ある令嬢を撃ち殺す話
肌を撫でるような寒風を一身に浴び、遥か眼下に広がる街並みを見つめる。
今、私の立つ場所は周囲の建物から頭一つ抜けた高さの教会の鐘楼だ。あたり一面を見渡すこの絶景の世界には、おそらく誰もが息を呑むだろう。しかし、私にはそんな感傷に浸っている暇も無く、直ちに己が職務の準備に取り掛かった。
包みをほどき、大切な仕事道具たるクロスボウを引っ張り出す。両手で抱えなければならぬ程の大きさのそれは、対人用と呼ぶにはあまりに巨大すぎる代物だった。これは城攻めに使う設置式だった物を祖父が改造し、以来代々用いてきた家伝の兵器である。
専用の巻き取り機を接続し、弦を引き絞ったそれに矢をつがえる。己が身体を地べたに伏し、前に構えたクロスボウを目指すべき標的へ向けた。
見下ろす先の大通りには大衆が群がり、その中心の道を進む1人の令嬢の姿が見える。
彼女こそはこの国の貴族における序列筆頭格、エウンネルク公爵家の令嬢たるエイリーン様だ。
私の元に彼女を暗殺せよ、との依頼が舞い込んできた理由、そのことの顛末は数か月前に遡る。
「エイリーン、俺は今ここに貴様との婚約の破棄を宣告する!」
王都にて行われた貴族学院での社交界。大勢の衆目の降り注ぐ中にて彼女は婚約者たる王太子、ルドルフ殿下に婚約破棄を突き付けられた。彼の傍らには元は平民の出身である男爵家令嬢ユリア様の姿もあり、2人の仲睦まじいさまは誰が見ても明らかだった。
彼にして曰く、ユリア様はエイリーン様からの執拗な嫌がらせを受けていたらしく、そのような性根の腐った者との結婚など出来ないとのことだ。
後で聞いた話ではエイリーン様のなさった忠告は貴族としては至極当然のものだったそうだが、どうやらユリア様によって曲解され伝わってしまったようだ。
だが何にせよ、彼女がせっかくの婚約を台無しにされてしまったことは覆りようのない真実だった。さらに、追い打ちをかけるように宣言された殿下とユリア様の婚約は彼女の心をどれほど傷つけたことだろうか、私ごときにはとても推し量れない。
そして、同時に突き付けられた将来の王妃に対する数々の無礼、などと言う後から取って付けたような罪状によって彼女は国外追放となった。
しかし、この前代未聞の珍事に待ったをかけんとする者が1人いた。現国王にしてルドルフ殿下の父、ジグムント3世だ。
己のあずかり知らぬところで進められたこの一大事、陛下も慌てふためきこそしたが、しかる後に即座に対応に当たった。
それこそが口封じのための暗殺だったのだ。
余計な情報を他国でバラまかれ、己が愛息の悪評が拡散されるより前に事態を終息させる魂胆なのだろう。
故に彼は貴族御用達、代々歴史の裏で暗躍した暗殺一家の出の私に依頼を持ち掛けてきたのだ。頼まれれば誰であろうと引き受ける、それがこの業界の鉄則だ。
そして今、エイリーン様に対する懲罰は現在進行形で進んでる。追放を前に、手枷をはめられた彼女は市中引き回しの刑に処されていた。道行く人は皆、好奇の視線で馬上のその姿を嘲り笑う。ご観覧にいらした国王陛下並びに王太子殿下もそのさまに心なしかご満悦な様子だ。
この屈辱極まりない展開も元はルドルフ殿下自らお定めになったものだった。彼としては己の愛しい恋人を脅かす悪を駆逐したことの証明であり、言うなればこれは勝利の凱旋に等しい位置づけなのだ。
疑り深い陛下はこれを絶好の機会と捉え、その瞬間を狙撃するよう指示した。王太子によって用意された凌辱の場は、父王の手によって処刑場へとその意味を変えたのだ。
流れ矢に見せかけ戦地で幾人もの貴族を屠ってきた私でも、流石に白昼堂々市街で人を殺すのは初めてのことである。緊張しないのか、と聞かれれば当然答えはNoだが、目の前で確実に死を確認しなければ安心出来ない、などと言う無茶ぶりにも真摯に付き合っていくのが我々暗殺者の務めだ。
つま先からクロスボウを握る指まで、全神経を研ぎ澄まさせ来るべき機会を待つ。風向きは上々、視界も良好。しかし、遥か先に見える標的が射程範囲に入るには、あと少し距離がある。
残された僅かばかりの猶予に私は懐かしい記憶、即ち彼女との交流の日々を追想していた。
私と彼女の出会いはおよそ4年前、互いに15の誕生日を迎えた後のことであった。
父は数多の貴族たちの依頼を一手に引き受ける腕利きの狙撃手であり、当然それなりのコネも持っていたが、エイリーン様のいらっしゃるエウンネルク公爵家は特別親しい仲であった。かつて我が家が困窮に瀕した際、多額の援助をもってお救い下さったことの恩義は私自身もよく憶えている。
そのような縁もあり、様々な所用で公爵家へ出入りしていた父だが、その日は次代の後継者の顔見せも兼ねて私を連れ立って推参していた。
庭先にて公爵様へ平伏した際、その自慢の娘として紹介を受けたのが彼女との最初の出会いであった。
態度こそ崩さねど、私の内心は確かなときめきを感じていた。私とて一人の男、目の前の可憐な少女に異性として惹きつけられるのも至極当然のことだった。
今にして思えば何とも不遜で不埒な考えだったと恥じ入るばかりである。裏社会の貧民らしい薄汚れたボロ布を纏う姿など、上流階級の方々からしたらさぞ見るに堪えないものだっただろう。
にもかかわらず彼女は何の不快感も示さず私にお声をかけてくださった。
その眩き太陽のような高貴な笑顔で私を照らしてほしい、何度そう願っただろうか。
遂にはその思いが天に通じたのか、程なくして私は彼女の護身用のクロスボウの教導係を拝命した。有体に言えば彼女は他者を傷つける術に関してはおそろしく不器用だったが、それもまた彼女らしさと言えるだろう。
こうして彼女と交流を交わす機会が増え、同時に彼女の周囲を取り巻く状況についても多くを知れた。
魑魅魍魎渦巻く政界の闇、王太子の婚約者という重圧、そして彼の愛を勝ち取れない悲しみを赤裸々に吐露する姿は彼女が紛れもない1人の等身大の人間である証拠だった。特に、ルドルフ殿下とその身辺をうろつくユリア様の噂に憂いを見せるその顔は、ひどく苦しそうだったのが強く印象に残っている。
そして、何時しか卑しい恋慕は敬愛へと変わり、私は彼女の支えになりたいと感じるようになった。それが分不相応な思い上がりだと分かっていながらも、この焦燥は日に日に強まっていったのだ。
父が病で帰らぬ人となり、正式に後を継いでからもその為に八方に手を尽くしてきた。そんな矢先に持ち込まれたのが私の信念に相反するこの依頼なのだ。
瞳に映る対象の姿に私の意識は現実へと切り替えられた。
待ちに待った瞬間、死すべき者がキルゾーンに踏み込んでくるそのさまを視認し、私はこれ以上ない好機に思わず口角を吊り上げる。
重力の伴う軌道の修正、風向による得物への影響、その他考えうる全ての要因を計算し、道筋を形作る。遍く事象への用意を完璧とし、私は引き金に掛けた指に力を籠めた。
刹那、弦に弾き出された矢は唸りを上げ虚空を切り裂いていく。目にも止まらぬ速度で進むそれを阻むものなど存在せず、愚直に目標目指して飛び続けるその姿はさながら流星の如くであった。
ほとんど間を置かずに矢は着弾し、脳天を穿ち、貫く。
石畳に落ちる王冠の乾いた音が響き、そこにはかつてジグムント3世と呼ばれていた者の屍が倒れ臥していた。
頭部を丸ごと砕かれ突然倒れた現国王の姿に、大通りは途端にパニックに包まれる。傍らに座していたルドルフ殿下に至っては抜けた腰も戻らぬ有様であった。
そう、つまり私が撃ち殺したのはエイリーン様ではなく、国王陛下の方なのだ。
陛下は1つ大きな間違いをしていた。私のエウンネルク公爵家への忠誠は、国家へのそれを上回っているのだ。
張り巡らされた情報網により己が娘の危機を察知した公爵様は、私へ依頼をお頼みなさった。かの憎き王を逆に殺してくれ、と。
そして私はその恩人の叫びに応えたのだ。
報酬の金額も、達成の難易度もはるかに陛下の方が得ではあった。それでも忠を貫かねばいられぬほどの思いが私にはあるのだ。
たとえいかな強権を持とうと大義なき統治に価値はなく、人としての尊厳だけは何としても踏み越えない方にこそ私は付いて行きたい。1人の哀れな令嬢の命を天秤にかけたとき、決断は既に出来ていた。
「実利より情を優先するあたり、私もまだまだ青二才だなぁ…。」
自嘲的な言葉を吐き、急いで撤収の用意を進める。
本音を言うのなら全ての発端となった王太子殿下も亡き者としてしまいたいのだが、依頼人からストップがかっているのもあり、こみ上げる殺意をグッと堪える。
私に政治の駆け引きなどは分からないが、生かすことに意味がある、とそのときはおっしゃっていた。おそらくは目の前で彼の誇りたる父王を血祭りにあげることで脅しをかけ、公爵家の都合の良い傀儡に仕立て上げる腹積もりなのだろう。
機材を担ぎ、街中の喧噪を避けて鐘楼を後にする。
ふと感じたのはエイリーン様の心境だ。
事態の中心におわしながら、これら一連の出来事は彼女の意思を一切考慮せず進められていた。
ならばこれは、本当に彼女の求めた救いだったのだろうか?
いや、よそう。下手な自問自答は余計な迷いの元となる。
どれだけ忠節を謳おうと私は単なる偽善とエゴを矢に込め振りかざし殺人者だ。血と独善にまみれ、主観的思想によってのみ突き動かされた穢れなのだ。自己をそう定義したのなら、後は淡々とその在り方を貫くのみである。
次に彼女と相まみえるとき、私はどれほどに薄汚れてしまっているのだろうか。それだけが気掛かりだ。
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