㉟凍り付いた記憶
「おいおい、どうしたよ重傷者。」
「放せッ!!」
俺はジタバタ暴れる怪我人を抑え、後ろを振り返る。
「落ち着け、マーヤ!!」
マーヤを縛っていた縄はプツりと切れ、床に落ちていた。
「アイツらがッ!!この俺のッ!!アムスタのッ!!」
「落ち着けって、今のお前じゃ、暴れたってッ、何も出来ないッ。」
俺は紫色の顔面と腕を必死に抑え、体重をかける。正直この重度の凍傷に触るだけでも気が引ける。
「プーカッ!」
この状況下で、机の上の刺身に手を伸ばしていたプーカを呼び止め、俺は男を抑えさせる。
「後で、食えるから……」
「ムグッ…うましうまし……。」
刺身を咥えたまま、プーカは男の腕を抑える。俺は空いた手でナイフを取り出し、指輪に"よく切れろ"と念じて男の目の前に刃先を向けた。
「一時的だが、あのハーピーも俺たちの仲間だ。そして現時点でお前は、俺たちの仲間に攻撃を加えようとしている。分かるな?お前が何をしたいのか、どんなやつなのか、全て思い出す前に死にたいか。」
「ッ!!!!」
胸糞悪い顔をしている。被害者の顔だ。とても哀れで、とても気が引ける。
「あんたも動くな、後ろのソロ冒険者。」
ローブの女は動きを止めて、振り返る。
「私を巻き込まないで欲しいな。これは貴方がたの問題でしょ?私は別に関係無い。」
そう、確かに関係ない。この山小屋の所在が第20層という特殊な状況でなければ。
「フリーダム連盟盟主、メセナ=フリーダム。クラン・ラインズ盟主、ソフィア=ラインズ。ソフィアは元来ソロシーカーだったそうだが、そうだとしても、この二人と面識が無いような奴が、どうしてこの中層にいられるんだ。つまり、そんな超上級ソロ冒険者をどうしてメセナが知らないようなことがある。」
「そういうことも有るでしょ。」
「そういうことも有るかもしれない。ただ、無いことの方が普通だ。それに、あんたがメセナを知らないということは、まずもって不可解だ。それなのに、出会ってからのあんたの反応は一貫して、不自然なの程に自然な他人行儀だった。」
「だから?」
「だからということもない。動かないで欲しいんだ。このイレギュラーばかりが起き続けているダンジョンで、不可解な貴女に、状況が整理できるまで動かないでいて欲しいんだ。」
女はそれから何も発さず、近くに有る椅子へ静かに座った。
「悪かったな。」
傷が痛んだのか、プーカの力に観念したのか、動きを止めた男に突き出していたナイフをしまい、俺は問いかける。
「俺たちは人を殺したことが有る……。」
男は血走った眼をしていたが、その一言で俺と目線を合わせた。つまり、まずはマーヤから意識を逸らし、落ち着かせる。
「モンスターなら言わんやそうだ。殺しの依頼も受けたことが有る。そして、今俺たちと同行しているハーピーは、実態は捕虜だ。扱いもそう。」
小声のまま続け、息が整ってきたので口を塞いでいた方の手を離す。
「つまり、お前が依頼を出すなら、俺たちがアイツを殺してもいい。知ってるだろ?ここのロビーはクエストの依頼が出来るんだ。そして受注することも出来る。今のお前の凍傷はどうだよ、血が腐って酷い様だ、一方向こうはどうだ?温泉浸かってばっちり血が回ってる。戦っても勝てない、ここで死にたくは無いだろ?」
「……アイツは、モンスターだぞ。……お前らは向こうに加担するのか?」
「そういう時も有る。ここは孤高の中層だからな。しかし往々にして条件次第だ。……俺たちはお前の話を聞いてやりたい。」
俺はナイフを構えたまま、プーカの抑えを外させる。
「名前は……?」
「・・・・」
「まだ思い出せないか?あのハーピーと何が有った。お前はどうやってここに来た?」
「俺は……、」
二人の共通点は三つ。一つ目は記憶が無いこと。二つ目は下から来たこと。三つ目は互いに敵対しているということ。
「お、俺は……!?」
それならば、二人の失われた記憶は、失われた場所で交り合っているのかもしれない。男は自身のボロボロになった手を見つめ、その手を震わせながら言った。
「俺の名は、……ケニー。……ケニー、……エヴァンス。」
男はその手の包帯に、涙を染み込ませて呟いた。