70 くまのおうち
「じゃあ、僕はそろそろ……」
「勇者様、贈り物を受け取って下さいな」
ガラエルとエルはうなずいて緑色に光る何かを渡してくれる。
「……これは」
「私たちとこの世界の住人の感謝の証です」
二人が差し出しのは小さな翡翠のネックレスだった。何かはわからないが、非常に強力な魔力がある。
純白のオーラが輝いていた。
霊視ができない者には翡翠のシンプルな物に見えるだろう。見た目には翡翠の珠に皮ひもが通してあるだけのものだ。
「すごい強い力。どのような効果が……」
「わからないの、神界から降りてきたから。でも、悪意のものではないわ。あなたに感謝するとある神様からの贈り物よ」
「ありがとうございますクマ」
翔一はよくわからないとしても断れないと思って受け取り、首にかける。
「あら、私ったら……贈り物考えてなかったわ」
ダナが慌てている。
「ダナ……本当に、ちょっと粗忽よ。いつもあなたは少し注意が足りないのよ」
ヘルメール女王が母親の顔になって呆れている。
「母上、それはいわないで」
「僕にとって最高の贈り物はあの病気のダナちゃんが立派な大人になったことクマ。気にしないで」
「これをあげるわ。武器は今更かもしれないけど、お守り刀よ」
ダナはミスリルの長い片刃刀を渡す。
翔一はスッと抜いてみた。辺りに光輝が放たれる。
日本刀に非常に似ている。
在りし日の『フェルシラ』をダナが覚えていたのだろう。
「きれいな剣……クマ。ありがとうダナちゃん」
翔一は『フェルシラ』を初めて手にした時のことを思い出す。
華麗で美々しい剣だった。
あの剣を使いたくて剣術を修業したのだ。
「昔、自力で聖剣が作れないか試したものなの。そこそこ強いわ。魔術は私が。金属加工はドゥリンという鍛冶師よ」
「ござるの人クマー。ありがとうクマ」
翔一は熟練した動作で剣を鞘に納めると、精霊ポケットにしまう。
「知性があるから、時間のある時に話し合って契約してちょうだい」
「わかりましたクマ」
「さあ、もういいでしょう。私からはこのゲートと、故郷迄の案内人よ。案内人は足を踏み入れたらやってくるわ」
ヘルメール女王がゲートに促す。
翔一は女王にうなずき、そして、皆にお辞儀する。
ダナはかがむと、ぎゅっと翔一を抱きしめた。
「本当はずっといてほしい。でも、ダメよね。あなたの家族が待っている……」
ダナの涙が翔一の毛皮を濡らす。
「ダナちゃん、いつまでも元気でね」
「……」
偉大な女たちが手を振る。
翔一は手を振って背を向け、ゲートをくぐった。
精霊界のような、神界のような、見たこともない異界のようでもあった。
晴天とどこまでも広がる草原。
ふりかえると、もうゲートはない。
目の前に、愛しいリリーがいた。
「クマちゃん、おうちまで案内するね」
にっこり微笑むリリー。翔一も嬉しくなった。
現世のリリーとは違い、元気良く翔一と歩く。
何かを話し、二人で笑う。
ふと、遠くを見ると、卵型のロボットとその後ろを歩く美しい女性。
ロボットは偉そうに何か喋って、女性は笑顔で答えている。
彼らは翔一に気が付かないようだが、幸せそうだった。
無限に広がる、美しいのどかな草原。
手をつないで歩く子熊と少女。
時折、かくれんぼしたり、虫を追いかけたり、笑いさざめき、遊びながら旅を続ける。
そこには恐怖も悲しみも苦痛もなく、ただ、喜びだけがあった。
どのくらい歩いただろうか、疲れることもない。
リリーとの会話も弾む。
しかし、いつかは目的地にたどり着くようだ。
「さあ、クマちゃん。おうちについたわ」
ぼんやりした世界が見える。現代の日本のようだ。
「……じゃあ、僕は行くよ」
愛した少女との別れはつらかったが、行かなければならないことはわかっていた。
「クマちゃん、人間の姿にならないと、皆びっくりするんじゃない?」
少女はちょっと心配そうに聞く。
「そうだね。変身するよ」
翔一は人間の姿になった。
半裸だった。
「へぇ、初めて見たわ。結構、かっこいいわよ、翔一さん」
好奇心いっぱいの顔。
笑顔のリリー。
「あ、服のこと忘れてた! ズボンははいてるからとりあえずは大丈夫だけど……」
「もう遅いわ、行きなさい」
ポンと背中を押される。
気が付いた瞬間には、どこかの街。
アスファルトの路上に立っていた。
「帰って来たのか……リリーちゃん?」
翔一は声を出すが、返事はなかった。
諦めて歩き出す。
ここはどこかの住宅街。日本の街だった。
並ぶ家はそれなりに立派だと思う。
ゴミも雑草も少なく、何の変哲もないが、綺麗な街。
キョロキョロする。
見覚えはない。
しかし、懐かしい感じはした。
ふと、どこかの家の大きな窓に自分の姿が映った。
ぼさぼさの髪、破れかけのズボン。魔術の入れ墨。恐ろし気な切り傷、刺し傷、拷問の跡……が見える。
異世界に行っている間、普通の人間なら死に至るような怪我を何度も負ったのだ。熊の体には残らないが、人間の体には痕跡として残った。特に銀や聖なる武器の痕跡はくっきりと残っている。
二体の神に噛まれた跡も、かなり大きい。
(これじゃあ、どう見ても、不審者だね。はぁ)
ため息をつく。
帰ってきたのが本当によかったのか、心がぐらついた。
精霊界を見ると、熊の姿のダーク翔一がキョロキョロしている。
(精霊の力は……思ったより弱くないな、日本だからか?)
日本は八百万の神の信仰がある。
少し歩くと、主婦や老人とすれ違う。
翔一の姿を見てぎょっとし、慌ててどこかに行く。
皆、それなりに身なりがいい。
(これは警察が来るかな……)
いっそのこと、その方がいいかもしれないと思った。自分が行方不明として登録されていたら、家族と自動的に会えるはずだ。
(憶えていないけれど……)
家族の記憶がない。
心を不安が締め付ける。
しかし、リリーの笑顔を思い出し、勇気を振り絞って街を歩いた。
とある道を曲がった時、目の前に高校生の少女がいる。
「きゃ!」
彼女は街にそぐわない少年の姿に少し驚いたようだ。
短いスカートの制服。
翔一は見覚えがあるような気がした。
彼女は背が高く、手足が長く、顔が小さい。
モデルのような体形の美少女だった。
ばったり会ったので、目と目が合う。
「あ、あなた……」
「ごめんなさい」
翔一は道を譲ろうとした。
しかし、少女は止まったままで翔一の顔をじろじろ見ている。
「翔ちゃん?!」
「え、と」
「そうよ! 翔一よ! ちょっと……すごく変わってるけど、絶対そうよ!」
少女は大声を上げた。
うろたえる翔一。
「翔ちゃん。私のこと覚えてないの? 園よ、あなたの姉」
「ごめん、実は全く記憶がないんだ」
「やっぱり……いいから来て」
少女は翔一の手をつかむ。
しかし、すぐに離した。
強敵と死闘を続けてきた翔一の手は彼女からすると鋼のようだったのだ。
「硬い手……ごめんなさい。ついて来て」
自分を姉という少女。
翔一の心臓は爆ぜるように打つ。
とある大きな家に入る。
門があり、瀟洒な庭があった。
その女性はその庭の手入れをしていた。
どこかで見たような気がしたが、定かではない。
白い帽子、緑色のワンピース。
若干やつれているが美しい女性だった。
女性は、翔一を見ると、手入れの道具を落とす。
「お母さん! 翔ちゃんよ! 帰って来たの!」
園が叫ぶ。
「しょう、いち?」
「はい」
翔一はにっこりとほほ笑む。彼女の匂いが懐しかった。
記憶にあったのだ!
「翔一!」
女性は走り寄るとがばっと翔一を抱きしめる。
「どこに行っていたの! 一年も! 翔一!」
涙が翔一の肩に落ちる。
彼女は翔一より背が高い。
女性は何度も翔一の名前を叫んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
翔一もつられて涙を流す。
ほっそりとして柔らかい女性の体を抱きしめた。
「よかった。翔ちゃん……」
後ろで、園と名乗る少女も涙を流していた。
「翔ちゃん、今までどこにいたの。凄い……体よね。それに髪もボサボサで匂いも……」
「ごめん、全く記憶がないんだ。気が付いたらさっきいた道に……」
翔一は当面『記憶喪失』でごまかすつもりだった。
異世界に行っていたことは説明不可能だろう。
翔一は園に促されて、玄関近くの応接間のような部屋で座った。
非常に立派な家である。かなり裕福な家だ。
母の匂いのする女性はお風呂を沸かすといって、慌てている。
「一年もどこにいたの? 背が伸びてないわ。失踪した時と変わらないわね」
「え、そうなの? 不思議だなあ」
しらを切る翔一。
(あまり人間にならなかったからかな……しかし、僕もっと長い時間、三年ぐらいあの世界に居たよね)
それは異世界とのずれなのだろうか。
「それに、凄く痩せてるけど、筋肉ムキムキになったのね……その体の傷跡は何? 誰にそこまでひどく……」
見れば見るほど恐ろしい程の傷だらけだった。
園は絶句する。
「き、記憶ないから。わからないクマ」
焦って、思わずクマが出る。
「クマ?」
「な、何でもないよ」
「キュー、クマクマ」
ズボンのポケットからチビクマが顔を出した。
「きゃあ、何かいる!」
(ヤバい、精霊界に引っ込めチビクマ!)
「え、何かいるの? 気のせいだよ、何もいないから」
翔一はわざとらしくキョロキョロした。
「翔一、お風呂が沸いたわ。着替えも用意しておくから、そのボロボロの……」
「ありがとう、お、お母さん。このズボンは寿命だね」
お母さんと呼ぶには凄い美人だったので気が引けたが、反応から間違いないのだろう。
翔一は急いで風呂に向かう。
異世界ではほとんど風呂に入れなかったのだ。
翔一は体を洗うと湯船につかる。
「はあー、生き返るわー」
体が落ち着くと、心も落ち着く。
異世界での思い出はまるで夢のようだった。胸の翡翠がそうではないと告げているが。
「だれも見てないからいいかな、クマっと」
翔一は子熊に戻った。
この世界でも簡単に変身できる。
「あーやっぱり、この姿が楽クマー!」
湯船でジャパジャパする。
いつもの習慣で、精霊界からタコさん像を出した。
「水中にザッパーンクマー。タコさん水中に帰るクマー。急速潜航、急速浮上クマー」
タコさん像で散々遊ぶ。
水中で目が光るタコさん像。
「いあーいあーくまくま、いあーいあーくまくま」
「ご機嫌ね、翔一。お湯加減はどう?」
脱衣所から母の声がする。
「最高ですクマ」
「クマ?」
「な、何でもないです…く」
「ちょっといいかしら」
ガラッと扉が開く、母の手にはボディソープがあった。若干、切れかけていたのだ。
「きゃ! 熊?!」
「うわ、しまったクマ!」
翔一の母は湯船につかる可愛い子熊と目が合う。
暫く固まる二人だった。
「キュー、クマクマ」
いつの間にかチビクマまで飛んでいる。
(はあ、どうやって言い訳しようか……)
翔一の帰還は前途多難のようだった。
『異世界に来たら子熊!? 熊人間になった少年の物語』
――終り――
『異世界に来たら子熊!? 熊人間になった少年の物語』
これにて完結です。
お読みいただいた皆様に感謝申し上げます。
ブックマーク、評価などいつもありがとうございます。いただけると励みになります。
最初のアイデアから下書き、投稿までを思うとかなり長くかかったようにも感じますが、約半年で完成したと思うと、思ったよりは早かったのでしょうか。
最初のアイデアでは、もっとギャグ要素が多く、誰も死なず、もっと可愛い物語にするつもりでしたが、書き上げると悲惨な話が多くなってしまいました。
あらすじを何度も推敲し、面白そうなエピソードを増やして肉付けする過程で、どうも全体的に重く暗い話になったようです。最後はハッピーエンドにできたのが救いですが。
文章も世間に沿った形にできたのも良かったと思います。
基本的に文章が下手なのはご容赦ください。
やはり、助言を某所から頂いた影響も大きいでしょう。苦言を聞くのはつらいですが、聞く価値はあると思います。助言して頂いた皆さまに感謝申し上げます。
次回作は考えてますが、このクマ君の続編か、全く独立した異世界ものを書くのも面白いかなと思っています。クマ君の続編は現代舞台で「帰ってきた勇者」系のローファンタジーになる予定です。もう一つの方はほとんど進んでいませんが、これもかなり独特なものになると思います。
いずれにしても、また、作品を上げると思いますので、その時はよろしくお願い申し上げます。




