㉖『巣窟、第十六層。~The Sixteenth Layer ~』
「熱いな。」
服が水に浸かったかのように、みんなは汗に塗れていた。
「乱獲だったかな。」
袖を捲ったメセナが持つ大きなザルには、溢れんばかりの山菜が積まれていた。そしてその四分の一が、かの赤炭の唐辛子茸であった。真っ赤で細いそのフォルムは、例えるなら肉厚の唐辛子といった感じである。これが実際に辛いというのだから単純だ。
「楽しいけど、アヅイ……」
プーカは舌を出しながら溶けたように背骨を曲げて歩いていた。しかし本当にモンスターは寄って来ない、遠く湖の対岸では轟音が鳴り続いているが、西陵ルートは正に平穏そのものであった。
「へぇへぇ、そろそろ引き上げようか。このペースならソフィアのほうが速いかもしれない。なにぶん暑いしね。」
俺たちはそれから、ゆっくりと並走していたキャラバンに移り、その場を後にした。
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{第16層・火竜の巣窟『炎蜥蜴竜の根城(特定危険地帯)』}
それは、まるで巨大なアリの巣のように下る斜面の、緩やかな逆円錐形の地帯で、確かにその先の深い一角には、第17層へ続くトンネルのような穴が確認できた。逆円錐の中心部には湖から漏れ出た液体と、流れ着いた焼死炭と、それを岩陰で喰らうワニぐらいの大きさの竜の、悍ましい影が揺らいでいる。そしてそれらが点在する手前の場所に、まるで目に見えないテリトリーの境界線上に、あろうことか人が立っていた。
「相変わらず速いねぇ……。」
メセナは感嘆した声を上げて、キャラバンの屋上に伏せながらその人物を覗き込むように見ていた。実際には、俺が飛び出さないようにするための見張り役だろう。左手では俺の服をキッチリと掴み、床に固定している。
「……抑えんなって。」
「危ないから掴まってるだけだよ。私が落ちたらどうすんのさ。」
――あんたマスターシーカーだろ。
「へへ、……それより大丈夫かなソフィア。何か久々に戦う所を見る手前、ドキドキしてしまうよ。これって覗きかなぁ?」
「下らないこと言ってんなよ。……それよか、俺らはどうやってあそこまで辿り着くんだ。」
俺は17層へのトンネルへ指さし、メセナの顔に振り向いた。
「……それはぁ、ほら言ってただろ?ソフィアが何とかしてくれるから。彼女も私らに気付いているようだし、何かしらの合図が有ったら一直線に進めばいいよ。」
標高が水面より低いその地帯は、燃える湖の光が遮られ、微かに噴き出す炎の赤と、湖から垂れる液体の赤い線が、薄暗い岩陰を生み出すような陰湿で神秘的な場所であった。そして炎の光を嫌うかのように、巨大な蜥蜴は地と岩を器用に這いつくばり、そのまま影に染まっていく。
「……何とかするって何だ、何かしらの合図って何だ!?」
俺たちは息を殺しながら、小声で会話をしていた。
「まぁまぁステイステイ、ほら見てあそこの竜。あいつら全員が、かの有名な炎蜥蜴竜そのものなんだけどね。」
【炎蜥蜴竜、サラマンダー・アルデンハイド】指定階層主
(それは竜であり、蜥蜴である。
竜としては小さく、空も飛べず、崇められることも無く、地を這いずりながら泥を啜る。かつての憐れで矮小な一匹の竜は、やがて自らを呪炎で炙り、荒地と同化し、群れをなした。誇りも気高さも捨て去ったその蜥蜴は、しかし唯一その地において、自らが竜たるを識っていた。)――斜塔街原生生物図鑑より
「アレが……」
「アルデンハイドが特定危険じゃないのは、弱いからじゃない。注意喚起をする必要が無いほど、この環境下では絶対的に強いからだ。と、言われている。もちろん、縄張り以外できっぱりと姿を見なくなることも理由にはあるんだろうね。その点、ハチみたいに何処にでもいるような奴らの方が警戒しがいがあるだろう?たっはwまたなんて分かり易い説明を……」
バレたいのかバレたくないのか、メセナは軽々しくたっっかいトーンの笑い声を漏らす。
「んで、アイツらの中で一際肥えている奴がお山の総大将なんだ……。まぁ、あそこは山と言うより谷なんだけどねw、クフフww」
「だからどうしろっての……」
「えー、つまりだね。倒せば良いんだ。今の総大将をね、……そしたら次を決める為に共食いが始まる。混乱に乗じて17層へ、ゴー!だよ。」
メセナは思いっきり拳を上げ、元気いっぱいに叫んで、ハッとし、ボリュームをまた落とした。
「そんなに上手くいくのか。……というより一番デカいって何で分かるんだ。」
「……大丈夫だって心配性だなぁ、奴らが臨戦態勢に入ったら、小さいのは全員、ボスに背を向けるんだ。全方位警戒だね……。したらば中央にいるのがいわんやボスさ。ただ、小さいのは全員、敵に成っちゃうんだけど……w。というかそもそも、ここに小さいのなんて、ほぼいないんだけどw」
笑ってる場合じゃない。
「ソフィアが死んだらどうするんだ……」
その言葉にメセナはなおも笑っていた。
「大丈夫大丈夫、彼女が"この戦いで死なない"に、私は全財産を賭けれるよw……あっ、多分ね。」
そうメセナが言い終えると、その竜の、巨体を裂くには余りにも心もとない短剣を握り、ソフィアは滑り落ちるように砂塵を巻き上げながら、巣窟の中央目掛けて突っ走っていった。