⑮レストラン・モグラの宿
{第9層『大樹の湖』}
6層から始まる長い縦穴を下り続け、俺たちはその終着地9層へとたどり着いた。一連の草原地帯で流れていた数多ある小川もこの9層へと帰着し、大樹の周りの小さな湖の一部として合流する。幸いなことに、9層から10層に抜けるには"大樹の中につくられた通路"を通り、根っこの中を通って降りるのが最も安全だと言われていた。
冒険者たちにとっての関門は、その通路がつくられた大樹を守る様に囲う湖に息を顰める、指定階層主ラインズを筆頭とした地の利のあるモンスターらを相手にしながら進まなくてはならない事だった。無論、斜塔ダンジョンにはどの層にも下へ降りる為の螺旋状の通路が壁内に存在する。9層でも例外なくそちらのルートを利用することも出来るが、斜塔街の各クランの精鋭たちが調査し、斜塔街ギルドが最終的に出した結論は、第9層と第10層を繋ぐ螺旋通路は大主海蛇の巣であるというものであった。つまり運が悪ければ、湖から戻った家主と鉢合わせ、逃げ場無く死ぬという悲惨なルートなのである。
「こんなに楽に、ここを越えたのは初めてだよ。」
メセナは湖を見渡しながら言う。
「普段は物資関係で、紐船小屋にあるロープ船を借りてこっち側に向かうんだ。知ってる?ロープ船。漕ぐ必要が無くてね。紐を引っ張るか、後方に水魔法を放っておけば進むものなんだけどね。いやはや、キャラバンさま万歳だよ。」
そう言いながら、俺の肩を叩き、メセナは水を汲んだ樽を持ってキャラバンへ戻る。湖の水は果てしなく透明だった。この水はキャラバンの浄水タンクへ貯水し利用させてもらう。
「さぁ、急ごうよ。ナナシ!」
腕を捲ったメセナが俺に手を振った。対岸には小さく、水路のようなトンネルが見える。アレが連絡通路と見て差し支えないだろう。
「エルノア。」
俺は足元の黒猫へ小さく声を掛ける。
「ナニ。」
「あの対岸のルートを覚えておいてくれ。」
必要になるかは分からない。しかし、生還の為に打てる布石は打ち続けるべきだ。
――――――
「斜塔ダンジョン屈指の安全地帯だ。まぁモンスターがいることに変わりは無いんだが、大樹の中に作られたこの宿居酒屋には近づいてきやしない」
{第10層・モグラの宿}
大樹の中は暖かな雰囲気に包まれていた。人の声と音楽が下から聞こえる。耳を立てながら、幾つかの木製扉を抜け、灯された階段を横目に、物資搬送用のスロープからキャラバンを進ませ道を抜ける。そしてその次に見えた光景は、俺たちにとって、ある意味で非現実的なものだった。レストランが有ったのである。
「おぉうい‼こんな時に誰か来たぞ!!」
「――ウヒャヒャひゃひゃひゃ!!」
何人かの冒険者チームが、弾むようなアップテンポの音楽を流しながら、他のクラン員はダンジョンの中だというのに1Lは有ろうかと言うジョッキでアルコールを摂っている。
「はぁー。薄いィ!!!」
「――アヒャヒャひゃひゃひゃは
50人はいるだろうか、無駄に広い円形のレストランで、冒険者たちが飯を喰らっていた。
「メインは川魚料理だ。ギルドが力を入れている宿居酒屋でね、値段は良心的だしアルデンハイドも利用するから、ゴンドラで物資が沢山来る。並みの観光客が訪れられる最下層がココ{モグラの宿}さ。本当に実績を積んだリアルな冒険者らが集まっているから、ある意味この飲んだ暮れたちも見世物だな。」
ソフィアは呆れたように言った。外壁から机から天井、床、カウンター、食器、椅子。全てが木で出来た場所。まるでオシャレなカフェかのような不思議空間であった。
「本当にダンジョンか……?」
俺の言葉にメセナが笑う。
「こういうのも斜塔街の魅力の一つさ。金になる場所だから、開拓領域と未開拓領域で如実に差が出ている。私が考えるに、アルデンハイドは最近また資金を溜め始めていたからね、15層辺りにでもまた、ココみたいな大拠点を作るんじゃないかな。ゴンドラが完成すればだけどね~。」
「さてと。私らはキャラバンに居るから。アルデンハイドが到着するまで飯でも食べてくると良い。お金は出すから、私らのも買ってきてくれ。」
「よっしゃぁあああああ!!!!」
プーカはキャラバンの戸を開け、外へ飛び出した。ソフィアはメセナの首元を掴み、引き寄せる。メセナはそれに「えぇ……」と眉をひそめながら笑い、渋々頷いた。
「そ、そうだね。こればっかりは仕方が無い。私とソフィアは隠れていることにするよ。一応有名人だからね。あと、ムニエルね。ボポリコ魚とクニシャラのムニエル買ってきて。それとここのコーヒーが実は結構美味いらしくてね。」
「コーヒーとムニエルか。」
「いや、私はジュースだよ、もちろん。苦いの嫌なんだ。オススメってだけ。あとこれ、腕章も一応付けておくと良いよ。」
メセナは白い腕章を俺たちに渡した。
「一級クランの腕章、フリーダム版だ。これで君たちも実力者に早変わりさ。」
「了解。ソフィアは?」
「んー。定食。モグラ宿の日替わり定食と、名物モグラ丼の(上)。デザートにコーヒーセット。あとサイドメニューのきんぴらも頼む。アレ、一番美味いから。」
――けっこう食べるな。というか流石に情報通だ。
「出たよソレ。観光客をターゲットにした普通の定食だ。それって別に上でも食えるじゃん。なんせそれ、うちのコックが考案した奴だよ~?本当に採れたてで、ここでしか食べれないっていう付加価値を考えたらクニシャラとムニエルなんだって……!!」
「――ここで獲ったもの出す日も有んだろ。この当たり外れのあるギャンブルを楽しむのがいいんだよ。私らにし分からないギャンブルをな。それになんだ、ムニエル、ムニエル、ムニエル、ムニエル……。他のも食べろバカメセナ。それにうちのシェフがって、前にも聞いたよ。何回話すんだよ。」
「はー?わたしゃは今日何が出るか当てられんだよぉう。それに比べてムニエルは、陰ながら良心的なリニューアルを繰り返し、スパイスの調整から焼き加減の調整まで、君には分からない努力の軌跡を料理人本人から聞いてきた、私にしか分からない楽しみがあるんでい。確かに最近は良いのがめっきり捕れなくて切り身が小さくなってるかも知れないけれど、やれ『ケチだ』とか、やれ『詐欺だ』とか、いやいや悪意が有るわけじゃないし、それに日替りとか言ってレパートリー6つじゃないかこの店は!!せめて週替わりのデイリーにしてから日替わりを名乗るべきであってだね!?」
「違うな!!頭ん中ムニエルしかない情報弱者め、最近はレパートリーが二つも増え、その中からその日一番のオススメが選ばれるという超ランダム要素にアップデートされてんだよ。何が焼き加減だ、努力の結晶だ。日に日に変わるフィッシュフライやジマリハンバーグやヴァル鶏のからあげなどに比べたら、そんな些細な変化なんて"無に"等しいんだよ!!無に、選るつってなぁ!!」
――定食、上でも食えるんですか……?
「よ...よく来るのか、二人とも。」
「ん?うん、太客さ。ここに来るためだけにダンジョンに潜ることも有る。途中で獲れた大物のボポリコ魚とクニシャラを調理し……、てもらう事が出来ることを踏まえれば!!やはりムニエルを食べ続けその変化を楽しむのが至高の料理だとは思わないのか、ソフィア!!」
――緊張感のない言葉め。オメガトロールに時間を使って後悔した気分だ。
「他にも、その日の獲れた魚の種類によっては『今日は丸焼きが良いですね?』とか提案してくれるんだ。そこで『いや、苦みを楽しみたいから、内臓ごと蒸し焼きかな。』と言ってやった日には、誰もが私の食通ぶりにひれ伏すこと間違いなし。それに比べて君は『モグラ丼!!』――こどもかよ!!!?」
「コーヒーも飲めねぇやつが、食を語ってんじゃねぇ!!」
――確かに、矛盾した。
「はぁ、はぁ、うるさぁい!でも……、アルデンハイド大遠征の話を聞いてから、多分客が増えたんだろうね。今日は人が多いや。」
メセナは息を荒げながら、ダイニングの椅子に深く座り布団を被って、窓から見えづらいよう体勢を下げた。
「まぁ、ちょっとは、楽しんで……。ユーブサテラ……!!」
そして囁くように小声でそう言った。
「丼だ。丼が良いぞ……!」
ソフィアも何故が、囁くように催促した。
「だからムニエルだっての。ソフィア。」
「自炊でいけんだろムニエルなんてよぉ」
「それは君にはリリーさんが居るからで、君がつくるわけじゃない。けど、そうだね。リリーさんの料理に勝るものは無いのかも知れない。これからはリリーさんにクニシャラとポポリコ魚を届けることにしよう。」
「金取るし、料理も出さないぞ。」
「極論それでも良いな。むしろそれがいいな。」