㊳敵
この地を見て、理想郷と名付けようものなら、精神に異常を来していると断定するだろう。それ程までにこの地で起きていた出来事は、それはとても皮肉的で、受け入れ難いものがあった。第25層シャングリラ。この惨状から目を背けられたら、どんなに良かったのだろうか。ここに辿り着かなかったら、どれほど良かったのだろうか。いや。それはきっと、良いことでは無いのだろうけど、今よりマシだと断言出来る。さて、それと同時に問題は、余りに複雑で面倒なものだと理解できた。
「っ……」
{第25層『シャングリラ』}
言葉に詰まらせたマーヤを見ながら、俺は考える。呼吸を忘れ呆然としながら、キャラバンの外に広がる地獄を前にし、佇んでいる。……ここは、とても見晴らしが良い。メセナから第25層についての概要は聞いていた。水面で死体を貪るのがセイレーン、アルデンハイドと争っているのがハーピー。どちらもモンスターであり、例外は一つだ。
「思い出した……。アムスタはあそこに居る!!湖畔に見える小さい岩穴、あそこで倒れてる!!」
マーヤは泣いていた。彼女の反応を見るに、記憶が戻ったのか。如何せん最初の予想通り、マーヤとケニーは第25層までに接続されていたルートを利用して、いくつかの層を跨いだことになる。すなわち、アルデンハイドは、第1層から第25層に渡る超巨大なゴンドラ線を開通させていた。その技術力、労力もさることながら、この戦いを見ていても、その強大さをはっきりと理解できる。これが世界最高峰のTier1シーカー部隊。そして、斜塔街を牛耳る帝王の姿か。
「と……、とにかく、アムスタ君って子を助けに行こう。あとは他の生存者も助ける必要が有りそうだよ。アルデンハイドは私とソフィアがいると知れば、キャラバンに手出しはしないだろうし、このやり方は後日協議が必要だと感じるが、今は救える命を救いに行こう……。」
メセナは冷静沈着にそう発した。そしてこの出来事も、偉大な開拓史の中で灰色に霞んでいくと悟っている。非人道的行為も正義の前では無力だ。正義、もとい大儀。アルデンハイドはゴンドラしかり、この開拓行為しかり、他のクランでは到底真似出来なかったであろう功績を、後世に残すことになる。圧倒的な発展の礎だ。そして往々にして問題の焦点は、非人道的であるということ、すなわちケニーやアムスタの扱い方だ。非人道的か、否かである。では、非人道的とは何か。俺は腰に差した剣を崩れたように座り込むマーヤへ向けた。
「な……、何をしているんだい。ナナシ。」
メセナは言った。俺に向かって。
「例外はお前だけだ、……マーヤ。だから、物事を静かに治める為には、これが一番良い。」
マーヤは俯いて涙を流していた。
「……君は、自分が今何をしているのか、分かっているのか?」
「分かってるよメセナ。そして本心では、みんな理解している。――敵は何奴だ?……この層までマーヤを縛り付けていたのが、その答えだ。もちろん彼女ならこんな縄くらい、簡単に千切れると知っていた。それでも、俺たちは彼女を縄で縛り続けた。それじゃあ聞きたい、敵は何奴だ。俺たちは、冒険者として幾度となくモンスターを殺してここまで来た。アルデンハイドが今やっていることも同じだ。この層のボスであるハーピーを、繁殖しすぎたハーピーを、人類を代表して討伐している。それなら、……敵はどいつだ。俺たちは既に、その答えを知っている。そしてそれを共有し、黙認し、縄で縛って確かめながら、ここまで来た。善人ぶるなよメセナ。お前だって分かるだろ?マーヤがいなければ、ほとんど全てが肯定されるんだよ。」
メセナは言葉を失ったように、口を開けて黙っていた。ソフィアも同じだ。ただ他の皆は違った。こういう状況に慣れているからだ。俺が起こす突発的な、こういう状況に。
「だから最期くらいせいぜい、死んでいった仲間みたいに無様に抵抗してこい、半人のハーピー。」
俺は切っ先をマーヤの顎にトンッと当てた。正しさを見つめれば、この事態から目を背けなければ、こういうことになる。マーヤは、モンスターだ。それならば、敵は当然、斬って然るべき。
「――ぐぅ、、、、、、うわぁあああああああああああッ!!!!!!!!」
振り向いたマーヤは翼を広げ、俺を噛みつきに掛かった。ケニーを襲った時もこんな感じだったのだろう。俺はすかさず腕を組み伏して、首を掴み、床へ抑えつけ、両膝で腕に乗っかり、逆手に持った剣の刃を首と掴んだ手の隙間に滑らせた。
『殺してくださいッ!!!』
マーヤはぐじゃぐしゃに泣きながらそう言った。敵は何奴だろうか。
『殺してくださいッ!!』
殺気を滾らせたまま、ボロボロと涙を浮かべ、暴れながら、彼女は叫ぶ。
『速く殺せよッ!!!!!!!!!』
敵は何奴だ。
『殺せッ!!……殺して、殺して……下さい。……どうか、お願いします。……もう、楽にして下さい。』
上層で轢き殺してきたゴブリンと同じだ。知らないうちに殺してきた虫と同じだ。生きる為に買ってきた食材と同じだ。俺たちはそれを看過し、正当化してここまで来た。どれだけ泣こうが喚こうが、こいつは敵だ。幾多の同胞を殺してきた種族の血を引いている。そう世界は判断する。じゃあ、この意志はどうしたい?……俺はいつだって、この意志に突き動かされてきた。憧れを追い求めるこの意志を尊重してきた。
「……じゃあ、どうして。どうして君と俺は、六層で出会ったんだ。マーヤ、死にたいというならその前に、聞かせて欲しい。君はどうして第六層に居た。君はどうして地上を目指した。」
「希望が有ったんです……。」
マーヤは泣きながら、悔しさを滲ませたように答えた。
『……お父さんが、困った時は頼りなさいって、例え半人でもッ、絶対に応えてくれる人が居るってッ、地上には、そういう優しい人たちが居るってッ、私がどんなんでも、どんな見た目でも、どんな過去が有っても、一緒に泣いて、笑って、励まして、力になってくれる人が居るってッ、パパの友達は強いんだってッ!!でも……、でも会えなかった!!』
彼女は叫ぶように言った。
『――私は、……メセナ・フリーダムには、会え無かった!!!そんな人は居なかっだ!!!!』
再三脳裏を過る言葉が有る。『敵は、一体何奴だ。』誰を倒せばいい。誰に協力すれば良い。誰の味方をすればいい。一体何が正しい。その答えを明確にしたい。
『希望なんて無かった……。この世界に、希望なんて無かった!!……私は汚いモンスターです、生まれるべきじゃなかった……。……生まれてきてごめんなさい。許してください。……これは、神様からの罰なんでしょ。もういいです。……ねぇ、ねぇ!!!……楽に殺してもくれないんでしょうか?そんなに私がッ……、私が何をしたんですかッ!!!!!!!!!!』
泣きながら叫ぶ。敵はどいつだ。人か?こいつか?言うまでもない。俺たちは、俺たちの敵を倒してきた。
「何もしてないよ。」
メセナが閉ざしていた口を開き、椅子に掛けていたローブをゆっくりと羽織った。その顔は見えなかったが、どもった声をして、鼻を啜っていた。
「……お父さんの名前、ヤマウかな?」
「っ?……はい。」
その言葉に、涙目のマーヤは困惑した表情をした。
「ズバリだね。隠し事をしているとは思っていたけど……。言ってくれればさ、ご祝儀くらいは出したのにさ。」
メセナが扉を開くと、熱気と何かの焦げた匂いが一斉にキャラバンの中へ混じって来る。
「ソフィア。ユーブサテラ。私は、私のすべきことをしてくる。……ごめんねマーヤ。メセナ・フリーダムは、弱い奴だよ。今はそれでいい。」
そう言ってメセナはキャラバンを飛び降りた。俺は両膝に掛けていた体重を少し緩め、後を追おうとするテツの方を向いて話す。
「テツ、皆を連れてアムスタの所へ行って欲しい。ソフィアも頼む。キャラバンを開けたいんだ。リザは残ってくれ。」
「……何をするんだ?」
ソフィアは、俺を気に掛けるようにそう言った。
「どうもしないさ。ただ、少しマーヤと話したい。」
「ナナシ……。」
「頼む。」
時間が無いことは分かっている。生存者の救出も、ギルドへの報告も、メセナの動向も、まだ何も成せる状況ではない。しかし、成すべきことは、それだけじゃない。
「……分かった。」
「ありがとう。合流方法はいつも通りだ。気に成ったらテツにでも聞いてくれ。」
俺がそう言うとアルクは肩を落とした。
「無茶しちゃダメだよ?」
「何をするとも言って無いだろ……。」
きっと、言わなくても、凡そは伝わっているのだろう。俺たちは全員、短いようで長い付き合いだ。同じ屋根の下で眠り、同じ飯を食べ、同じ旗の下ここまでやってきた。とても長い間、一緒だった。だからこそ、こういう時は割かし寡黙で、要領よく動いてくれる。そして、しばらくして、五人は手早く装備を整えキャラバンを後にした。キャラバンの扉がパタリと閉まり、俺はぐじゃぐしゃになったマーヤの泣き顔を見つめた。そして力を抜き、剣を閉まって床に置いた。まずは、困ったことに、複雑なことに、問題は色々有るが、それを知っているのは俺だけであるということだ。俺は、後ろで手を組んだまま、ボーっと背もたれに寄りかかり、天井を見つめ続けているリザの方へ顔を向ける。
「なんだ~、ナナシ。」
リザは眠そうにそう言った。呑気な奴だ。
「ミャ~オ。」
エルノアがいつもみたいに綺麗に啼いた。呑気な時間、いつもの空気感。だがそのくらいでいい。俺は飽くまでいつもの調子で、床に尻を付きながら冷静に返した。
「――裏切り者がいる。」
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