とは何だ。そんなもの、環境次第で簡単に変わりゃしないだろうか?だから俺は、本当の正しさなど、よく分かっていない。だからこそ俺は彼女に、俺の善を振りかざすのだ。そこから何かを選び取るのかは、飽くまで個人の、彼女の仕事であるはずだ。
「ネオ・アルデンハイド。俺はナナシ、{クラン・ユーブサテラ}のシーカーだ。今から君の信じてきたものと、真っ向勝負する者だよ。だからもう泣くな、君を殺しはしない。そして君が信じてきたものと、正面切って戦ってやる。君が君のクランを、信念を、その在り方を、正しいと信じるのなら、君は俺を倒して、俺を否定してみせろ。」
ネオは泣きながら、荒い呼吸を刻みつつ、その眼の奥底では俺を睨んでいた。
「ぐっ――、じ、上等よ……!!」
「それでいい。やるなら本気でやろう。」
俺は最後に、エルノアへ目配せをした。エルノアはそれを見て、平手を静かに合わせて唱える。
『扉魔法・無角、{黒門}』
ネオの身体は黒い影に包まれていき、次第に姿を消していく。この技はエルノアにしか使えないが、如何せん条件が厳しい。こんなに使ってくれるのは今日くらいなものだ。
「それじゃあ、俺も行ってくる。」
立ち上がった俺をマーヤだけが心配そうに見つめる。
「ナナシ。」
一方エルノアは特に顔も合わせず、尻尾を揺らしながら俺に言った。
「もし困ったらその指輪、はめずに握ってみても、良いかもな?」
何故いつも遠回しなのだろうか。
「あのなぁ、何か秘密を知ってるなら、初めから具体的に伝えるように。」
「知らないもん。」
もん、じゃなくて……。
「さっさと行けば。」
面倒くさいやつだ。俺はキャラバンの扉を開けて、外の軍勢を視界に移した。先頭にはネオとメセナが立っているのが見える。本当に、面倒だ。なんでこんなことになったのか、こんなことをしてしまったのか。俺たちは弱小クランな筈なんだ。全くもって難儀である。
「ナナシ。」
今度はなんだ。嫌な顔をしながら振り返れば、人の姿のエルノアが背中に抱き着いていた。
――っ?
「ご褒美。」
・・・・
「こっわ。」
俺は背中を殴られ、キャラバンの扉はバタリと強く音を立てて、閉じられた。俺は溜息を一つ吐いて、ゆっくりと百人隊へ近付いていく。しかし頭の中は、さっきのハグの事でいっぱいだ。
「ああいうのは普通、勝ってからだろ。それもマーヤから抱き着かれて感謝されるのがセオリーなんじゃないの、なんでお前……」
「何をグチグチと言っているのかな?」
眼前のダンテが剣を抜いて待っている。
「叩き殺される準備でもしていたのかい?」
……そりゃ一体。どういう準備ですか。……しかし、何だろう。ああいうのも有りっちゃ有りというか決して無しでは無いというか、ぶっちゃけ良かったのかも知れない。
「ん?あぁ。準備なら出来てるぜ。たった今、三割増しのバフが掛かった。」
俺は不敵に笑うメセナと、静かに目を合わせ、剣を構えた。