アルデンハイド百人隊の喜劇 性転換
「ア、ムスタ……。」
僕らの前に佇んでいた死体は、あらゆる傷跡から蛆虫が湧き、特段欠如していた右腕部からは、群体となったそれがニョロニョロと湧き出ていた。土色の顔や体は既に認識出来ないほどに腐食しており、全身の至る所にコケが生えている。これは、第25層という環境の熾烈さを物語っているようでも有り、例え死肉となろうとも、この世界では生き残れないことを示唆していた。そして、栄養の無いアムスタの死肉を食い漁った蛆虫は、所々に転がり悶えている
「俺のせいだ……。お、俺が……。俺は、……無力だった。無力だった!!」
第25層、湖畔の小洞窟。ケニーの案内で訪れたそこには、無残な遺体が転がっている。テツに支えられたケニーは、岩壁を変色した腕で叩き、強く嘆いている。しかし冷静になれば、ココで大声を出すべきではない。
「よく、頑張ったね。」
僕は膝を曲げ、片腕を失くしたアムスタに近寄り、プーカから預かっていた薬品入れのポーチを開いた。
「……何ふざけてんだよッ!!」
彼は激怒した。僕がアムスタの死体を無視し、その奥の土くれに話しかけていると思っているらしい。つまりケニーには見えていないのか。すなわち間違いなく、アムスタはケニー隠していた。
「彼は本当に、君の仲間なのかい?」
仲間とは、損得勘定で如何様にも発生しうる人間関係だ。これは僕が貿易商として生き始めた時から、ポリシー的に掲げている考え方。それ故に、仲間とはイコール友達ではないし、損しか発生しない人間を人は仲間と定義しない。仲間と呼ばれることは有れど、仲間と呼ぶことは有れど、損しか無ければ敵なのだ。
「彼は、大事な友達だよ……、アルク。」
友達……とは、例外的な概念だ。
「そうなんだ。……それより、直ぐにこれを食べて。こっちの赤いのが血液になる。こっちは栄養だ。食べれば元気になるよ。後は、痛み止め。」
僕は透明な包みに入った一口大の赤い液体をアムスタの口に入れた。これは経口摂取出来る血液だと聞いている。もう一つは白く濁ったもの、こっちは栄養ドリンクみたいなものと聞いた。相変わらず滅茶苦茶だ。毒でも入っていたら自責の念で潰れてしまうぞ。
「うんむ……、むぐ……」
ケニーはずっと後ろで呆然としている。つまりアムスタの能力は相当な効果を持っているらしい。
「腕を上げたんだね。」
僕がそう言ってやると、アムスタは頬を膨らせたまま、失くした右腕をピクリと動かした。突っ込み辛い……。そんなブラックジョークを吐けるほど、肝の座った奴じゃないぞ僕は。
「彼に、言っても良いかい?」
アムスタは二つ目の白い液体の入った薬袋を口に含むと、歯を立てて液体を飲み込み、コクリと頷いた。
「……{遺書}。それが、アムスタが本来得意とする、固有魔術だよ。つまりケニー、君が今見ている死体はただの土くれで、こっちの大きな盛土が、本物のアムスタだ。」
「は……?」
「生きているよ。」
「ア...アムスタは生きている……?」
「……そうだよ。君は今、幻覚を見ていると自覚するんだ。そして目を凝らすと良い。そこに湧いている蛆虫は今、死肉模した幻覚を見て、実際には土や石を飲み込み死んでいる。一方こっちに見える人型の盛土は、アムスタ本体。つまりメメント・モリは、最高レベルの死んだフリ。……アムスタ。君は、シーカーとして優秀なんだろうね。僕には分からないけれど。」
アムスタは微笑みながら、土の下を指差した。僕はそこを掘りノートを見つけてアムスタに返す。
「ナナシは居るの?」
「あぁ、居るよ。ここからでも見えるかもしれない。」
アムスタを背負い、洞窟の出口まで運ぶ。第25層はある意味平和だった。全ての戦力や、その意識が一点に集中している為だ。
「相変わらず、……意味わかんないや。」
アムスタは苦笑いをして、ケニーの方へ向いた。
「……ありがとう、ケニー。」
ケニーはずっと、唖然としていた。彼の視線の先には、テンペストを背にアルデンハイドの軍勢と向き合うナナシが映っているのだろう。
「説明が、足りねぇよ……。」
アムスタが口を開く。
「……彼らは、……ウェスティリア魔法学校の、僕の同級生だ……。君に魔法を隠していたのは、そうするべき魔法だったから……。すなわち、……僕の魔法は、誰かを常態的に、騙しておくことで効果を強めるもので……」
僕は喋り出したアムスタの口に、もう一つ栄養薬の袋を放り込んだ。
「君は少し、身体を労わるんだ。」
そう言ってやると、アムスタは栄養薬をゆっくり噛み、
「うん……。」
中に含まれていた液体が飛び出すのと同じく、堪えていた涙を溢れさせたように泣き始めた。
「うん……。うん……。」
アムスタが失くしたものは大きい。ケニーもそうだ。凍傷により腐りかけている四肢のいずれか、或いはその全てを、切断することになるかも知れない。この戦場もそうだ。沢山のものを失っている。こういう場所で生まれるものと言えば、往々にして負だ。憎しみ、哀しみ、痛み、悔恨。しかし今アムスタは、そういったものを通り越して、今ある生に涙しているのだろう。
「本当に、よく頑張ったね。」
「うん……。」
依然ケニーは驚いた顔で遠くを見つめ続ける。
「――悠長なこと言ってる場合かよ……!!死ぬぞアイツ!!仲間なら止めろよ狂人どもッ!!あんな奴が!!アイツは馬鹿かッ!!!アイツがッ!!」
記憶を取り戻したばかりのケニーは、戦況を理解し始め、興奮の為に血を昇らせていた。
「ま、まさかアレも魔法か……?」
ケニーは不敵に笑いながら、ナナシの方へ指を差す。テツはケニーの肩を担いだまま「違うよ。」と呟いた。僕も首を振る。アムスタは依然泣いている。
「何でか、来ると思ったんだ。だからアルクを見た時、当たり前のような気がした……。」
アムスタは涙を浮かべながら戦場を見つめる。
「……ケニー。君には、彼が強そうには見えないだろ。……ケニー。君には、彼が無謀に見えるだろう?」
ケニーはアムスタの方を見ようとするが、動き出した戦場から目を離せずにいる。アルデンハイドの魔力が高まっていたのだ。彼らの魔力が生み出す激しい熱気はここにも到達する、地獄の業火が集約されている。そしてこれを一人の人間が受けようとしているのだ。光景は常軌を逸していた。
「その通りなんだよ、ケニー。……でも彼はさ、弱く無いんだ。強くも無いのに……、弱くは無いんだ。」
テツは少しだけ、笑いを堪えた様子だった。僕らとアムスタの付き合いは長い。アムスタのその評価は、言い得て妙である。
「誰にでも苦戦するんだよ、ナナシは。そして今まで、誰にも殺されなかった。一度たりとも。」
生きていれば、誰しもがそうだ。誰しも殺されずに今日まで来ている。殺されて迎える今日は無い。しかし、アムスタの言いたいことは、僕には良く分かった。
「……彼は負けない。敗けるなら、今あそこに彼はいない。……敗けるなら。それはそれで見てみたい。」
アルデンハイド百人隊と、旅人ナナシ。僕らはその戦いの行く末を、ただ茫然と見届けようとしていた。