⑫セレブはこの樹を眺めに来る
第21譚{斜塔のダンジョン 上層}
「主要ドア施錠確認。―飛ぶよ、お客さん方!」
放たれたアンカーガンは、大樹を穿ち突き刺さる。リザは目視でそれを確認し、ワイヤーを巻き戻しながら奈落へと飛んだ。
「―冗談だろっ!…ユーヴサテラ!!」」
メセナは驚きながら身体を宙に浮かせる。重力は背中方向、床はキャラバンの進行方向とは逆の壁側、俺の足場はプーカの部屋の壁となり、膝で支えていた体重を足の裏にシフトし、掴んでいた二人の向きを90度、空中で変えて着地させる。
「スプリングブレーキ展開。」
リザの言葉と共に、俺は左右の二人を掴んだまま、二秒前まで床だった正面の壁を足の裏で踏み、思いっきり力を込めた。キャラバン車体の腹部分からはスプリングブレーキを発射した衝撃が床越しに伝わってくる。このブレーキはさながら腕だ。ハンドクッションと呼ばれ着地箇所をホールドする巨大な手と、直径2mを誇る巨大なスプリングから成る腕が、振り子のように大樹へとぶつからんとするキャラバンの衝撃を巧妙にキャッチし、吸収してくれる。
「ぐぅ、いたたたた。」
メセナはぶつけた膝を摩りながら俺に問う。
「――どうなった。どんな感じだ。」
「セミみたいな感じ。」
リザは真顔でそう言い放ち、俺は向きの変わったキャラバンに転がる椅子を持ち上げて腰掛ける。
「大丈夫か、アルク。固定しときゃ良かったな……」
場慣れしているはずのアルクも、不運なことにダイニングの椅子がぶつかり頭を抑えていた。この椅子は平時では色んな場所に動かす為、特段ロックなどはしていない。今までは俺がその椅子たちを直接掴みアナログに固定していたが、今日は両手が塞がっていた。あれだけ素早く身の安全を守ろうと、こうなってしまうのは彼の運命なのだろうか。
――可哀想に。
「このまま懸垂下降する。」
背もたれに重心を預けながら、リザがキャラバンを操作し、アンカーガンが少しづつ伸ばされていく。ワイヤーの最大距離は50m前後、伸びきらなくなったらまた大樹に大気銃の魔法弾を撃ち込み、脆くなったところに今度はハーケンガンを撃ち込む。距離が近付けばDD弾を使う必要性も無くなる。火縄銃の様に銃口から無理やり弾丸を装填する為、銃自体を悪くしやすいのと、オーダーメイドという点から非常に使い勝手が悪い一発だ。無理に使いたくはないのだろう。
「本当に大丈夫なんだろうなぁ?」
膝を抑えながら不安そうに俯くメセナを見ながら、俺はキャラバンの水道を一捻りし水が出るかを確かめる。水は如何せんライフラインだ。食料はともかく、水を怠っては3日と持たない。蛇口を捻れば水は出た。しかし、すかさずそれを閉め、滴る水は指ですくって舐めとった。水道の水とは言え、この価値はウォーターサーバーのそれを遥かに凌駕する。俺は確認が終わり次第、運転席のリザと目配せをした。
「大丈夫かどうかで言えば、大丈夫だろ。」
俺はマーヤの皮膚が縄で擦れ赤くなった部分に布を当てがった。
「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ。」
この間、一番神経を擦り減らしているのはリザだろう。しかし彼女は操作を続けながら後方のメセナと会話をする、
「メセナ、このキャラバンは対ダンジョン用に出来ている。空気を大量に漏らさなければ生き物や食料の匂いはキャラバンの木製の素材が吸収してくれる。つまり今の私たちは御神木に出来たコブみたいなもんで、恐らくここらのモンスターに襲われる心配は無い。つまり今このキャラバンは、アルデンうんたらのゴンドラと同じくらい快適に進行しているはずだ。」
「うーん。確かに、この降り方も、まぁ、ある意味、その、ゴンドラ並みに革命的ではあるけどもさ。」
リザの話に助手席のソフィアも乗っかる。
「大丈夫だってメセナ。それに聞いた話によれば、このキャラバンは耐熱性から耐寒性まで優れているそうじゃないか。12層から16層の火葬場は暖房程度、20層から24層の氷雪地帯はクーラー程度にしか感じないさ、きっと。」
楽観的なソフィアの言葉にメセナは溜息を一つ吐き、顎に手を置いた。しかし今回のダンジョンは素人目でも35層まではすんなり行けてしまう気がする。ガイド本によれば28層から35層にかけての難関は食料問題だと書いてあった。アルデンハイドが百人の大所帯で行く理由も恐らくは運搬関連。10層から進んだとしても、最終的に36層以降を狙う精鋭たちの人数は多くても10人ほどに絞られるはずだ。
「体力を温存しながら進める。オールオッケーだ。9層の怪物もこの樹を守る様に動いている。木製のこのキャラバンなら、もしかしたら攻撃してこないかもしれない。」
――大樹を守る怪物。これには気になるところが一つある。
「ソフィア。9層のレイヤーボスは蛇のような巨大生物だと聞いたんだが。そいつの名前はもしかして……」
「ん?――どうだかな。だが、ナナシの言いたいことは分かるぞ。」
「何が?」
ソフィアはフロントガラス越しの大樹を見ながら喋る。
「さながら、平和都市アイギスに生えるユグドラシルの様な樹に、それを守っていた伝説的な怪龍、ヨルムンガンドのようなレイヤーボス。類似点はあるものの論拠が薄い二つの樹の関係がもしも近しいものであったとしたら、この大樹を利用できるような秘密を持つクランなら美味しい話だと睨むはずだ。……みたいな。」
――鋭い。
確かにこのキャラバンの材質はアイギスの世界樹だ。しかし材料の世界樹はこの世に一本しかない貴重な大樹。闇市で売られているようなものを搔き集めたとしても、俺たちの目的には届かない。
「図星みたいだなその顔。まぁ私やメセナみたいな奴の前で白を切るのは難しいだろ。」
顔に出ていたのか。ポーカーフェイスには結構自信が有った。鎌をかけられた後のトーンの変化、口角の動き、眉間の痙攣、顔のシワの一つに至るまで、意識的に規則的で日常的な動きをしていたはずだった。しかし結局バレた。悔しいところではあるが仕方が無い。これがマスターシーカーか……」
「なぁ、プーカ?」
「ギクッ…!!――プーカは知らないかんね!!そんな秘密知らないかんね!!!」
部屋の扉を開け、運転席を覗いていたプーカが叫びながら扉を閉じた。
――お前でバレたんかい。
俺が部屋を睨むと、ガチャりと再度扉が開き、プーカが部屋から飛び出してくる。
「ってか腹減ったー。腹減った..♪腹減った...♪」
プーカは傾いたキッチンから食料を探す。実に忙しない子である。しかし、バレてしまえばもう仕方ない。
「まぁ…まぁ…。別に隠す程のことでも無い。大樹の調査は俺たちのサブクエストみたいなもんだった。でも…」
「ねぇ、樹はダメだよぉ?天然記念物なんだからさぁ。この御神木を保護するのも私たちの役目なんだからさぁ。これを目当てとした観光客だってギルドの立派な収入g……」
「――はいはいはいはい、ようござんす。理解しました。しませんしません。」
今日はマスターシーカーと同伴することのデメリットを初めて見つけた日となった。
「別に少しくらいなら……」
「――ダメだって!!」
ソフィアの言葉をメセナが一瞬でかき消す。9層の足場まではまだ遠いが、キャラバンの空気感は悠々としている。少し会話が途切れれば、ワイヤーの伸ばされていく――カタカタカタ……という音と、――ヒュッと撃って、――ガッと突き刺さるハーケンの音とがキャラバンに鳴り響いてくる。何もしなくても進んでいる音だ。別段うるさくもないし、むしろ心地が良い。しかし、まだ気が早いかもしれないが、往々にして頭を過るのは帰路のことだ。どれだけ快適に下ろうと、その道はまた登らなければならない。冒険には不安が付き物だ。それらをかき消すには、自分たちを信じて、愚かにも、哀れなことに、進み続けるしかない。例えこの先に不幸が待っていたとしても、未来を知らない愚者たちは迷うことなく進むしかない。きっとそれが、冒険者たちの性であるから。
「そうそう。9層の階層主の名前は{デッドライン}だよ。正しく、その姿は伝説に描かれるヨルムンガンドのそれだね。ちなみにラインズ家はこの龍から名前を取っているらしい。」
メセナは進行方向の九層を指さしながら解説する。
「へぇー、そうなのか。」
「そうだよ。そして世界的には、デッドラインは大陸間の渡航を困難にする特定のラインの名称として有名だけど、元を辿ればトライデントのデッドラインから取って付けているんだ。」
新大陸は各国が必死に協力しても辿り着けなかった未開拓領域。無論シーカーは新大陸の開拓に躍起になっている。かつてエルノアがサテラと共に進んだエル・クルマも新大陸のシーラだったと聞いている。
「すなわち。端的に、デッドラインを越えれば死ぬぞっていう意味だね。」
そのまんまである。
「随分と分かり易い警告だな。」
俺は説明をするメセナの方を見ながら頬杖をついた。
「10層以下はそういう所だよ。私はずっと平静を装っているけど、実際はとても怖い。下層を見たことのある人間ならそれが普通だと思うな。」
メセナはふとソフィアの方を見て言う。目線の先のソフィアはボケッと空を眺めながら、欠伸をした。