㊱凍り付いた財布
「ケニー。聞かせてくれ。何が有った?」
俯くケニーは泣いていた。
「思い出せない。……ただ、同じ隊の人間が25層で死にかけてる。ハーピーにやられたんだ。……だから俺は、助けを呼ぶために、ここまで来た。何か暗い場所を辿って、20層まで、いや、暗い場所で揉み合いになって、俺はアイツに……、あのハーピーに放り出された。ここより寒い場所で、ここよりももっと下で……」
25層まで行ったのか。……それに、暗い場所。マーヤも出会ったばかりの頃、同じことを話していた。暗い場所を昇ってきた、と。そして森で出会ったマーヤは怪我をしていて、気絶していた。25層は、ハーピーの生息地でもある。ただ25層まで行っていたという連盟員の漁師もいる、25層で死にかけている仲間、25層のレイヤーボス。暗い場所って何だ……。
「まぁ、優秀なんだな。ケニーは……」
俺がそう呟くと、ケニーはパッと顔を上げて俺の顔を見た。
「アムスタ……」
「――違う、ナナシだ。初めまして。」
アムスタか。……アムスタね。
「その、アムスタちゃんのフルネームを聞いても良いか?」
「アムスタは男だ。……苗字はシュペルダム。」
「シュペルダム……ですか。……メセナ。シュペルダムとかエヴァンスっていうクランは、斜塔街に存在するか?」
「――俺たちはアルデンハイドだ。」
その一言は長い静寂を呼んで、その意味は俺たちの思考を奪い去った。
「アルデン……ハイド……?」
「あぁ。だが、どうしてあんな場所に居たのか……、なんでこうなったのか……!!全くもって、自分の不甲斐なさが頭にくる。今は、……この悔しさで、おかしくなりそうだ。」
ケニーは拳で椅子を叩く。俺たちはそんなケニーに百人隊についての話をしたが、彼の記憶が戻ることは無かった。そしてそれはマーヤも同様に、謎が謎を深めるばかりで肝心なことは何も分からなかった。その後の晩飯と言えば、重たい雰囲気の中、それぞれが真剣な表情をしながら、黙々と飯を食べ進めるばかりで、楽しいような食事では無かった。しかし、そんな晩餐会の中で俺たちの頭には、とある共通の方針というか、目的が形成されていった。それはどうにも探索者としては必然的な思考で、ある意味常軌を逸していたが、議論するまでも無い終着点であった。
――――――――
{第20層『蒼玉の山小屋‐401』}
「君はあの冒険者を何だと思っているんだ。」
メセナが言った。
「敵だ。」
俺は返す。
「俺の仮説が正しければな。」
「ゴンドラが25層まで続いてるって奴か?まさかな。……まさかだろ。」
「でも、他に何も無いだろ。方法も可能性も、この仮説を越えるものは何も無い。アルデンハイドの中にはきっと、記憶を消去するやつがいるんだ。斜塔街のダンジョンで起きていた記憶障害は精神汚染なんかじゃない。いや、もしかしたら精神汚染かもしれないが、もし、マーヤとケニーがゴンドラに関わっていたとするならば、情報漏洩を避ける為に記憶が消されたとも考えられる。」
展望室は透明なガラスに囲まれていた。そこを出れば積雪のバルコニーが広がる。雪は止み、天には19層の蒼い鉱石たちが光を放っている。依然外は寒いが、暖房を付ければこの空間も快適だ。俺とメセナは向かい合って話す。机には紅茶と茶菓子を置き、外には雄大な銀世界が広がっていた。402のソフィアたちと部屋を別れたのは、ケニーを保護しつつ、マーヤと距離を置く為だ。今となっては、ケニーの記憶はアルデンハイドに繋がる大きな財産となった。
「ふむ、むぐ。ふむ。まぁいずれにせよ、25層に行くのは賛成だ。君らから話が出たもので、少々面食らったが、アルデンハイド百人隊が25層まで到達している線は、割と濃厚なものになった。しかし、リスクも有る。欲張って奥に奥にと進めば、付いてくるのは消耗とリスクだけだ。……それにしても、美味いなこのケーキは、東部地方にはこんなものがあるのか。」
メセナが食したのは抹茶を使ったモンブランだ。シラ婆がケーキを作ると言ったので提供した。
「苦くて甘いのがトレンドらしい。」
俺もフォークを手に取って、机の皿に目を向けた。しかし皿の上には何も無く。机の横には頬を膨らませたプーカがいた。
「おい……美味いか?」
「かなり。」
「はぁ…、まぁ…いいや。それよりも、」
言葉を紡ごうとした次の瞬間。部屋の扉バァンと開き、俺は思わず剣を構えた。
「誰か来たね。」
俺と一緒にメセナも身構えるが、
『ウノやろうぜ~!!』
声の主はソフィアだった。俺たちは急いで部屋に戻り、ケニーへ視線を送った。ソフィアの後ろには当然マーヤが控えている。
『明日キャラバンで喧嘩されても困るだろ。なんで争ってんのかも分からないみたいだし、記憶も無いときた。それならいっそ距離を縮めようじゃないか。』
ソフィアはケニーに向かって穏やかに話しかけた。ただ、ソフィアはマーヤの縄をリリーズに変え、しっかりと警戒をしている。
「ウノってなんだ?俺はやらんぞ。
ケニーは鋭い目つきでそう答えた。
「やらないならそれでもいいさ。お前はただ見てればいい。ただそっちの奴らには付き合ってもらうぞ。今夜は酒も飲めねぇんだ。ゲーム位はしなくちゃな?」
ソフィアの言葉に呑まれるように渋々俺たちはゲームに参加した。ソフィアは言い知れぬ複雑な表情のマーヤを前にしながらも、一組のペアとして参加していた。ケニーは既にベッドへ横になっていたが、起きている様子では有った。ウノをしながらも彼らの記憶が戻ることは無かったが、晩飯の時に比べ、和やかな雰囲気が流れていた。それもその筈だ、機嫌の悪そうなアルクも含め、全員が金を賭けていたからだ。見えない不安より、目先の不幸である。ある意味全員が真剣になれる場をソフィアは作り出したのだった。
―――――――――
俺は皿とカップを厨房へ返すついでに、シラ婆とメセナの三人でしばらくの間、話し込んでいた。そして独りでの帰り際、ソロで山小屋まで辿り着いたという冒険者と廊下で鉢合わせ、ケニーを殺してないよな?と趣味の悪い冗談を吹き掛けた。実際には俺たちが下へ降りている間も、ソフィアかテツがケニーを監視していたが、単純に念を押したのだった。そしてこれが実際に良く効くということを俺は知っていた。
「アムスタか……。」
屋根裏へ上がる階段の途中で、その名前を思い出す。ケニーと同行していたアムスタ・シュペルダムという男が、シラ婆の孫かも知れないということを聞かされたばかりだったからだ。そして明日のことを考える。俺たちはもし彼が生きていれば、引き返すことになるだろう。或いはあらゆるケースを想定しても、25層からは、キャラバンを引き返す未来が見えてくる。例えその先の層で、アルデンハイドが進行していようとも、シーカーとしての絶好の機会が転がっていようとも、引き返す未来が見えてくる。何故ならそれが、俺たちが持てるリスクと責任の限界であると、悟っているからだ。どうしたものか。明日になれば、究極の選択を迫られることになるのかもしれない。どうしたものだろうか。
「あっ……」
階段の先で、ソフィアが見えた。
「遅かったな。もう寝るから探しに行こうと思ってたんだ。」
「悪い。少し話し込んでた。ケニーは?」
「グースカ寝てるよ。」
ソフィアは優しく笑ってそう言った。その表情は朗らかそのもので、真剣さなどは一切なく、とても自然体で、どんな状況下でもリラックスできるソフィアの器用さを感じさせるものが有った。そしてそれが、俺を更に苦しめる。
「ソフィア。一つ聞いても良いか?」
別にどうってことない単純な質問をした。ただこの手の質問は誰しも反応に困るものだ。だからそこには意味が無いし、他愛もない会話の一つでしかない。
「あぁ、いいとも。何でも聞きな?」
「じゃあ。俺たちは仲間か?」
その言葉に戸惑ったような顔をして、その後に、少しニヤけてソフィアは返す。
「当たり前だ。」
何故だろうか。その言葉で、迷っていた全てが吹っ切れたような気がした。そして俺は、……俺たちは恐らく、大博打に出ることになるだろうと、そんな未来が見えた気がした。
「だから、さっきの負け分もきっちり返して貰う。しめて15750イェルだ。忘れんなよ~。」
――吹っ切れなかった、か……。
大博打は既に始まっていた。