私はただ、医学や化学のせいにしたかっただけ。でももしかしたら、本当にそうかもしれないでしょう。
医学や化学が進むと、数値や写真で様々なことを証明できるようになる。
それが人類のやさしさにおいて、良いのか悪いのかは誰にも分らない。
私はただ、医学や化学のせいにしたかっただけ。
でももしかしたら、本当にそうかもしれないでしょう。
2万円しかなかった。整形外科に行くまでの電車で何を考えていたのだろう。
お金でも命でも脚のことでもない。じゃあなんでそんなに向きになっているの。
こんなに脚が痛くなったのは初めてだった、でも病院に行くほどではないことくらいは素人の私でも分かる。
でもすぐに病院に行かなければいけないと身体が急かしてくる。
待合室から自分の名前が呼ばれた時の高揚感。席替えした時の席が分かる直前と同じ感じ。
エコーで脚を見てもらうと50歳くらいの先生が驚いているから嬉しくなってくる。
「10代で運動もしていないのに両足に水が溜まる。初めてのケースで私も知りたいくらいです」
初めてのケースだから少し驚いていたけど、原因が水が溜まるという何とも微妙な原因なのでへらへらと笑っていた。
私も一緒にへらへらと笑う。
「血液検査もしましょう。リウマチの可能性もありますから」
どんどん検査が進んでいく。
私、今ピアノを仕事にしているんだけどなっと不幸そうに考えてみたりする。
ごめんね今までの自分。この状況に安心している自分に罪悪感は1つもないんだよと。
お会計でまた自分の名前が呼ばれる。少し冷静になっているから少し罪悪感がこみあげてきた。
「検査と初診料で8200円になります」
検査の結果は1週間後に分かる。
ずっとこの1週間が続けばいい。
検査の結果なんて最初から求めていない。
先生の大袈裟な反応が私にとって、いま生きるために必要なもだから。
1週間後の検査結果は、異常なし。
薬で膝の水も抜けた。
この話は、半年前のこと。
今は先生の大袈裟な反応すらもいらなくなった。
でも、あの時の自分を馬鹿馬鹿しいとは1ミリも思わない。
あの日、病院から帰った後のみんなの反応のこと。
医者でもない田舎者の大人に意味の分からない判断で大袈裟なもの扱いされていたから。
別に今回だけなわけないけど。
今回は脚だし、病院で証明できそうだったから、ほらねってやりたかったんだよ。
でも見返したいってよりも自分の言っていることを信じてほしかったし、心配してほしかったっていうのが正直なところ。
思ったよりもちゃんと症状が出ていることに驚いたみんなの顔や声が忘れられない。
良い意味でも悪い意味でも。
今になってそれがすごく悲しい。
私は自分の存在や言葉だけでは、辛いという感情は受け入れられない。
病院の先生の言葉や検査の結果がないと信じてもらえない。
世の中のすべてが脚みたいに検査やレントゲンで分かればいいのにね。哲学みたいに皮肉を言ってみる。
医学や化学が進むから悲しい世界になっているのか。
それとも。
読んでいただきありがとうございます。
初めての投稿になります。あかりと申します。
この話を読んでくださった方に、もしかしたら伝わりにくいかもという表現をしてしまい書き直そうか考えました。
でももしかしたら、この表現だからこそ共感してくれる人もいるかもしれないと思い、そのまま投稿させていただくことにしました。
共感する人が少ないからこそ、この話が成り立つ部分もあります。
私はこんな話を書いていきたいなと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。