⑳女帝の指輪
「日が暮れるまでには付きたいね。」
早朝4時からダンジョンに入り、現在午後3時、地点は第13層と14層の間である。この2層間を隔てる壁は太古の昔から熱と重みによって崩れ去ってしまった。層測器を見ても13と15の間で針が振れるばかりで、明確に今が何層なのかは分からない。しかし、一応14層の境界を確認する目印は存在し、それを頼りに進むべき方角を定めることも多いらしい。
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{第14層、境界地点『焔の大瀑』}
「13層と14層は地理的に隔てられているだけで、我々冒険者からすればその環境には何ら違いは無い。だから今がどの層なのかを気にすることも無いが、無論気になる人も多いことだろう。そこで確認したのが、ここから西に数キロ離れた所にある『フランメ大滝(通称=焔の大瀑)』だ。この滝は13層と14層に存在する高低差を如実に物語るものとして大きな意義のある滝だ。ただ難点が有るとするならば、その滝は最短ルートからちょっと外れたところに有るから、土地勘が着いてしまえば拝む機会が減ってしまう所だね。」
フランメ河が見えてから、ダンジョンは煌々としていた。視界は充分に良好である。
「私自身久々に観光気分で見てみたい所存ではあったけれど、便利なバスの中から茶をすすり眺めていたい所存ではあったけれど、如何せん旅では無いし、それにダンジョンに入ってから、ぶっ通しで運転している子と、ぶっ通しで射撃している子がいるだろ?彼女らの疲労の事を考えても、日が暮れる前には20層に付きたいところだね。」
メセナは相変わらず元気だった。飯を食べてからは血糖値が上がったからなのか、なお元気だ。
「まぁ本来ならね、15層のC4でアルデンハイドの百人隊を待ちたい所だったんだけど、炭鍾洞っていう立派な洞窟が崩落してしまってね。長らく安全だと言われていたから何故崩落したのかは分からなくて、原因究明中ではあるんだけど、C4はその炭鍾洞の中に有ったからね、トライデントの冒険者は本物の上級者じゃなきゃ16層を突破出来なくなってしまった。」
時折キャラバンが無かったとしたらと考える。このダンジョンは夜間に生態系が一変する層が有り、したがって明確な時間制限が有り、セーフティーポイントも割と少なく距離も長い。もしキャラバンが無かったとしたら、自分の本来の実力だけでは、何処までが限界なのだろうか。
「じゃあ来れるのはレベル5だけか?」
「ノープ。C4崩落後に16層を越えられたレベル4も数多くいる。彼らはTrue4と呼ばれるようになった。トライデントで上級者と括られるのは、このTrue4から上の人間に成って来るかな?まぁそれも最近の話だけどね。崩落が起きたのが3週間前だから。」
――なるほど。もう少し早く来れたら良かった。いや、スケジュール的には限界だったか。
「それよか君さ、この先どうやって戦うんだい?」
――唐突だな。
「まぁ、なんとか。」
メセナは一つ溜息を吐いて続ける。
「何とかって言ってもさ、この先はオメガトロールみたいにはいかないんだからな?私はさ、テツちゃんの狙撃術もリザちゃんの運転捌きもプーカちゃんの医療術も、アルク君の……、素晴らしい、金銭感覚も……」
メセナはたいそう軽くなった巾着袋を持ち上げながら「トホホ……」と声を漏らして続ける。
「拝見させて貰ったけれどさ、ナナシ。君の実力だけは未だ未知数なんだ。そしてそこが、君たちを計る上で最も重要かつ大きなファクターと成っている。分かるね?君の実力Xが、この先の安全Xとイコールになってしまっているんだ、現状は。私はもうハラハラなんだよ。」
――ごもっともである。
「そう言われてもな……、確かに、愛刀も壊れちゃったし。割とアピールするようなものは無いかも。」
俺が笑って誤魔化していると、メセナは分かり易く頬を膨らませた。何と言うか致し方なく、自分の実力を自分たちだけが知っているのは申し訳ない気もする。それだけメセナの憂慮は、足手纏いになっても助けてくれる期待値が高いという意味合いでも有る訳だけど。俺がそんな風に複雑な気持ちを抱えていると、エルノアが珍しく左足の方に飛びついてきた。
「なに?ごはん?」
俺が怠そうに聞くと、怒ったように足を叩き、次いで壊れた皇女の短剣の破片が入っている腰の巾着袋をパンパン叩いた。
――なんだよ一体…?
メセナの前で目立つような事はしないで頂きたい。俺は巾着袋を直しながら何事も無かったかのように振り返った。しかし、その一瞬、違和感が脳を掠める。
――軽い。
俺は巾着袋を取り出し、急いで中身を開いた。
「どったのナナシ。」
メセナは不思議そうに俺の袋を見つめた。
「短剣の破片が無いんだ。ミックラインズを助けた時に散った短剣の欠片なんだけど、失くなってる。」
焦った表情が如実に出たのか、メセナは「やばいの?」と俺に聞いた。姉の名前を出した為か、ソフィアも助手席から振り返り俺の方を見る。
「やばい……よね、一度失くしてるから、でも代わりに指輪入ってんだけど。」
俺はちんまりとした指輪を取り出して、手に取った。
「メセナ、……これ、何か分かるか?」
「うん。分かるとも。指輪だ。」
「いや、そうじゃなくて。」
「そして普通、指輪と言えば魔導士の武器だ。短剣が指輪になっていたんだろ?ぶ……武器がw変わった訳だwwおwめwでwとwうwwwwwww」
完全にふざけた声でメセナは俺を祝福した。
「いやw魔法使えないのに指輪だろ?へっw、皮肉だwww」
――無魔差別だ、俺は悲しいよ。何とか言って叱ってやれソフィア。
「え、それどこ産?w」
ニッコリである。
「おい、お前の姉ちゃん助ける為に壊れたんだからな?」
「頼んでない頼んでないw」
――それもそうか。
俺は指輪が眼に入るほど近付けてその外観を見た。
……Dear nanashi...
「文字だ。」
「え、どれどれ?見えないよ、ナナシ。」
……・・・
「消えた。」
「えぇー?」
……From me...
この世界に英語は無い。つまり俺にしか分からない文字で一瞬間浮かび上がった刻印は、瞬く間に消えてしまった。
「はあ?」
困惑である。
「……全く、君についての謎がwまたw増えたねw。ぷぷっ……w、失礼。実に、私は不確定要素が嫌いであるわけなんだけど、今回ばかりは面白いからいいや。――なぁ、取り敢えずつけておけば?」
メセナはそう俺に提案した。