⑭絶景の予感
「ソフィアはずっとソロなんか?」
退屈そうなプーカがソフィアに聞く。搬入口は渋滞していた。原因は地下街からの麻薬密輸が発覚した為らしい。俺とテツは荷車と冒険者の大所帯で出来たその行列をごぼう抜きし、先に並んでいたキャラバンの元へ戻っていた。
「あぁ、ソロはいいぞ。仲間が死なないからな。どんなヘマをしようが、プランを立てようが、全て自己責任。プラスもマイナスも自分だけのものだ。気楽でいいったらありゃしない。」
「じゃあ、ソロクランか。あれ、ソロでクランって申請できたっけか?」
俺はふと、疑問に思う。
「ん?…いいや。クランとしては、サポートが一人いた。」
ソフィアは腕を頭の後ろで組みながら、キャラバンの天井を仰いで煙草を咥えた。
「おい…。」
「大丈夫だって...。火を着けたことは無い。」
匂いは魔物にとって格好のマーカーになる。それ故に煙草は禁忌、深層地下街の麻薬はその入手難易度から最高級嗜好品となる。言ってしまえば常時発令中の裏クエスト。しかしそれも強者が手にし特権、強者が手にし裏金。ここから先は、一つのミスで命が飛ぶ。特に第二層からは、、、
「クランの順位が載った掲示板、アレに祈りを捧げている奴がいたんだ。」
俺は何気なくソフィアに聞いてみる。彼女はしかし遠くを見つめ続ける。俺だって理由は分かっている。あれは命を祀る祈りだった。何処の街でも見られる光景。みぞおちが締め上げられるような、そんな思いが巡る一瞬間。
「そうさな…。」
ソフィアは火の付いていない煙草を咥えダンジョンの空を仰ぐ。岩を掘って出来たような、かつ文明的な紋様を持つ天を。
「あのランキング表、全体の縁のところに小さなカウンターが付いていたのは気付いたか?」
「いいや。」
俺は答える。間を置いて、煙草を手に持ったソフィアが口を開く。
「左右に一つずつ……。小さなカウンターだが、悠久の彼方から数え続けられた歴史。魂の数字。右には昨日までに逝った英霊の数。左には、積み重ねられてきた犠牲者の累計。今日までの発展は彼らの礎失くしては有り得ない。…みたいなやつだ。」
ソフィアはくくっと微笑する。
「実際には、金に眼が眩んで無茶した奴とか、麻薬に溺れて滑落した奴とか、色んなバカがバカやってきた数字でもあるんだがな。しかしながら敬虔に毎日祈る奴もいるがそれもごく少数。祈っていた奴の風体は?―神父か?―ダンジョン行きの冒険者か?……それとも?」
キャラバンは飼い慣らした魔獣を連れた検閲官の横を抜け、大きな門をゆったりと潜る。
「――ただの街人だったよ。」
俺は答える。
「…それなら、そういうことだ。―きっと見てたのは...」
ソフィアは言い淀んだ。―きっと見てたのは...右のカウンター。そう言いたかったのだろう。
「右の数字が誰のだか分かっている一時が通夜なんだ。そして次の日に、右の数字が左に足される。つまりその人は、あるいは左を見ていたのかも知れない。だから...見ていたのは両方さ。いつだって私たちは両方見るんだ。そうだったよ。右のゼロを見ては胸を撫でおろし、左の数百を見ては気を引き締める。」
ただの数だ。されど数だ。ダンジョンの記録、文献に載ったどんな出来事も、どんな進歩も、その歴史も、犠牲者という数無しには語れない。それがダンジョン。かつての恩師が俺に言った。
『――これからの、貴方の飛躍は願いません。ただ地に足を着け、進みなさい。』
最近になって、ようやくこの言葉が馴染んできた。そして同時に理解する。幾多の死を見てきた{アポストル}の言葉だと。ソフィア・ラインズはマスターシーカーだ。怠そうに先を見つめる彼女が、いったいどれほどの景色を見てきたのか、凄惨な絶景を見てきたのか。そして俺は、この先何を見て、何を掴み、何を失うのか。往々にして、偉大な冒険の代償は仲間だ。そしてこのパーティーのリーダーは、たった一人。
「――おい。」
ソフィアが俺に声を掛ける。その声色は所々、姉のミックに似ていた。何処か気の抜けるような、安心感の有るそんな擦れ方。
「なぁ、そんな辛気臭い顔をするな。そんな顔、仲間に見せらねぇだろ?」
暗い洞窟を写すガラス越しに、照らされた5人の顔が反射している。
――全くその通りだ。
「あぁ。」
俺は頷く。ソフィアは笑う。
「いいか、暗い話だけが歴史じゃない。今から進む冒険も、これから覗く絶景も、経験も、全てお前たちの糧になる。焼き付けるんだ。これから触れる、悲しみも、後悔も、喜びも、美しさも。」
ミックは煙草をしまい。立ち上がり、プーカを引っ張り自分の正面へ持ってくる。
「本物の優秀さとは、その全てを知っている。」
そして先を見つめる。長く続いた洞窟を照らす光の終着点。広がる絶景。圧倒的落差。リザは前の車列に動きを合わせ、ゆっくりと速度を落とした。
「さて、ようこそユーヴサテラ。」
リザはレバー横のボタンを押し、キャラバンのフロントガラスを内側にしまい込んだ。涼しげな風が正面から入り、屋外とは思えない多様な自然の匂いが鼻腔を撫でる。それは、数多の家屋を木々や岩肌が囲うミニチュアのように細やかな街並みを、崖の上から覗く壮観な絶景。
「ここが、{第一層・始まりの地下街}だ。」
それは、危険なダンジョンに根付く、強かで大きな"街並み"だった。