㉞雪夜の晩餐会
「それ、美味いか。」
「……あぁ。」
末端が紫に変色しているのが見て取れる。五指を包む包帯の隙間、耳先、鼻先、足に至ってはスネまで色が変わっている。食しているのは堅そうなクッキーの棒だ。こちらが囲う鍋の席から少しばかり離れたところ、シラ婆の居る厨房の直ぐ近く。
「名前は?」
「分からない。……覚えてないんだ。」
そいつは非常食の菓子を握り潰し、唇を噛んでそう言った。この手の奴に構うのは無駄だ。しかしここは第20層、15層のC4は先日潰れ、通信を中継する手段はとっくに消え去った。助けを呼ぶには、最速でも俺たちが第10層のC3に帰還した後。暖房設備に命を吹き込むシラ婆が、山小屋から離れることは考えられない。つまりコイツはしばらくここで過ごすことになるのだろう。何の為にココに居るのかも分からずに、自分が誰なのかも分からずに、ただひたすら極寒の極地で助けを待つことになる。帰る場所も知らないと言うのに。
「軽度の記憶障害だね。ただ、そのうち思い出すようになるさ。それこそ上層に戻る頃には、自分の家くらいは思い出すだろう。この怪我で帰れればだけどね~。」
ミトン装着を装着したメセナは、楽観的な表情でそう言いながら、大きな机の上に直径1mほどの鍋を置いた。
「何も入ってない……。」
「メインは作りながら食すのさ。料理をする、或いはさせているという過程も、料理を美味しく楽しむ為コツなんだよ。高級料理店とかさ、やたらコックが目の前で作ってくれるだろ?あれみたいなものさ。それにサイドメニューは既にシラ婆が作ってくれてる。私らは女性陣を待ちながら、出汁取りとしゃれこもうじゃないか。」
恐らく、マーヤを警戒しながら入浴している為だろう。もはやあの捕虜と敵対関係が生まれることは無さそうだが。
「よし、それじゃあ一緒に食べよう!」
「……いいのか?お前らの食料だろ、それらは。」
「いいんだよ。隣で辛気臭い顔されたら飯が不味くなるだろ。それに食料は腐るほどある……よな?」
俺はルンルンと鼻歌を鳴らすメセナの方へ視線を送った。
「んー?あぁ、いいとも。もちろんさ!アルク君?」
「うん、大丈夫。」
食料の在庫は管理しちゃいないが、キャラバンに隠してある余剰分も有る。これから先、これで足りないようなら、きっと他の探索者は餓死してるレベルだろう。
「貴女も食べますか?そっちのソロの方。」
俺はもう一人、この宿を利用していた客へ視線を送る。この吹雪の中、ソロで潜っていたというのだから、相当な実力者なのだろう。
「いいえ。有難いが、結構です。遠慮させていただきます。お互いの為に。」
そう言いながら彼女は腹をさすってみせた。「ダンジョンで食中毒でも起きたら、お前らどうしてくれんだ(By、ソロ冒険者)。」と言った所だろうか。目が笑っていなかった。しかし、こちらも余計な恨みを買いたく無いし、向こうにも確りと道理が有る。無理強いするわけにもいかない。
「シラ婆!点火だ!やったれ元盟主!!」
「はいはい。」
ぶわっと着火。机に掘られた空間からは、メラメラと炎が出現した。鍋はその堀に用意された取っ掛かりと、天井からつるされたフックに引っ掛け固定される。
メセナが何を入れて取り出したのかは見ていなかったが、沸騰したお湯は黄金色に透き通っていた。厨房からはシラ婆が沢山の料理を運んで来る。焼き魚に、刺身、天ぷらの盛り合わせ、小さい豆腐、おひたし、茶わん蒸し、漬物、米、野菜炒め、とエトセトラ。全体的に小物が多く種類に富んだイメージだ。そしてそれらのストックがカウンターの大皿には山盛りなっている。まるで懐石料理の大食い大会が始まるような様相。大皿の前には達筆に「おかわり自由」と書されていた。
「全く。それにしても長いな。」
メセナが、そうぼやいた瞬間に「あがったぞ~」とソフィアの声がした。見えたのは湯気だ。火照った顔から昇る湯気が眼に映り、ソフィアの後にみんなが続いてくるのが見えた、その瞬間。正しくはマーヤの、ハーピーの翼を視認してから一拍置いた後だ。俺の右手には凍傷で満身創痍の怪我人の、その首が有った。
「動くな。」
発した声は俺のじゃない。発した声は、レストランの外、ラウンジのソファーにマーヤの首を押し付けたソフィアのものだった。
「随分と、……穏やかだな。」
メセナが一言、そう、ふざけた。