⑤ゾウは無限に飯を喰らう。
「君が、ダンジョンに潜りたいって理由は何?」
サテラと呼ばれる最強が、最強と呼ばれている俺にそう聞いた。
「殺されない為。」
そう答えた俺は怪訝そうな顔をしたサテラを笑って、匙に入ったスープを口へ運んだ。その時、口に広がった味を時折思い出す。魚介の深い旨味、たまごのサラサラとした食感、ほどける様に消えてった魚の切り身は知覚より遠い彼方へ、その一口だけは、ただ舌に乗った鉄匙の味だけがずっと舌に広がっていた。
―俺はきっと、動揺していた。
「じゃあ...いいよ。」
嫌そうな顔で彼女はそう言った。その時の顔が印象的だった。呼吸が荒くなり、肺が千切れるように軋んで痛むと、その時の顔を思い出す。思いっきり殴られて口の中が切れると、その時の顔を思い出す。彼女に伝えた俺の意思が、俺が始めた冒険が俺を苦しめているこの事実が、その現状が、舌先に広がった鉄の味と共に思い出される。後悔なんて無いって、よく言っている。しかし紛れも無く、俺は後悔している。結果論で、後悔している。
「いっそやるならさ、いっぱい頑張って。」
だから今は、その後悔が消えるまで、
「ハァ...ハァ...」
走っている。
――――――
「ハァ...、おい、クソトロール…!!」
俺たちは良く逃げた。
知恵もそこそこ、スピードも充分、パワーは到底計り知れない。しかしそんな奴が、ちょこちょこと動き回るハエみたいな雑魚相手に、巨腕を何度も振り上げて、フルパワーの大振りで攻撃し続けたらどうなるか。
「疲れるよなぁ?!」
「よなぁ~?」
疲労は動きの鋭さだけでは無く、動物が持つ純粋なパワーすらも奪い去ってしまう。つまり、オメガトロールが持つ爆発型の戦闘スタイルは長期戦に弱い。一瞬の火力を基調とした攻撃パターンは徐々にその質を落としていく。質が落ちればカウンターは容易い。間隔の広がった攻撃の隙で、トロールの関節を蹴り上げる。
「ガアアアア!!!!」
低い叫び声が轟き、また棍棒を振るって大地を抉る。俺たちは逃げる。こちらからは攻めない、ただカウンターをするのみ。
「ふぇうえ~、疲れた!」
「がんばれプーカ、もう少しで折れそうだ。」
オメガトロールの太い腕は青白く膨れ上がり、灰色っぽく濁った赤い血がツーと垂れている。
「―ンガガアア!!!」
雄たけびと共にオメガトロールが走り出し、巨大な棍棒を振りかざす。俺たちはそれをまた避けて、大地を抉ったその腕を蹴り飛ばす。
「ガアアアア!!!!」
「おぉ~ナナぁ、効いてるよ。効いてる。」
痛いだろう、痛いよな。痛いはずだ。自分が攻撃する時だけ痛いはずだ。
「もうすぐだ。もうすぐ折れる。」
俺はトロールを睨むように凝視してガレ場の方へ後退りしていく。トロールはそれを見て叫び続ける。ただ、叫ぶだけ。
「来ないね。」
「あぁ、もう追ってこないと思う。ゆっくり瓦礫をどかしてさっさと逃げよう。」
俺はプーカのジトっとした目と合わせて踵を返す。
「とどめはいいの?」
怠そうに歩くプーカが後ろからそう言った。
「あぁ、いいの。戦闘は相手の心を折った方が勝ちだから。それに大事なのは終わらせ方だ。アイツがいる限り下位のモンスターはここらに近付けない。たとえ怪我を負っていたとしてもな。」
「なる…ほ。」
俺は出口を塞いでいる瓦礫を丁寧にどけて道を作る。
「もうよいんじゃない?」
道幅は人ひとりが通るには容易な程、充分に広がった。
「一応、次の人が通るように…」
俺は座り込んだトロールをチラチラと見ながら瓦礫をどかし続ける。
「そかそか…。でも~、そいえば、ナナは何で分かったん?」
瓦礫を掴んだままプーカが俺に聞いてくる。
「ん?」
「アイツ、攻撃止めるって。」
プーカは岩を見つめたまま不思議そうな顔をした。トロールの心が折れた理由については色々あるが、一番の理由はゾウ。
「ゾウだ。」
「ゾウ?」
「そう、あいつゾウに似てたろ。灰色の肌もそうだけどオメガトロールの巨体はさながらゾウに似てる。」
「ゾウって何?雑煮?」
なんかめんどくさくなってきた。
「まぁいいや。とにかく、お腹が空いてるのに例えば蜂だとかアブだとかにちょっかい出しにいく子供はいないだろ?お腹が空いてたら先ずはどうするよ?」
「雑煮かな~。」
「そう食べるだろ。でもオメガトロールの飢餓は俺達人間の比じゃないはずだ。なんせ共食いまでするんだから、あの巨体を維持するのはきっと莫大なエネルギーがいる。つまり奴は、」
またチラリと振り返るとオメガトロールが土を食べ始めていた。付け合わせは同種の左腕だ。
「奴は腹が減ったのさ…。よし、いいだろう。こんくらいで。」
「プーカも腹減った。」
俺とプーカは開けた道を進んでいく。
「五層に着いたら飯にしよう。今日は黒猫の丸焼きだ。」
俺は額の汗を拭って、血の味がする唾を吐き出した。
「賛成~!!」
闇はまだ深い。しかしこの先は五層、C2(キャンプ2)だ。道のりは果てしないが戦いの後。少しはゆっくり、飯でも食おう。