⑲前夜集会の来客 前編
{トライデント斜塔街、地下1階層・ラインズ家の洋館}
夜になった。呆然と天を眺めていて、疲れた脳みそが冷まされていく感覚が妙に心地良い。しかし、今日は準備に明け暮れた日になった。当初は4層までのツアーを予定し準備を進めていたが、それが明日には9倍。情報量も物資量も、その計算も、詰め込むだけ詰め込んだ。しかし、感覚としては一夜漬けだ。李敷料が全然足りないから、禁書の中でも特段便利そうな本は纏めてキャラバンに積んである。一体何日かかるのだろうか。焦りだとか不安感だとか、無いと言えばうそになるが、明日には上げざる負えないヴォルテージが、今日の内から下がってくれない。このナーバス状態は正直、疲弊する。
「ひやー、面白い。もっかいやろう、これ。」
疲弊しながらも、ソフィアを交ぜてウノに興じている。
「リリー。このカード、あとで複製しておいてくれ。これは良いゲームだ。」
まぁ、確かに、頭は使わなくて良いし、気分を紛らわせるには持ってこいだ。俺は戸を開けた窓の外を眺めながら、自分の手番になったら適当にカードを落としていく。
「そう言えば…、レベル6って6×6で36階層到達レベルってことなんだよね?」
手札を見ながらテツがソフィアにそう聞いた。
「ん?あぁ。その通りだ。」
「なら、もしレベル7が有ったら、49階層到達者ってことになるのかな…?」
テツの言葉にソフィアが目を丸くする。
「そ、そうだな…。もしかして読んだのか?{エルダのダンジョン}」
「―うん。」
「なんそれ~」
プーカが興味深そうにソフィアの方を見る。ソフィアはそれを見てリリーと目配せをし、話を始めた。
「エルダのダンジョン。冒頭は小さな酒場で主人公が、旅人である正体不明の無名シーカーに出会う。彼女はとある街の酒場で自分自身の冒険譚を語るんだけど、それは突拍子の無い話ばかりで、作り話としては面白かったが、呆けた表情で不愛想に淡々と話す彼女を多くの人が笑って馬鹿にした。けれど、その話には夢が有った。彼女が言うには、そのダンジョンを攻略すれば、財宝による一攫千金だけではなく、ロストテクノロジーによる武装、国力増加、安全な移住地帯の確保までが出来たとされていたからだ。」
「…ソフィア様。」
横から現れたリリーは、古びた一冊の本をソフィアの前に差し出した。
「あぁ、ありがとう。」
そういうとソフィアは自身の腕程あるその大きな本を重々しく開いた。
「―さて、その時代は大国から小国までが戦争に明け暮れた戦乱期だったという。海洋国家で島国だったその国は、他国に比べて比較的に安全では有ったが、いつ始まるか分からない他国からの侵略の恐怖に怯えていた。ここが、その舞台となった島国。」
ソフィアは、本に記された地図のなかに有る一つの島を指して見せた。
「と、前置きが有って、その旅人が話したとされる物語が稚拙な童話として挿話される。その文体はまるで子供が書いたように可愛げあるもので、そこまで真面目に読んできた大人たちをコケにするような内容なんだけれど、話の所々で、トライデントのダンジョンと共通点があるってことで一時話題となった。まぁオチとしては、話の頭っから、旅人はボケてる人だったって話なんだけど…。」
「凶悪なダンジョンには記憶障害を起こすものもある。」
テツは本を見つめながら呟く。
「そう、そこだ。私の祖先はこの話をただの病人の妄想伝記だとは捉えなかった。階層構造のダンジョン、滅びた文明の爪痕、ダンジョンで旅人を襲う事象の数々、旅人が発見したオーパーツ。原文の表現は稚拙に曖昧に暈されているが、これをワザとだと考えた私の先祖は、今のトライデントに照らし合わせた新エルダのダンジョンを書き記した。表現を直接的で露骨なものに変えたものだ。」
蠟燭を本に近付け、ソフィアは物語の一節をなぞって音読する。
「『―私を守る人形さんは、六才のまま死んじゃった。七才の誕生日、神様に近づいた日。私だけのプレゼント。みんなは少し寂しそう―。』…徐々に旅人がワケの分からない話をし始めたから、最後に聞き手が、そのダンジョンの名前を聞くんだ。すると彼女はエルダと名乗った。歯切れの悪い話だが、大の大人がダンジョンに潜って七才の誕生日を祝うって場面が話の最後に出てくる。彼女は物語を話し進めるうちにトチ狂っていくが、それまではまともに語っていた。」
―エルダ…。その話は、或いは書き手が敢えて改変したのかもしれない。いずれにせよ、何の為に...
「まぁ、参考までにな。明日は出発時刻が未定だ。何時でも出れるよう寝たい奴は寝ておくんだ。」
そういってソフィアはリリーに「積んどいてくれ。」と言って本を渡した。
「…じゃあー、寝るか。」
運転手のリザは真っ先に立ち上がり、ウノを切り上げて寝床へ向かった。
「―あぁ!!…アガれそうだったのに!」
ソフィアはそう言って手元の一枚と何枚にも増えたリザのデッキとを見比べた。俺も立ち上がり寝床に着こうとするが、ソフィアは俺の手首を掴み制止する。
「お前はたんま。この後に来客がいるんだ。少しばかり起きててもらう。」
「来客…?」
正直めんどくさそうだ。この状況下に置いて俺たちの行動を知る人間がいるという事実だから。それは遂バレてしまったのか、はたまたソフィアの思惑か…。
――――――
案内された来客室で冷め切った紅茶をすする。当の客人は偉い人らしく、予定が立て込んでいるのだと、ソフィアは俺たちを宥めるように言った。しばらくして遂に来客室の扉が開くと、フードを被った男がゆっくりと部屋へ入って来る。ソフィアはニヤリと笑い、紅茶を差し出す。彼は冒険者にしては小柄で有ったし、強そうにも見えない。
「んー、やぁやぁ、…どうも。どうも。お招き頂き光栄の至り。」
男は椅子に座ると、フードを取っ払い口角を上げた。どこか聞き覚えの有る声。
「さてさて、そうだ。僕はさ、"またね"と言ったねユーヴサテラ。―今日がその日だ。」
そして気付く、俺たちはそいつの顔を知っていた。